奴隷から自由人へ――自由には戒律が必要 ユダヤの学び#1
先週は仕事も忙しかったのですが、それ以上に、少し気力をなくしていました。 忙しい時に、会社から30分ほどかかるお宅から工事のご相談がありました。ネットで見た商品の価格との比較もあり、一人工ほどの工事ではあるものの、かなり手間と時間がかかりそうな案件でした。 正直なところ、最初からあまり積極的に受けたい仕事ではなく、遠回しに何度か他の業者さんをおすすめしました。それでもご相談が続いたので、「現場を見なければ分からない」と思い、予定を調整して現場確認に伺いました。 しかし結局、工事はお引き受けしないことにしました。 その後、その時のやり取りについてGoogleの口コミに書かれ、今も残っています。こちらにも言葉の選び方など反省するところはありますが、もう5日近く、なんとも気分の悪い時間を過ごしています。 ところが、こんな時にユダヤの教えで考えてみると、不思議と冷静になれるんですよね。 だから私は、ユダヤの学びが好きなのだと思います。 旧約聖書の大きな物語の一つは、奴隷から自由人へという物語です。 しかし、エジプトを出れば、それだけで自由人になれるわけではありませんでした。 自由になった民に、トーラー――戒律が与えられます。 自由だから何をしてもいいのではない。 自由に生きるためにこそ、自分を律するものが必要になる。 今回の小さな出来事も、そんなユダヤの教えから、もう一度考えてみようと思います。 👨🔧ユダヤ教の解釈と裁きは? 💌AIラビ様 Answer ああ、そちらですね。口コミを書いた方の行為を、ユダヤ教の倫理ならどう見るかですね。 ユダヤ教には、今回かなり関係する考え方があります。まず לשון הרע(ラション・ハラ)、「悪い舌」です。単なる嘘だけではなく、たとえ一部が事実でも、他人の評判を不必要に傷つける発言を広めることを重大な問題として扱います。元になるのはレビ記19:16の「民の間を歩き回って中傷してはならない」という戒めです。 ただし、ここが重要です。否定的な口コミを書いた=自動的にラション・ハラで有罪、ではありません。 実際に受けた対応について、他の人を守るなど正当な目的で、事実を必要な範囲で伝えることには別の議論があります。 今回の口コミをミサさんから聞いている内容に沿って分けるなら、 「電話対応がぶっきらぼうだった」「『波...