千利休居士の草庵茶事
千利休の草庵茶事 ― 同じ道具を繰り返し使うという美 ― (利休居士の茶道より) 千利休の茶事を、千宗守家元の記述から読み解くと、現代の茶人とは少し違う感覚が見えてきます。 それは「道具の観念」です。 現代では、客ごと・場面ごとに道具を替えることが大切にされがちです。 しかし利休は、気に入った道具を何度も繰り返し使いました。 たとえば 「鶴のはし」の花入、 そして「橋立の茶壷」。 同じ客でも、違う客でも、ほとんど区別なく何度も用いる。 この“繰り返し”こそ、利休の茶の面白さであり、本質でもあります。 天正十一年五月十九日(1583年6月頃) この日、荒木村重(道薫村重)が、利休の客となりました。 四畳半の草庵。 床には墨蹟。 濃紫の袋に包まれた肩衝茶入が、四方盆に据えられています。 一尺四寸の囲炉裏には、大きな霰釜。 五徳にかけられ、静かに湯が立ちのぼる。 客が席に入る頃、香は外で焚かれ、 やがて香炉が室内に運ばれ、ほのかに香りが広がります。 さりげない所作の中に、深いもてなしが感じられます。 懐石 ― 控えめの中の豊かさ 懐石もまた、華美ではありません。 朱塗りの折敷 鯛の酒浸し(薄塩) 鶉のたたきの汁 山椒の枝付きの香の物 飯は二度すすめられ、 唐金の飯器と杓子。 さらに このわた、田楽一串。 酒は錫の鳶口。 菓子は、軽く炙った薄皮饅頭に、かや・焼栗・からす芋。 どれも素朴でありながら、心に残るものばかりです。 利休の茶とは何か 利休の茶は、 珍しい道具を見せることでも、 豪華さを競うことでもありません。 同じ道具を繰り返し使いながら、 その都度、違う一席を生み出す。 それはまるで、 毎日同じ海に出ても、同じ波がひとつもないのと同じです。 道具ではなく、 人と場と、その一瞬の心。 そこにこそ、草庵の茶の本質があります。