侘び茶の原点 珠光と一休、茶禅一味の教え
おはようございます😊 お陰様で腰痛もほぼ治り、昨日は一日ゆっくり安息して、エネルギーも戻ってきました。 昨日も多くの仕事のご依頼をいただき、感謝、感謝です。 久しぶりに行きつけの寿司屋へ行き、イワシの握りをいただきました。新鮮でうまかったですね。お酒は地酒の「梅一輪」。🍶 働いて、食って、呑んで。いいですね。 今日は朝6時から仕事の段取りと準備です。 ということで、少し茶の湯のお話です。 昨日、筒井紘一著『山上宗二記を読む』(淡交社)が届きました。 読みたいのですが、もともと読書はあまり得意ではありません。最近は目も悪くなり、長時間読むのがつらくなってきました。 原文がよくても、現代語訳には訳者の解釈や好みもあります。どこまで読めるかわかりませんが、まずは最初に登場する村田珠光のお話から。 AI先生に現代語訳と解説をお願いしました。 お茶を一服いただきながら、侘び茶の原点を少し学んでみようと思います。🍵 AI先生訳 おはようございます😊 これは興味深い文章ですね。 \*\*『珠光之一紙目録(じゅこうのいっしもくろく)』\*\*の冒頭部分です。 村田珠光(むらたじゅこう)は、侘び茶の祖とされる人物です。 この文章には、珠光が考えた茶の湯の精神だけでなく、当時の茶道具や、誰がそれを所有していたかという歴史も記されています。 ### 1\. 現代語訳 ### 一 茶の湯の興り 珠光の『一紙目録』によれば、茶の湯を始めたのは、普光院殿(足利義教)と鹿苑院殿(足利義満)の時代であった。 この時代には、中国から渡ってきた美術品や絵画、書画などが集められた。 そのなかには、善阿弥や毎阿弥といった、将軍家に仕える同朋衆に関係するものもあった。 その後、桂雲院殿(足利義政の子、足利義尚)の時代に、茶道具の一部が失われることになった。 義尚は若くして亡くなったため、その後、東山慈照院殿(足利義政)の時代には、名物の茶道具が人々に下賜された。 花御所に将軍がいた頃、明皇院殿の時代には、御所に残っていた道具や名物も少なくなっていた。 さらに、それ以外にも七弥という人物に多くの宝物が渡ったとされるが、その数はわからない。 ※原文には人物の呼称や歴史的な関係に難しい部分があり、ここでは大意を読みやすく訳しています。「明皇院殿」などは注釈や...