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考えるVendee globe#15 ミッシェル デジョワイヨー

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ミッシェル・デジョワイヨー ― フランス外洋レースの教授 今日はフランスの名セーラー、ミッシェル・デジョワイヨーの話です。 フランス語の発音は正確ではありませんが、テレビやラジオ、レース会場で聞いた記憶では「デジョワイヨ」でした。 また、昔話です。 日本で初めてミニ・トランザットが紹介された頃、その記事に登場していたのが彼でした。紹介した記者は角さんです。素晴らしい記事でした。 1992年、その記事を読んで、いきなり大西洋単独横断レースを目標にしてしまいました。 今振り返れば、自分でも「え〜、口を開けて、とんでもないことを言っているな」という感じです。😊 自分より年下のミッシェルは、すでに20代でミニ・トランザットやフィガロで活躍していたんですね。 これからAIのリサーチで紹介しますが、若い頃には伝説のセーラー、エリック・タバリーのクルーを経験し、その後、単独外洋レースの世界へ進んだようです。 自分が観戦に行った2008年のヴァンデ・グローブでは、FONCIA(フォンシア)という、お菓子屋さんのような名前の船で参戦していました。 ちなみにフォンシアはフランスの不動産会社です。 この頃から、レ・サーブル=ドロンヌの街も大きく変わり始めたように感じました。 それにしても、儲からなければヨットレースのスポンサーなどできませんよね。 当時でも5億円くらいはかかっていたのではないでしょうか。これは自分の勝手な想像です。 さて、デジョワイヨーは、以前にも書いたポール=ラ=フォレという外洋レースの育成拠点で腕を磨いたセーラーです。 愛称は「教授」。 セーリングチームを運営し、造船や技術開発にも関わりながら、会社組織としてレース活動をしていたようです。 そして2008年のヴァンデ・グローブ。 ミッシェル・デジョワイヨーは、スタート直後に電気系統のトラブルで港へ引き返し、修理して再スタートしています。 約40時間の遅れです。 当時、前々回大会の優勝者で、今回も優勝候補だっただけに、残念に思った記憶があります。 ところが、そこからがすごかった。 次々と前を走る艇を抜いていき、最終的には優勝してしまいました。 すごいですね。 ここで自分は考えました。 ほぼ同じような性能の船なのに、なぜこれほどの差がつくのだろうか? もちろん操船技術や艇の性能もありますが、自分は天気図から風を読む力が大...

聖書朗読箇所 創世記 エデン

AIラビ様説教 今日は פרשת בראשית(パラシャット・ベレシート) を学びましょう。 創世記の最初の物語です。 ベレシートは、天地創造、アダムとエヴァ、エデンの園、カインとアベル、そしてノアの時代へと続く壮大な物語です。 今回は、ユダヤ人の伝統的な学び、有名なラビの教え、あまり知られていないラビの教え、そしてカバラという四つの視点から考えます。 1  ベレシートの物語 創世記1章1節〜6章8節 最初の言葉は、 בְּרֵאשִׁית בָּרָא אֱלֹהִים ベレシート・バラ・エロヒム 「はじめに、神は創造された」 神は光と闇を分け、天と地、海と陸、植物、動物、そして人間を創造しました。 人間は神のかたちに造られ、エデンの園に置かれます。 しかし、アダムとエヴァは善悪の知識の木の実を食べ、園から追放されます。 続いて、カインは弟アベルを殺します。 人類は増えていきますが、暴力と悪が広がります。 それでも最後に、聖書は希望を残します。 וְנֹחַ מָצָא חֵן בְּעֵינֵי יְהוָה 「しかし、ノアは主の目に恵みを得た」(創世記6章8節) ここでベレシートは終わります。 つまり、人間は過ちを犯しても、物語はそこで終わらない のです。 2 ベレシートから何を学ぶのか ユダヤ教では、聖書を単なる昔話として読むのではありません。 一つの言葉、一つの文字にも意味を問いかけます。 例えば、創世記2章15節。 לְעָבְדָהּ וּלְשָׁמְרָהּ レオヴダー・ウレショムラー 「そこを耕し、守るため」 アダムは罪を犯す前から働いていました。 ここが大切です。 働くことは罰ではない。 人間は最初から、世界に関わり、世話をし、守る存在として描かれているのです。 罪を犯した後に現れるのは、汗を流し、苦労して食べ物を得るという労働の苦しみです。 昨日お話しした「働けるうちが楽しい」という考えにもつながりますね。  3  有名なラビの教え ラシ(1040〜1105年) ラシ は、創世記の冒頭について重要な問いを立てました。 なぜトーラーは、天地創造から始まるのか? ユダヤ民族に与えられた戒律の話から始めてもよかったはずです。 ラシは、神が世界全体の創造主であり、大地の所有権も究極的には神に属するという、ミドラーシュの説明...

ベレシート はじめに

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茶道 茶室 後ろは閉じ、前は開いている。 分かってから歩くのではない。 歩くから、次が見える。 AIラビ様 説教 はい、正さん(^_^)🙏 今週のパラシャーは「ベレシート(בְּרֵאשִׁית)」です。 📖 2026年10月10日(土) ユダヤ暦5787年ティシュレー月29日。 シムハット・トーラーを終え、トーラーの朗読が創世記から再び始まります。� Hebcal 今週の朗読 創世記1章1節〜6章8節 最初の言葉は、 בְּרֵאשִׁית בָּרָא אֱלֹהִים ベレシート・バラー・エロヒーム 「はじめに、神は天と地を創造された」 今週は天地創造、アダムとエバ、エデンの園、カインとアベルのお話です。 正さんが先日ブログに書かれた、手島佑郎先生の**「無限の無」**にもつながるところですね。 興味深いのは、ヘブライ語の「ベレシート」が単に時間の始まりだけでなく、創造とは何かを考える出発点になることです。 今日はベレシートを、ユダヤの伝統的な解釈とカバラの思想から学んでみませんか? 😊 お願いします🙇 もちろんです🙇 では今週は、**ベレシート(בְּרֵאשִׁית)**の最初の一語から始めましょう。 ベレシート――「はじめに」とは何か トーラーは、この言葉から始まります。 בְּרֵאשִׁית בָּרָא אֱלֹהִים Bereshit bara Elohim 「はじめに、神は創造された。」 ところがユダヤの学びでは、いきなり疑問を持ちます。 「その“はじめ”の前には、何があったのか?」 ここが面白いところです。 創世記は、神がどこから来たのかを説明しません。神の姿も説明しません。ただ、神が創造するところから物語が始まります。 「無」から「有」へ ユダヤ神秘思想、特に後世のカバラでは、この問題をさらに深く考えます。 神の無限性を、 אֵין סוֹף — Ein Sof(エイン・ソフ) 「終わりがない」「無限なるもの」 と表現します。 ここで大切なのは、**Ein Sof=単純に「無」**という意味ではないことです。 むしろ、人間の言葉や知識では限定できない神を表す言葉です。 正さんが手島佑郎先生から学ばれたという**「無限の無」**という表現は、ここを考えるうえで、とても面白い入口になります。 そして、 無限な...

スチューデント・オーシャン・チャレンジ コンパス

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大海原の道しるべ――コンパス スチューデント・オーシャン・チャレンジ 夏の疲れでしょうか。 それとも、Googleの悪い口コミに少々疲れてしまったのでしょうか。 昨日はどうもエネルギーが落ちていました。 何もやる気にならない。 もしかして更年期障害? いやいや、それはずいぶん前の話ですよね。(笑) さて、今日は気分を変えて、スチューデント・オーシャン・チャレンジの教材から「コンパス(羅針盤)」のお話です。 またまた昔話になります。 かつて単独で大西洋を横断し、その後、太平洋も横断しました。 その経験から、たくさんの講演会や学校に呼んでいただきました。 今思い返せば、本当にありがたいことです。 楽しく、幸せな日々でした。 そのとき、子どもたちからよく聞かれたのが、 「大海原では、何を目印にして進むの?」 という質問でした。 見渡す限り、海、海、海。 道路もなければ、標識もない。 山も見えなければ、建物もありません。 では、どうやって目的地へ向かうのでしょうか。 そこで登場するのが、今日のテーマ「コンパス」です。 簡単にいえば、山や森の中を歩くのと同じです。 自分のいる場所を知り、進む方角を決める。 例えば、日本を出発してアメリカへ向かうとします。 「東へ、東へと進んでいけば、いつかアメリカに着くでしょう!」 理屈としては、そんな感じです。(笑) もちろん実際の航海は、それほど簡単ではありません。 風があり、海流があり、船は思いどおりに真っすぐ進んではくれません。 それでも、コンパスがあれば進むべき方角を知ることができます。 自分が今どこにいて、どこへ向かおうとしているのか。 航海では、それが何より大切なのです。 今日は、1994年のBOC OCEANWATCHの教材から、コンパスの基本を学んでみたいと思います。 もちろんです😊 今回は、1994〜95年の単独世界一周レース「BOC Challenge」の教育教材『BOC OCEANWATCH Teacher's Guide』60ページです。 テーマは Compass(コンパス・羅針盤) です。 原文に沿って、ヨットの専門用語も補いながら全文を翻訳します。 コンパス(羅針盤) BOC OCEANWATCH Teacher's Guide — 60ページ コンパスは、陸上でも海上でも、方角を知るために世界...

プラセボ効果〜〜腰痛と、人生のコンパス

先週は腰痛に苦しんでいました。 最近覚えた「プラセボ効果」。効くと期待することで、痛みが和らぐことがあるそうです。 それなら腰痛にも効かないか。 イエス・キリストの癒やしの話をまねるような気持ちで、自分の腰に手を当ててみました。 一瞬、楽になる。 でも、やはりそれだけで回復とはいきません😊 一緒に仕事をしていた仲間たちは、先に人生をチェックアウトしてしまいました。こういうとき、代わってもらえる人がいないのはつらいものです。 今回は薬の力も借りました。 まずはロキソニンの冷湿布。少し楽になり、涼しくなってきたので、今度は温湿布を使ってみました。自分には、これが結構効いた感じです。 仕事は延ばせるだけ延ばしましたが、ついに現場へ。 約30キロの荷物を、階段で二階まで運ぶ仕事です。錠剤のロキソニンも飲み、フーフー言いながら、なんとか無事に終えました。 本当は仕事を休んで、温泉でゆっくりしたいんですけどね。 貧乏暇なしです😊 今はほぼ痛みが取れ、かすかに残っている程度です。湿布も貼っていません。薬を使ったのは四日ほどなので、薬も1年前薬を使い、湿布もたくさん残っています。 自分は、あまり薬が好きではありません。 「使いすぎないから早く治るのかな」と思うこともありますが、今回よくなった理由は、それだけでは分かりません。薬の働きも、時間とともに体が回復したこともあるのでしょう。 今日は、通っているヘルスクラブの受付にいた女性が整体のお店を始めたので、お世話になる予定です。 腰痛の原因は、自分では最近の体重増加や疲れも関係しているのではと思っています。この一、二か月で四キロ増えました。 セーリングの日は朝二時に出発し、帰宅したのが十六時。遊びとはいえ、移動を含めて十四時間です。腰の調子が悪いときには、こうした負担もこたえます。 さて、プラセボ効果。 たとえば、薬の成分が入っていないものでも、「これは痛みに効く薬だ」と信じることで、痛みが和らぐ場合がある。期待や安心感が、痛みの感じ方に影響するということです。 ただ、痛みが楽になることと、原因そのものが治ることは別だそうです。 自分は漢方が好きなので、「これなら効きそうだ」という安心感があります。漢方には薬としての働きもありますから、全部をプラセボとは言えませんが、治療への信頼も、自分を支える一つなのかもしれません。 コンパスの...

映画 利休にたずねよ

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あらためて、映画『利休にたずねよ』を観ました。 何度観ても、勉強になりますね。 今回、心に残った一文字があります。 「閑(かん)」 ただ静かな場所にいるということではなく、心の中が静かであること。 忙しい毎日の中でも、心まで忙しくする必要はない。 茶室に入り、湯の沸く音を聞き、一服の茶をいただく。 今日は映画『利休にたずねよ』から、この「閑」という一文字について、少し考えてみようと思います。 AI和尚様 より 😊 映画『利休にたずねよ』ですね。 今日は、禅語の 「閑(かん)」 について、少し深く考えてみましょう。 この一文字には、千利休の侘び茶に通じる、とても深い世界があります。 一、閑とは何か 「閑」という漢字を見てください。 門の中に木がある。 門の内側に一本の木が立っている。 人の声も、商売の騒がしさも、世間の争いもない。 ただ一本の木がある。 そこには静けさがあります。 しかし、禅でいう「閑」は、単に静かな場所という意味ではありません。 騒がしい世の中にいても、心が騒がないこと。 これが大切なのです。 二、千利休の「閑」 千利休は戦国時代の人です。 織田信長、豊臣秀吉という天下人に仕えました。 戦争、政治、権力、富。 その中心にいた利休が求めたものは、わずか二畳ほどの茶室でした。 なぜでしょう。 天下人の秀吉は、黄金の茶室を造りました。 一方、利休は狭く、暗く、飾りの少ない草庵を好みました。 黄金の茶室には、天下を手に入れた権力者の美意識が表れています。 利休の草庵には、何も所有しなくても満たされる心が表れているように思います。 ただし、利休自身も政治や富と無縁ではありませんでした。 だからこそ、その対照が面白いのです。 三、閑と寂は違う ここが深いところです。 「寂」は、静けさや、時の経過によって生まれる落ち着きを感じさせる言葉です。 一方「閑」は、忙しさから離れた、ゆとりのある状態を表します。 しかし、禅の世界では、何もしないことが必ずしも「閑」ではありません。 仕事をしていても閑。 人と話していても閑。 茶を点てていても閑。 心が何かに追い立てられていなければ、そこに閑がある。 私はそう解釈しています。 四、利休と秀吉 映画『利休にたずねよ』では、利休の美意識と秀吉の権力が対照的に描かれています。 秀吉は天下を手に入れました。...

朝の茶会 侘び寂び茶

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朝の茶会「侘び寂び茶」 🍵二畳の草庵で、庶民の茶の湯を楽しむ 奇数月の第二土曜日に、朝の茶会を開いていこうと思っています。 私がイメージしているのは、映画『利休にたずねよ』の一場面です。 千利休と秀吉が、狭い茶室で向かい合い、お粥とお茶をいただく。 豪華な料理でもなければ、立派な道具を並べるわけでもない。 ただ、静かな茶室でお粥を食べ、お茶を飲む。 そんな飾らない、侘びて寂びたひとときを過ごせる茶会を目指しています。 千利休の茶の湯 千利休の茶の湯は、実に奥が深いものです。 私も茶道を知ってから、三年近くになります。 学んでいくと、その奥には政治や商談、さらには戦国時代の武器調達に関わる人脈まで、さまざまな歴史が見えてきます。 茶の湯は、単にお茶を飲むだけの文化ではなかったのでしょう。 現代でいう軍産複合体ではありませんが、戦国時代の茶人と商人、武将たちの関係を調べていくと、まだまだ深い謎があります。 しかし、私が考える茶の湯は、とてもシンプルです。 茶室でお菓子を食べ、お茶を飲む。 親しい友人が訪ねてくれば、お祝いに料理を出してもいい。 それだけでも、十分に茶の湯ではないでしょうか。 もちろん、正式な茶事や所作を否定するつもりはありません。 ただ、私も年齢を重ね、これから先、難しい所作を覚えることよりも、茶室で和菓子と抹茶をお互いにいただくことを大切にしたいと思うようになりました。 それが、私なりに茶道を長く続けていく方法なのかもしれません。 紋付袴を着て、上流階級のように振る舞うのではなく、普段着で楽しめる庶民のお茶。 私が目指しているのは、そんな侘び茶です。 二畳の草庵「仮庵」 場所は千葉県山武郡です。 もともとは義理の母の介護を目的として、古い民家、いや、ぼろ家をリフォームしたのが始まりです。 その部屋の隅に、二畳ほどの小さな茶室を作りました。 立派な茶室ではありません。 二畳ですから、お客様は二名まで。 正座ができない方は、あぐらでも構いません。椅子の席も用意しています。 堅苦しい決まりはありません。 お互いに無理をせず、気楽にお茶を楽しめれば、それで十分です。 朝のお粥と一服のお茶 朝食は、お粥、あるいはおにぎり。 時にはイスラエルの伝統的なパン、ハラーパン(ハッラー)を焼いてみたいと思っています。 余裕があれば、お汁やイスラエル料理も用意したいですね...

ヨットは海に浮かぶ学校 外洋レースから学ぶ

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昨日、紀尾井町の文春ギャラリーで開かれている個展に行き、ヨットの先輩の作品を観てきました。 そこで、KCC慶應のヨット部の後輩で、現在フランスでミニクラスのレース活動をしている女性セーラーの話になり。 話題は「ヨットを使った教育活動」へ。 子どもたちにヨットや海を通して、何かを伝える活動をしてみたい――そんな話だったと思います。 そこで私は、 「だったら、フランスやアメリカには、ヨットレースと子どもたちの教育を結びつけた活動が昔からあるよ」 という話をしました。 フランスでは、ミニ・トランザット。 アメリカでは、BOC単独世界一周レース。 もちろん、レースそのものは大人たちが命懸けで挑戦する外洋レースです。しかし、その冒険をただのスポーツとして終わらせず、学校教育につなげようという取り組みがありました。 航海には、地理があります。 気象があります。 海流があります。 数学があります。 船の構造や物理があります。 そして何より、 「自分で考えて、自分で決めて、自分で進む」 という学びがあります。 ヨットは、海に浮かぶ小さな学校なのかもしれません。 今日も、昔懐かしの話です。 手元に残っている、BOC単独世界一周レースの教育用テキストから、少し紹介してみたいと思います。 便利な世の中になりました。 昔なら、英語の辞書を片手に何時間もかけて読んだ資料も、今ではページの写真を撮れば、AIが一瞬で訳してくれます。 30年以上前のヨットの教材を、2026年にAIと一緒に読み直す。 これもまた、なかなか面白いものです。 AI訳です。 もちろんです。これは 1994–95年 BOC Challenge(単独世界一周レース) の教材『BOC OCEANWATCH Teacher’s Guide』の序文ですね。 マーク・シュレーダー(Mark Schrader)が書いた文章です。 マーク・シュレーダーによる序文 BOC Challengeで優勝するのは、まず夢を持ち、その夢を目標へと変え、そして実現するために懸命に努力した人でしょう。 しかし、成功するためにBOC Challengeで優勝する必要はありません。 この27,000マイルに及ぶ単独航海レースを完走した人は、誰もが勝者です。 夢を追い、一つひとつの困難を乗り越え、最後にそれを成...

個人情報保護法 ユダヤの学び

個人情報保護法について 一昨日、スーパーのヤオコーで買い物をしました。 レジを済ませて、駐車場の車まで戻ったところで財布がないことに気づきました。 「あれ、財布がない?」 車の中で弁当を食べようと思っていたのですが、それどころではありません。 レジから出口、駐車場まで、歩いてきた道を戻って探しました。 ない。 もう一度探しました。 やっぱり、ない。 財布を最後に使ったのはレジですから、なくなった場所はある程度絞れます。 サービスカウンターへ行って落とし物の届けを出しました。 車へ戻ろうと歩き始めたところで、防犯カメラが目に入りました。 そうだ。 まだ10分も経っていない。 防犯カメラを確認すれば、自分が財布を落としたのかくらいは分かるのではないか。 そこでサービスカウンターへ戻り、 「すみません、防犯カメラを確認させてもらえませんか?」 とお願いしました。 「警察同伴でないと見せられません」 理由は個人情報保護とのことでした。 なるほど。 ここまでは分かります。 防犯カメラには私だけではなく、他のお客さんも映っています。 他人の顔や行動を、財布をなくしたからといって私が自由に見るのはよくない。 それなら私が見なければいい。 そう考えて、 「では、私は見なくていいので、担当者の方に確認してもらえませんか。まだ10分も経っていませんから」 とお願いしました。 それもできないとのことでした。 ここで、ちょっと分からなくなりました。 私が防犯カメラを見たいわけではありません。 知りたいのは、 自分が財布を落としたのか、それとも落としていないのか。 それだけです。 もしレジを出たところで財布を落としていれば、自分の不注意です。 ところが、財布を落としている様子がないのに途中でなくなっていたら、スリなどの可能性も考えなければなりません。 事件性があるのなら、その時点で自分が警察へ届ければいい。 私はそういう順番で考えていました。 財布は100円ショップで買ったものですから、財布そのものは諦められます。 でも現金が14万円ほど入っていました。 免許証もあります。 dカード、コメリカードも入っています。 現金は諦めるとしても、免許証を再発行して、カードを止めて、再発行して……。 お金だけではなく、時間も手間もかかります。 自分のミスとはいえ、結構ショックです。 そんなときに「個人情...