投稿

Violette Dorange ヴィオレット・ドランジュ 若き女性セーラー venddeglove #6

イメージ
今日は、**Violette Dorange(ヴィオレット・ドランジュ)**の経歴について深掘りしてみます。 王道のコース、OP(オプティミスト)、全長2メートルほどの子ども用ディンギーから始まります。 印象的なのは、15歳のときにOPで英仏海峡(ドーバー海峡)を横断したことです。 もちろん冒険としてもすごいことですが、自分には、この行動そのものが人を惹きつける広告の打ち方にも見えます。 ヴィオレットは幼いころから、父親の学友で友人でもあったジャン=ピエール・ディックのレースを観戦し、その影響を受けながら育ち、OPからセーリングを始めます。 ジャン=ピエール・ディックは、長年Vendée Globeの第一線を走り続けてきた選手です。幼いヴィオレットにとって、世界一周を走るプロセーラーは、遠いテレビの中の存在ではなかったのでしょう。 そこから420ディンギーへ進み、世界大会でも上位に入賞。 そして、 OP → 420 → Mini Transat → Figaro Solo → IMOCA と進んでいきます。 これは、チャーリー・ダランと重なる道でもありますね。 チャーリー・ダランもそうですが、ヴィオレット・ドランジュも、自分の才能をひけらかすようなところがあまりなく、すごいことをやっていても、それが当たり前のこと、普通のことのように振る舞っている。 そんなところにも、自分はフランス人らしいエスプリを感じます。 ヴィオレット・ドランジュがまだ幼かったころ、自分もVendée Globeを何度か観戦に行っていました。 もしかしたら、ヴィオレット親子と同じ桟橋に立っていたことがあったのではないか。 もちろん夢のような話ですけど、そんな気さえしてきます。 小さなOPから始まり、Mini 6.50、Figaro、そしてIMOCAへ。 今日は、そんなヴィオレット・ドランジュのセーリング人生をたどっていきます。 💌AIジャーナリストより はい。**ヴィオレット・ドランジュ(Violette Dorange)**です。 白石康次郎さんと同じ 2025年2月9日 にゴールしています。白石さんが24位、ヴィオレットがその次の25位。公式サイトにも、二人がゴール後に同じステージに立っている写真があります。白石さん自身が「Violetteはほとんど娘と同じ年齢」と話しています。� ヴァン...

フランスの茶の湯

イメージ
少しコーヒーブレイクです。 フランスへ行くと、必ずカフェに入ります。 一休みできるし、トイレも借りられる。 それに、フランスのカフェという空間がいいんですよね。 自分の記憶では、同じコーヒーでも、カウンターで立って飲むのが一番安く、室内のテーブル、そして外のテラス席と値段が変わりました。 考えてみれば当然で、フランス風に言えば、マドモワゼルやムッシュが歩く距離が長くなるのですから、その分、値段が違ってもいいですよね。 自分の記憶に残っている、フランスのカフェの「所作」があります。 朝、常連客がやって来る。 カウンターの中の女性と「Bonjour」と挨拶をして、右の頬、左の頬と合わせるように**ビズ(la bise)**をする。 そしてコーヒーを注文する。 コーヒー豆を電動のグラインダー(moulin à café)で挽き、エスプレッソマシンのポルタフィルターという取っ手のついた器具に入れる。 そして一度、タンパーという道具でコーヒーの粉を押し固める。これをタンピングといいます。 ポルタフィルターをエスプレッソマシンに取り付け、圧力をかけた熱いお湯でコーヒーを抽出する。 そして、その後の所作が好きなんです。 どこのカフェにも、抽出し終わったコーヒーの粉を捨てるための箱、ノックボックスのようなものがあり、ポルタフィルターをコン、コン、と叩くようにして、コーヒーかすを落とす。 この一連の動作に無駄がない。 日本の茶の湯とはもちろん違いますが、毎日繰り返される決まった所作を眺めていると、これも一つの「フランスの茶の湯」ではないかと思えてきます。 そしてフランスの茶の湯の心は―― 愛の国ですから、朝のビズと笑顔☺️ではないでしょうか。 夕方になると、今度はそのカフェがそのままバーになります。 生ビールを頼むときも、日本のように「生一丁!」ではありません。 Une pression, s'il vous plaît. 「ユヌ・プレッシオン、シル・ヴ・プレ」 生ビールをお願いします。 するとサイズを聞かれる。 そして、ここが自分には重要です。 カウンターには、生ビール用のグラスをすすぐ、噴水のようなグラスリンサーがある。 グラスを逆さにして押しつけると、水が勢いよく噴き出して、グラスの内側をサッと濡らしてくれる。 これをしてからビールを注ぐ。 グラ...

Violette Dorange ヴィオレット・ドランジュ 若き女性セーラー venddeglove #5

イメージ
昨日の夜も、YouTubeを開くと、なぜかヴァンデ・グローブの映像が紹介されていました。 最近よく見ているからでしょうね。 眺めていたら、ふと目に留まったのが、ヴィオレット・ドランジュでした。 小柄で可愛らしく、柔らかな印象なのに、その歩みを調べてみると、とんでもなく力強い。 前回のヴァンデ・グローブでは白石康次郎さんと同じ日にゴール。しかも20年以上前に建造された古い世代のIMOCAで走り、最新艇に乗る白石さんに迫るような勢いでした。 ヴィオレットは7歳でOP(オプティミスト・ディンギー)を始め、420級では世界選手権へ。 さらに15歳でOPによるドーバー海峡横断、16歳ではジブラルタル海峡横断にも挑戦。 高校を卒業する頃、ディンギー競技を続けるのか、それとも外洋レースの世界へ進むのか悩み、彼女が選んだのは外洋でした。 そして、自分でプロジェクトを立ち上げてミニ・トランザットに挑戦。 そこからフィガロへ進み、ついにはヴァンデ・グローブへ。 7歳の少女が小さなOPで始めた航海が、世界一周へとつながっていく。 調べれば調べるほど面白く、昨日の夜はすっかり興奮してしまい、寝不足。今朝は早く起きられず、ブログを書く時間もなくなってしまいました(笑)。 マリジアの動画を見たことからヴァンデ・グローブを思い出し、今ではすっかり夢中になっています。 チャーリー・ダランもそうですが、ヴィオレット・ドランジュも、一冊の本が書けるくらい刺激的な人生を送っています。 こうしたフランスのセーラーたちを見ていると、少し意地悪な言い方ですが、白石さんがフランスへ「出稼ぎ」に行っているようにさえ感じてしまいます。 もちろん、それだけフランスの外洋レース文化が奥深いということなのでしょう。 ヴィオレットについては、明日もう少し踏み込んで書いてみたいと思います。 それにしても、今年も熱い夏です。 海の話ばかり熱くなっていますが、茶の湯のほうは、もう少し涼しくなってからにしましょう。

考えるvenddeglove#4 2024

イメージ
盆休みも終わり、今日から仕事です。 暑さで先延ばしにした仕事を、仕上げていかないといけないですね。 YouTubeで「Malizia」を見て気になり、調べていくと、Vendée Globeの深いところをAIが教えてくれました。 自分にはわからないところなので、どこまで正確かはわかりませんが、興味深いところが見えてきました。 好奇心旺盛ですから、こういうことを調べていくのは面白いですね。 今日もヨットの深い話しです。 2024–25年のVendée Globe。 同じ日に、同じレ・サーブル=ドロンヌをスタートして、同じ世界一周をしたにもかかわらず、優勝したチャーリー・ダランは64日19時間22分49秒。 一方、日本の白石康次郎さんは90日21時間34分41秒。 その差は、約26日です。 もちろんVendée Globeは、単純にタイムだけで選手の能力を比較できるレースではありません。天候も違えば、船の状態も違う。トラブルもあります。まず完走すること自体が大変なレースです。 それでも、同じIMOCAというクラスで世界一周をして、これだけの差がつく。 なぜなのだろう? そして、もう一つ自分には素朴な疑問があります。 なぜ白石さんには、Vendée Globeを戦うための新艇が与えられるのだろう? これは白石さんを批判しているわけではありません。 むしろ逆です。 スポンサーは、単純に「一番速い選手」にお金を出しているわけではないのではないか。 そこが気になりました。 そこで2024–25年Vendée Globeを制したチャーリー・ダランについて調べてみると、フランスの外洋レース文化の面白い仕組みが見えてきました。 ダランも、最初からIMOCA60を与えられたわけではありません。 Mini 6.50から始まり、Mini Transatで結果を出し、Figaroへ進み、そこでさらに競争し、企業の育成プログラムに選ばれ、やがてIMOCAへ上がっていきました。 Mini → Figaro → IMOCA → Vendée Globe。 フランスには、若いセーラーが世界最高峰まで登っていくための「階段」があるのです。 一方、白石さんの場合を考えると、少し違うものが見えてきます。 DMG MORIが支援しているのは、単に「Vendée Globeで一番速い日本人を作る」ということだけ...

『まず、自分で考える。#3Vendée Globe1992 』

イメージ
30年前、初めて見たヴァンデ・グローブ 私が初めて Vendée Globe(ヴァンデ・グローブ) を観戦したのは、1992年の第2回大会でした。 今から30年以上も前の話です。 当時、故・斉藤実さんもヴァンデ・グローブへの挑戦を考えていました。 そこで、斉藤実さん、故・大貫一郎さん、そして私の3人でフランスのレ・サーブル=ドロンヌへ行き、第2回ヴァンデ・グローブのスタートを観戦することになりました。 大貫さんは当時、日本のベネトウ特約店ファーストマリンに勤めていて、仕事でフランスのベネトウ本社を何度か訪れていました。その関係もあって、現地では斉藤さんと二人で造船所などを視察していたようです。 「二人でいったい何をしているんだろう?」 私はというと、当時の目標は Mini Transat(ミニ・トランザット)。 ヴァンデ・グローブももちろん見たかったのですが、フランスまで来たのだから、ついでにMini 6.50の船を見ることができれば、それだけでも十分でした。 Mini 6.50の前で出会った若者 マリーナのヤードを歩いていると、Mini Transatに使われるMini 6.50が置いてありました。 その船の前で、一人の若者が彼女と二人でスポンサー探しをしていました。 「自分と同じことを考えている人間がいる」 そう思った私は、その後も何度となくそこへ足を運びました。 船を見せてもらい、話をしているうちに友達になりました。 私も日本へ帰ればスポンサーを探し、Mini Transatに出場したいと思っていた時代です。 考えてみれば、あの頃のレ・サーブル=ドロンヌには、世界一周を目指す人間、Mini Transatを目指す人間、スポンサーを探す人間、船を造る人間が集まっていたのでしょう。 FUJICOLOR IIIとロイック・ペイロン 1992年のヴァンデ・グローブには、日本企業の富士フイルムがスポンサーとなった Fujicolor III が参戦していました。 スキッパーは、ロイック・ペイロン(Loïck Peyron)。 第1回ヴァンデ・グローブで2位に入った、当時すでにフランスを代表する外洋セーラーの一人でした。 Fujicolor IIIは新艇で、当然、優勝を狙っての参戦だったと思います。 現在のヴァンデ・グローブとは違い、当時の会場はまだそれほど混雑していませ...

聖書朗読箇所 裁判官

今日の聖書朗読箇所は、**פרשת שפטים(ショフティーム)――「裁判官たち」**です。 なんとも今の自分にぴったりの聖書朗読箇所です。 現在、店舗の立ち退き問題を抱えていて、場合によっては裁判になるかもしれません。 7月に突然連絡があり、「8月中に立ち退いてください」とのこと。 自分は法律の専門家ではありませんが、調べてみると、通常の建物賃貸借では、賃貸人からの解約申入れは、正当事由が必要なうえ、原則として申入れから6か月を経過して終了するとされています。 それから移転先をどうするのか、営業への影響をどう考えるのか、立退料をどうするのか――本来なら、そうしたことを話し合っていくものだと思います。 それを「来月には出てください」と言われれば、いくら素人の自分でも、少々乱暴ではないかと感じてしまいます。 しかも宅建の資格を持つ不動産業者が間に入っています。 こちらとしては、正直なところ「喧嘩を売られているのかな?」と感じてしまった部分もあります。 しかし、今日のトーラーにはこうあります。 צֶדֶק צֶדֶק תִּרְדֹּף 「正義、正義を追い求めなさい」 一つの正義だけではなく、相手にも相手の正義があり、自分にも自分の正義がある。 確かに、自分は長い間、比較的安い家賃で店舗を借りてきました。それも事実です。 しかし、ただで借りていたわけでもありません。毎月きちんと家賃を払い、そこで仕事を続けてきました。 では、今の自分にとっての「正義」とは何なのか。 相手を責め続けることでも、意地になって居座ることでもなく、今までどおり家賃をきちんと払いながら、必要な話し合いをして、移転の準備も少しずつ進めていく。 それが今の自分にできる **צדק(ツェデク=正義)**であり、同時に **אמת(エメット=真実・誠実)**なのかな、と思っています。 もちろん、相手の正義を考えるからといって、自分の正当な権利まで放棄する必要はないでしょう。 相手の正義も見る。 しかし、自分の正義も忘れない。 二つの正義の間に、どこか合意できる場所を探す。 言葉で書くのは簡単ですが、実際に自分が当事者になるとなかなか難しいものですね。 もっとも、今は暑すぎて、あまり難しいことを考える気にもなりません(笑)。 昔から暑さには頭が弱いんですよね。 ということで、ブログを検索してみたところ、なん...

箴言8:6〜7

​משלי ח ו ז שמעו כי נגידים אדבר ומפתח שפתי מישרים   כי אמת יהגה חכי ותועבת שפתי רשע

『まず、自分で考える。#1 Vendée Globe 2028』

イメージ
昨夜、IMOCA「MALIZIA」のスキッパーが気になり、AIに詳しく教えてもらいました。 そこから昔の記憶が次々と蘇り、白石康次郎さんのこと、スポンサーや人脈のこと、Mini Transat、ヤニック・ベスタヴェン、そして鈴木晶友君のVendée Globe挑戦へ――。 気がつけば、AI相手に2〜3時間もヨット談義をしていました。 会話全体では、なんと約7万字だそうです。 そして今朝、その長いヨット談義をAIにブログ用にまとめてもらったところ、わずか数十秒ほど。一瞬です。 昔はよくヨットレースの観戦に出かけ、その様子を書いてヨット雑誌に掲載してもらったこともあります。 もし、あの頃にこんなAIがあったら――。 取材して、感じたことを話し、資料を調べてもらい、それを一瞬で文章にまとめる。 もしかしたら私も、立派なヨットジャーナリストになっていたかもしれませんね (笑)。 そんなことを考えながら、昨夜の長いヨット談義をまとめてみました。 昨日、IMOCAのTeam Maliziaについて調べていたら、いつの間にか白石康次郎さんの話になりました。 私は40年近く、白石康次郎さんの記事を読んできました。 高校を卒業してからヨット一筋。 多田雄幸さんに弟子入りし、単独世界一周、Around Alone、VELUX 5 OCEANS、そしてVendée Globeへ。 好き嫌いやセーラーとしての評価は別として、これだけ長い間、外洋レースを「仕事」として続けてきたのですから、間違いなくプロです。 ただ、昔から私には一つ不思議なことがありました。 なぜ、次から次へとスポンサーがつながるのだろう? ヨット乗りにとってスポンサー探しは大仕事 私自身も昔、外洋レースに出場し、さらにIMOCAで世界一周レースに出たいと思ってスポンサーを探した経験があります。 また、斎藤実さんをはじめ、長い間さまざまな外洋セーラーを見てきました。 そこで感じるのは、 ヨットが上手ければスポンサーが付くわけではない。 ということです。 むしろヨット関係の企業ほど、道具や技術面での協力はできても、何千万円、何億円というメインスポンサーになるのは簡単ではありません。 ところが白石さんを長く見ていると、2000年を過ぎた頃から何かが変わったように、私には見えました。 2000年前後から変わった人脈 2000年には...

法だけに縛られない、豊かな国

前澤友作さんがXで、興味深いことを言っていました。 人口を増やして経済規模を維持することばかり考えるのではなく、人口が減ったとしても、一人ひとりが豊かに暮らせる日本をつくればいい――そんな趣旨だったと思います。 なるほどな、と思いました。 国の豊かさというと、GDPが世界何位だとか、人口が何人だとか、大きな数字で語られます。 でも、貧乏人の自分からすれば(笑)、そんな大きな数字よりも、国民一人ひとりが実際に使えるお金が増えるほうがありがたい。 人口が少なくなっても、一人ひとりが豊かで、安心して暮らせる国なら、それでいいのではないでしょうか。 以前、知人が、 「日本はある程度、社会主義的でないとダメなんじゃないか」 と言っていました。 もちろん、何でも平等にすればいいという単純な話ではありません。 一生懸命働いた人、努力した人、リスクを取って商売をした人が報われることも大切です。 その一方で、同じように働いていても、正社員と派遣社員など雇用形態によって大きな収入格差が生まれ、若い人が結婚や子育てをためらうほど生活に余裕がなくなれば、人口を増やそうと言ったところで簡単ではないでしょう。 少子化対策というと、「どうやって子どもを増やすか」という話になります。 でも、その前に、 今ここで暮らしている人たちが、安心して生きていける社会なのか。 そこを考える必要があるような気がします。 そして政治の話になると、さらに難しい。 消費税を下げる政党がいいのか。 社会保障を充実させる政党がいいのか。 小さな政府がいいのか、大きな政府がいいのか。 どの政党にも良いところと疑問に思うところがあります。 法律についても同じです。 法律を増やして細かく決めれば社会は安全になるのか。それとも、人間が自分の頭で「これは正しいのか」と考える力を失ってしまうのか。 先ほど思い出したユダヤの教えがあります。 לפנים משורת הדין Lifnim mi-shurat ha-din 「法の要求を超えて行動する」 法律上の権利を限界まで押し通すのではなく、一歩引いて、相手の事情や苦しみを考えるという教えです。 言い換えれば、 「法律的には正しい。でも、人としてそれでいいのか?」 という問いでしょう。 教育も政治も法律も、簡単ではありません。 だから結局、一番大切なのは、一人ひとりが自分の頭で考える...

新盆に「愚鈍」を読む

新盆ですので、今日は仏様の教えです。 ということで、『ブッダの真理のことば・感興のことば』を何気なく広げてみたら、なんとも自分にぴったりのような言葉が出てきました。 『法句経』第二十三章「象」325。 大食いをして、眠りを飲み込み、ころげまわって寝て、まどろんでいる愚鈍な人は、大きな豚のように糧を食べて肥り、くりかえし母体に入って、迷いの生存をつづける。 いやあ、耳が痛い(笑)。 食べて、飲んで、寝て、また欲しがる。 自分のことを言われているような気もします。 昔、「京都の祇園の飲み屋へ行くと、お坊さんが多い」なんて話を聞いた記憶があります。本当かどうかは知りません。 家のお寺のお坊さんなら、銀座で飲めるくらいのお布施です。 しかも、お布施には一般の商品やサービスの代金のように消費税がかかるものではありません。 もっとも、ここでお坊さんを笑って終わったら、この「愚鈍」という言葉を読んだ意味がありませんね。 ブッダが言っているのは、坊さんがどうとか、他人がどうとかではなく、 「お前自身は、欲に食われていないか?」 ということでしょう。 金が欲しい。 うまいものが食べたい。 楽をしたい。 人から認められたい。 坊さんにも欲はある。 水道屋にも欲はある。 人間ですからね。 新盆に仏様の前で、自分の「愚鈍」を少し眺めてみる。 そして菊を一輪。 湯を沸かして、茶を一服。 賢くなろうとするより、自分の愚かさを知る。 案外、それくらいがちょうどいいのかもしれません。 合掌。 PS 愚鈍すぎるのか、夏の疲れなのか、それとも飲みすぎなのか。 よくわかりませんが、このところ胃の調子が悪く、どうも欲が湧きません。 食欲もない。性欲もない。 欲を捨てれば楽になる――仏様はそう教えているのかもしれませんが、いざ欲がなくなってみると、なんだか寂しいものですね。 考えてみれば、食べたい、飲みたい、遊びたい、恋をしたい。 そんな欲に少しくらい溺れているのも、人間として楽しいことなのかもしれません。 欲があるから迷い、欲があるから苦しむ。 でも、欲があるから人生は面白い。 『デスペラード』。 ならず者、無法者、そして、どうしようもない人間。 仏様から見れば、まだまだ迷いの中をころげ回っている大きな豚かもしれません(笑)。 まあ、それも人間。 欲を捨てきれない自分を眺めながら、今日も一服のお茶をいただ...