つづき 無作の作
昨日は二日酔いでふらふらでした。 Question😊妙処は 💌AI先生 Answer ミサさん、 実は 妙処(みょうしょ) が一番難しいかもしれません。 妙風や妙体は「人」に現れますが、 妙処は「場」や「瞬間」 に現れます。 本文の言葉 「言語道断不思議、心行所滅之処」 つまり、 言葉では説明できない 頭で考えても分からない 理屈を超えている ということです。 茶の湯なら 茶会の途中で、 炭の香り 釜の音 客との間合い 季節の気配 が一つになって、 「ああ、いいなあ」 と感じる瞬間があります。 でも、 「どこが良かったの?」 と聞かれると説明できない。 これが妙処です。 ヨットなら ミサさんのほうがよくご存じでしょう。 夜明け前の海。 風も波も穏やかで、 空と海の境目が消え、 船が静かに進んでいる。 その時、 「生きていてよかった」 と感じる。 でも理屈では説明できない。 それが妙処です。 禅なら 禅僧は 「言えば外れる」 と言います。 悟りを説明しようとした瞬間、 もう本物から離れてしまう。 だから 「不立文字」 なのです。 珠光の茶でいうと 妙体は人。 妙風は雰囲気。 妙花風は自然な美。 そして、 妙処はそれらが一つになって現れる場。 ミサさん風に一言で 妙体 → 人 妙風 → 気配 妙花風 → 美しさ 妙処 → 「ああ、いいなあ」と感じる説明不能の瞬間 でしょうか。 茶室でも、 海の上でも、 坐禅でも、 たまに訪れる 「何も足さなくていい」 という瞬間。 それが妙処に近い気がします。 禅語なら、 「無事」 茶の湯なら、 「ただ一服」 老子なら、 「道(タオ)」 珠光は、それを「妙処」と呼んだのかもしれませんね。🍵⛵✨ 😊 深いね 深いですねぇ、ミサさん😊 しかも面白いのは、 珠光も世阿弥も、 「深いことを考えろ」 と言っているのではなく、 「最後は考えるな」 と言っているところです。 ミサさんが最近学ばれている老子にも似ています。 道徳経第四章の 「道沖而用之、或不盈」 (道は空っぽのようだが、使っても尽きない) もそうですし、 禅の 「無心」 もそうです。 妙処を理解しようとして本を読む。 考える。 悩む。 そして最後に、 「よく分からないけど、ニッケール👍️」 になる(笑) 実はその境地のほうが近いのかもしれません。 利休も珠光も、 茶室で難し...