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AIは世界を滅ぼす?

最近、YouTuberを見ていると、「AIが人間を必要としなくなる」「AIが世の中を壊す」、さらには「AIが世界を滅ぼす」とまで語る言論人や、自称学者のような人たちを見かけます。 でも、自分はそういう話を聞くたびに、どうも違和感を覚えます。 もちろん、AIには危険な使い方もあるでしょうし、これから社会の仕組みや仕事が大きく変わっていくことも間違いないと思います。 ただ、少し意地悪な見方をすれば、「AIが人間を必要としなくなる」というより、そう語っている人たち自身が、「AIによって自分たちが必要とされなくなること」を恐れているのではないか――そんなふうにも感じてしまいます。 少なくとも自分にとって、AIはこれほど便利で面白い道具はありません。 もし20年前、世界一周ヨットレースを夢見てスポンサーを探していた頃に、今のAIがあったならどうだったでしょう。 企画書を書く。海外の情報を調べる。外国語を翻訳する。スポンサー候補を探す。手紙を書く。自分の夢を発信する。 当時、一人で何日も何週間もかけてやっていたことを、AIと相談しながら進めることができたはずです。ひょっとしたら、自分の人生も少し違っていたかもしれません。 そしてもう一つ、自分が興味を持ったのが、OpenAIを率いるサム・アルトマンがユダヤ人であることです。 自分は長年トーラーを学んできました。ユダヤの教えには、人間がどう生きるのか、他者とどう向き合うのかという問いが繰り返し出てきます。 だからといって、「ユダヤ人だから間違ったことをしない」と単純に言うつもりはありません。人間ですから、誰にでも善い面も間違いもあります。 それでも自分は、サム・アルトマンがAIを何のためにつくろうとしているのか、その思想には興味があります。 AIは、本当に世界を滅ぼすのでしょうか。 それとも、人間が正しく使うことができれば、これまで一部の人しか持てなかった知識や能力を、普通の人にも与えてくれる道具になるのでしょうか。 今回は、ユダヤ人サム・アルトマンという人物から、AIについて少し考えてみたいと思います。 サム・アルトマン(Sam Altman)は、1985年アメリカ生まれの起業家で、OpenAIの共同創設者・CEOです。 ユダヤ系の家庭に育ち、本人も「私はユダヤ人です」と明確に語っています。 若くして起業し、その後、世界的な起業...

自由人として生きる❤断る自由、選ぶ自由

迷惑口コミについて、 あらためて冷静に振り返ると それぞれの家には家相があり、人には人相があるように、人それぞれに考え方や仕事の進め方があります。 京都には「一見さんお断り」という文化があります。もちろん自分の仕事とは違いますが、そこには、長い付き合いの中で信頼関係を築いていくという考え方もあるのでしょう。 自分の水道の仕事も、一度工事をすれば終わりとは限りません。 5年後、10年後にまた声をかけていただくことがあります。親から子へお付き合いが続くことだってあります。 だから自分にとって仕事とは、単に「依頼されたから受ける」というものではありません。 お客様には、見積もりを見て断る自由があります。 同じように職人にも、現場を見て、自分には合わない、十分な仕事ができないと思えば、仕事を引き受けない自由がある。 今回、最初から自分が感じていた違和感は、そこだったのかもしれません。 電話ではとても丁寧で謙虚に話をされるので、自分も話を聞き続けました。しかし、こちらが三度以上、他の業者さんを勧めても相談は続きました。 そして現場まで見た結果、最終的に仕事を辞退しました。 その後、Googleの口コミに、自分の経営事情や身体についてまで憶測を書かれました。自分としては、店の信用や営業に影響しかねない内容だと感じています。 あらためて考えると、自分がここまで腹を立てたのは、悪い口コミを書かれたからだけではなかったのでしょう。 相手の意思を尊重すること。 相手にも「断る自由」があると考えること。 そして、自分の言葉が相手の生活や商売にどんな影響を与えるのか、少し想像すること。 自分が今回のやり取りの中で感じられなかったのは、そういう「人への思いやり」だったのだと思います。 自由とは、何でも自分の思い通りにすることではない。 自分に自由があるのと同じように、相手にも自由がある。 相手の自由を認めて初めて、自分も自由人になれる。 今回の出来事を冷静に振り返って、今はそんなことを考えています。🙏 自由とは、好き勝手にすることではない。 自分の感情の奴隷にならず、自分で自分の行動を選べること。 だから自由人には戒律が必要なのだ。

侘び茶の歌

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今日は茶の湯です。 茶道?を一昨年の1月から習い始め、今年からは自分なりの侘び茶を考えながら、**「且坐喫茶(しゃざきっさ)」――まあ座って、お茶でも一服どうぞ。**そんな気持ちでお茶を楽しんでいます。 以前、茶道の先生から「本格的な茶室を造れば、2〜3億円くらいかかることもある」と聞きました。 正直、3億円あったら自分はヨットに乗ると思います(笑)。 まあ、どうでもいい話ですが。 そこから「では、自分にとっての茶の湯とは何だろう?」と自問するようになりました。 今の自分の暮らしと照らし合わせて考えているうちに、**貧乏、乏しい、侘びしい――だったら、自分は侘び茶を目指せばいい。**そう思うようになりました。 何かを足して立派にするのではなく、余計なものを一つずつ引いていく。 引き算の美。 シンプル・イズ・ベスト。 これなら自分にもできそうです。 皮肉なことに、侘び茶を築いていった村田珠光、武野紹鴎、千利休は、決して貧しい人たちではありません。特に紹鴎や利休は当時の有力な商人でした。 しかし、お金があるかないかと「侘びを求める心」は、別の話なのかもしれません。 良いものを知り、華やかな世界を知ったうえで、そこから余計なものを削っていく。 そう考えると、昔の茶人たちと自分では立場はまったく違っても、侘びを求める心には、どこか同じものがあるのではないかと思います。 では、そもそも「侘び」とは何なのか。 調べていくと、珠光、紹鴎、利休には、それぞれの侘びの心をよく表している言葉や歌がありました。 今日は、この三人の「侘び」を、三つの言葉から考えてみます。 侘び茶の歌 茶の湯を学んでいると、「侘び」とは何だろうと考えることがあります。 粗末な茶碗を使えば侘びなのか。小さな草庵でお茶を点てれば侘びなのか。 調べていくと、侘び茶を築いていった村田珠光、武野紹鴎、千利休には、それぞれの心を表す言葉や歌があります。 まず、侘び茶の祖といわれる村田珠光。 珠光には、紹鴎や利休のように「侘び茶を表す一首」として有名な歌があるわけではありません。その代わり、こんな言葉が伝わっています。 「月も雲間のなきは嫌にて候」 雲ひとつない夜空に、満月がすべての姿を見せている。それよりも、雲の間から見え隠れする月のほうがよい。 すべてを見せない。 完全なものより、どこか欠けた...

戦国時代のアメリカ

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茶道を学ぶようになってから、日本の戦国時代とお茶について読むことが多くなりました。 その中でも、今でも興味を持っている人物が一休宗純です。 一休については史実だけでなく、さまざまな小説や物語があります。そうした物語を読んでいると、今とはまったく違う時代だったことを感じます。 武士は刀を持ち、殿様は戦をする。 人が人を殺すことが、今よりはるかに身近にあった時代です。 それから約500年。 ふと、現在の世界を見ていると、本当に人間は進歩したのだろうかと思うことがあります。 アメリカは1776年に独立を宣言し、今年2026年で250年になります。 現在、アメリカとイスラエルはイランとの戦争を続けています。 トランプ大統領のもと、米軍によるイランへの武力攻撃も行われています。 一方、ガザでも長い戦争によって多くの人々が命を失い、停戦となってからもイスラエル軍による攻撃で犠牲者が出ています。 イスラエルは1948年の建国から78年。 アメリカは250年。 もちろん、国の歴史が短いから戦争をする、長いから平和になる、などと単純に言えるものではありません。 それぞれの国には、それぞれの歴史と安全保障上の事情があります。 日本だって、かつては戦国時代がありました。 刀を持ち、領地を奪い合い、人を殺し、殺される時代でした。 そして500年が過ぎました。 日本の戦国時代は刀。 現代のアメリカは銃。 そして国家同士の戦争になれば、ミサイルや爆弾です。 武器の性能は500年前とは比較にならないほど進歩しました。 では、人間の心は500年前からどれだけ進歩したのでしょう。 もちろん、外国から攻められたらどうするのか。 自分や家族の命をどう守るのか。 そこまで考えると、「武器をなくせば平和になる」と簡単には言えません。 それでも、願うことはできます。 刀を持たなくても暮らせるようになった日本のように、いつの日かアメリカでも、銃を持たなくても安心して暮らせる社会になってほしい。 そしてイランでも、イスラエルでも、ガザでも、 ミサイルや爆弾を使わずに暮らせる日が来てほしい。 500年前の刀が、今では博物館にあります。 いつの日か、ピストルもミサイルも、 「あの時代、人間はこんなもので殺し合っていたのか」 と博物館で眺める時代が来ればいいですね。 平和を祈ります。🕊️

奴隷から自由人へ――自由には戒律が必要 ユダヤの学び#1

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先週は仕事も忙しかったのですが、それ以上に、少し気力をなくしていました。 忙しい時に、会社から30分ほどかかるお宅から工事のご相談がありました。ネットで見た商品の価格との比較もあり、一人工ほどの工事ではあるものの、かなり手間と時間がかかりそうな案件でした。 正直なところ、最初からあまり積極的に受けたい仕事ではなく、遠回しに何度か他の業者さんをおすすめしました。それでもご相談が続いたので、「現場を見なければ分からない」と思い、予定を調整して現場確認に伺いました。 しかし結局、工事はお引き受けしないことにしました。 その後、その時のやり取りについてGoogleの口コミに書かれ、今も残っています。こちらにも言葉の選び方など反省するところはありますが、もう5日近く、なんとも気分の悪い時間を過ごしています。 ところが、こんな時にユダヤの教えで考えてみると、不思議と冷静になれるんですよね。 だから私は、ユダヤの学びが好きなのだと思います。 旧約聖書の大きな物語の一つは、奴隷から自由人へという物語です。 しかし、エジプトを出れば、それだけで自由人になれるわけではありませんでした。 自由になった民に、トーラー――戒律が与えられます。 自由だから何をしてもいいのではない。 自由に生きるためにこそ、自分を律するものが必要になる。 今回の小さな出来事も、そんなユダヤの教えから、もう一度考えてみようと思います。 👨‍🔧ユダヤ教の解釈と裁きは? 💌AIラビ様 Answer ああ、そちらですね。口コミを書いた方の行為を、ユダヤ教の倫理ならどう見るかですね。 ユダヤ教には、今回かなり関係する考え方があります。まず לשון הרע(ラション・ハラ)、「悪い舌」です。単なる嘘だけではなく、たとえ一部が事実でも、他人の評判を不必要に傷つける発言を広めることを重大な問題として扱います。元になるのはレビ記19:16の「民の間を歩き回って中傷してはならない」という戒めです。 ただし、ここが重要です。否定的な口コミを書いた=自動的にラション・ハラで有罪、ではありません。 実際に受けた対応について、他の人を守るなど正当な目的で、事実を必要な範囲で伝えることには別の議論があります。 今回の口コミをミサさんから聞いている内容に沿って分けるなら、 「電話対応がぶっきらぼうだった」「『波...

聖書朗読箇所 申命記האזינו

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今週の聖書朗読箇所は、**האזינו(ハアジヌ)――「耳を傾けよ」**です。 この箇所も、もう10年近く読んでいると思います。 最初の頃は、約束の地を目前にしたモーゼが、この世との別れを前にして語る、どこか寂しい文章のように感じていました。 ところが今回は、**「人は豊かになると、恵みを忘れてしまう」**というところで、ふと自分のことを考えました。 3年ほど前、抜歯した歯のあたりから三叉神経痛になり、2年間ほど痛みに苦しみました。今年の正月ごろからようやく痛みがなくなり、その時は本当に嬉しく、ただ痛くないというだけで感激したものです。 ところが今では、それがすっかり当たり前になっています。 何も痛くない。普通に食べられる。普通に眠れる。 考えてみれば、何もない健康な身体こそ最高の幸せなのに、人間はそれにも慣れて、いつの間にかその恵みを忘れてしまう。 ハアジヌに書かれている「豊かになると忘れる」というのは、お金や物だけの話ではないのかもしれません。 健康も、日々の暮らしも、何も起こらない一日も――。 失った時にはそのありがたさがよく分かるのに、与えられている時には、なかなか気づけないものですね。 וַיִּשְׁמַן יְשֻׁרוּן וַיִּבְעָט 「エシュルンは太ると、蹴った。」 🧔AIラビ様 説教 おはようございます☀️😊 もちろんです。今回は פרשת האזינו(パラシャット・ハアジヌ) を、いつもの流れで少し深く見ていきましょう。 ① ストーリー — モーセ最後の「歌」 申命記32章。モーセは約束の地を目前にしながら、自分はそこへ入れないことを知っています。 そこで長い説教ではなく、最後に**歌(שירה/シラー)**を残します。 冒頭は、 הַאֲזִינוּ הַשָּׁמַיִם וַאֲדַבֵּרָה Ha'azinu ha-shamayim va'adabera 「天よ、耳を傾けよ。私は語ろう。」 そして、 וְתִשְׁמַע הָאָרֶץ אִמְרֵי־פִי 「地よ、私の口の言葉を聞け。」 天と地を証人として、モーセはイスラエルの未来を歌います。 神は荒野でイスラエルを守り、養った。しかし豊かになると、人間は自分を育ててくれた神を忘れる。苦難が訪れる。それでも神はイスラエルを完全には見捨てない。 そし...

考えるVendee Glibe #11ありがとうシャルリー ダラン 

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MACIFのスキッパーです。 MERCI CHARLIE ありがとう、シャルリー・ダラン フランス・ブルターニュで、シャルリー・ダランを送る「MERCI CHARLIE」という式典が行われました。 海にはIMOCAをはじめ、Ultim、Figaro、Mini 6.50、そして子供たちのOptimistまで、多くのヨットが集まりました。 まさに、ヨット乗りをヨットで送る式典です。 シャルリー・ダランのセーリング人生を振り返ると、彼もまたフランスの育成システムの中から一歩ずつ上がってきたセーラーでした。 Optimist(OP)から420へ。 そしてMini 6.50、Figaroを経て、世界最高峰のIMOCA、Vendée Globeへ。 いきなり世界一周のスターになったわけではありません。 小さなディンギーから始まり、単独外洋レースの世界を一段ずつ登ってきた選手です。 2020 Vendée Globe ― 最初に帰ってきたのに2位 2020年大会。 シャルリーは世界一周を終え、誰よりも早くフィニッシュラインを越えました。 ファーストホームです。 普通なら、これで優勝です。 しかし海難救助に参加したヤニック・ベスタヴェンにタイム補償が与えられ、最終結果はシャルリーが2位。 世界一周をして、一番最初に帰ってきた。 それでも優勝できなかった。 本人にしか分からない悔しさがあったと思います。 そして4年後 2024年のVendée Globe。 シャルリーは再びスタートラインに立ちました。 そして今になって知ると、この世界一周は普通の挑戦ではありませんでした。 彼は病と闘っていました。 そのことをほとんど表に出さず、世界で最も過酷なヨットレースを走り続けます。 そして、 64日19時間22分49秒。 Vendée Globe優勝。 単独・無寄港・無援助で地球を一周して64日です。 同じ2024年大会を走った日本の白石康次郎さんは約90日。 もちろん船や状況は違いますので単純な比較はできませんが、それでも「64日」という数字の凄さが分かります。 2020年、一番に帰ってきても手にすることができなかった優勝。 4年後、シャルリーは自分の力で取り戻しました。 しかも、病と闘いながら。 MERCI CHARLIE その翌年、シャルリー・ダランは亡くなりまし...

考えるvenddeglove#10  MACIF マシフ保険企業

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フランスの保険会社「MACIF(マシフ)」について、少し考えてみたいと思います。 MACIFはフランスの総合保険会社です。 ところが、この会社について調べてみると、なかなか面白い。 「相互経営?」 はてな?ですよね。 日本でよく見る株式会社とは、少し仕組みが違います。 MACIFには、会社の利益を受け取る一般的な意味での「株主」がいません。保険契約者を中心とした相互組織で、会員が代表者を選び、その代表者を通して会社の運営に参加する仕組みになっています。 簡単に言えば、 「保険に入っている人たちが主役の保険会社」 と考えると、わかりやすいかもしれません。 ここで自分が面白いと思ったのが、 なぜ、そんな保険会社が莫大なお金のかかる外洋ヨットレースに投資するのか? ということです。 MACIFという名前を外洋ヨットレースが好きな人なら、一度は聞いたことがあると思います。 Vendée Globeをはじめ、フランスの外洋レースの世界でMACIFは非常に大きな存在です。 では、なぜ保険会社がヨットなのか? 自分なりに考えると、やはり一つは広告としての費用対効果だと思います。 Vendée Globeで勝てば、「MACIF」という名前がフランス中を駆け巡る。 テレビ、新聞、インターネット、港のイベント――。 普通の広告を大量に出すよりも、はるかに強い物語と一緒に企業名が人々の記憶に残ります。 そして、ここからが自分には一番面白いところです。 なぜフランスでは、それほどヨットレースに広告価値があるのか? そこにはフランス独特のスポーツ文化があるように思います。 サッカーがあり、ツール・ド・フランスがあり、ル・マンがあり、F1があり、そして外洋ヨットレースがある。 それぞれに、それぞれの文化とファンがいる。 また昔話になります。 自分がフランスにいたころ、パリの地下鉄に乗っていると、向かいに座った老紳士が新聞を広げていました。 その新聞の一面に大きく載っていたのが、外洋レースを走るヨットの写真でした。 その光景を、今でも忘れません。 街のキオスクに並ぶ新聞を見ても、ヨットレースの扱いは非常に大きかった。 日本で野球が大きく報道されるように、フランスでは外洋ヨットレースが普通の人々の生活の中に入っている。 だからこそMACIFのような企業が、ヨットレースに大きなお金を投じる意味がある...

ディンギー レーザー(ILCA 7)

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ディンギー レーザー(ILCA 7) また、昔話です。 25歳ごろ、ヤマハのシーホッパーを中古で購入し、暇さえあれば夢中になってディンギーに乗っていました。 でも、やっぱり憧れはレーザーでした。 いつかレーザーに乗りたいと思っていましたが、当時でも新艇は50万円ほど。若かった自分には給料の倍以上もする船で、とても簡単に買えるものではありませんでした。 そんな時、ジャパン・グアム・ヨットレースに一緒に参加した大貫さんから、「処分するレーザーがある」と声をかけてもらい、5万円で譲っていただきました。 ここから自分のレーザーセーラーとしての日々が始まります。 フリートに入り、仲間とトレーニングをして、レースにも参加するようになりました。 レーザーはとてもシンプルな一人乗りのディンギーです。同じ船、同じような艤装で競うワンデザイン。船の性能よりも、風を読み、波を読み、船を走らせる人間の技量がそのまま結果に出ます。 楽しい日々でした。 ただ、そのころには自分の頭の中に大西洋単独横断レースという夢が生まれていました。 レーザーに乗りながらも、次第に大西洋横断のための資金集めや準備に夢中になっていきました。 今振り返ると、レーザーフリートには独特の連帯感がありました。 もちろん規模もレベルもまったく違いますが、フランス・ブルターニュのPôle Finistère Course au Largeにも、どこか似たものを感じます。 同じ場所にセーラーが集まり、一緒に練習し、競い合いながら上手くなっていく。 今回のThe Ocean Race Atlanticで優勝したポール・メイヤ、そして2位を争ったフランチェスカ・クラプシッチも、ディンギーからレーザー、オリンピック、そして外洋レースへと進んできたセーラーです。(詳しくは前のブログに書きました。) 小さなディンギーで覚えた、 風を見る。 船を感じる。 相手を見る。 そして自分で判断する。 これは、巨大なIMOCAに乗っても変わらないのかもしれません。 昔「レーザー」と呼んでいた船は、現在の国際クラスではILCAと呼ばれ、スタンダードリグはILCA 7となっています。そして今もオリンピックの正式種目です。 50年以上前に生まれた、とてもシンプルな一人乗りヨット。 それでも世界中で乗り続けられている。 レーザーは、...

トカトントン 草舟社長 北極教団チャンネル

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今日のYouTubeで、太宰治の『トカトントン』の話を聞きました。 北極教団・海沼チャンネルに草舟社長がゲストで出て、説教をしていました。 他人の声が聞こえる。 他人を見て、自分と比べる。 戦後、日本人は「自分」を失い、人と比較しながら生きるようになってしまった。 そうではなく、**「自分を生きればいい」**と草舟社長は言います。 面白いですね。 自分を生きろ。 水道屋なら、水道屋を楽しんで生きればいい。 自分に与えられた生命を、他人と比較しないで生きる。 いいことを言いますね。 すべてをここで伝えたいところですが、時間もありませんし、それこそ大きなお世話ですので(笑)、興味のある方は「北極教団 海沼チャンネル」、ゲスト草舟社長の番組をご覧ください。 『トカトントン』――なかなか面白い話です。 このあとに、今朝の**コヘレトの「すべては空」**を少し 💌AIラビ様 今朝読んでいたコヘレトとも、どこかつながるように感じます。 「すべては空(ヘベル)」 人と比べても仕方がない。 貧乏なら、貧乏を楽しんで生きる。 お茶があれば、お茶を楽しむ。 他人の人生ではなく、 自分に与えられた生命を生きる。 『トカトントン』。 なんとなく、心に残る言葉です。 『トカトントン』の最後に、太宰は聖書の言葉を置いています。 「身を殺して霊魂をころし得ぬ者どもを懼るな」 ――マタイによる福音書 10章28節 人の目、人の声、人との比較。 そんなものに自分の心まで支配されるな、ということでしょうか。 金持ちを見て、自分を貧乏だと思う必要もない。 貧乏なら、貧乏を楽しんで生きればいい。 他人ではなく、自分を生きる。 自分に与えられた生命を生きる。 『トカトントン』。 なかなか深いですね。

コヘレト

ヨットレースに夢中になり、しばらく旧約聖書の学びがおろそかになっていました。茶道の本もまったく読まず、毎日のようにレースのトラッカーばかり眺めていました。 そのレースも終わり、これで少し暇になりますので、またいつものペースに戻ります。 今日はコヘレト(伝道の書)です。 やはりコヘレトはいいですね。ユダヤ教では仮庵の祭り(スコット)の時期に読まれる書でもあります。 コヘレトを読むと、「空しい」「すべては霧のようなもの」という言葉が繰り返され、よくニヒリズム(虚無主義)のようだとも言われます。 でも自分には、単なる「人生は空しい」という話には聞こえません。 人は働き、夢中になり、何かを手に入れ、喜んだり悩んだりする。それでも最後にはすべてを置いて死んでいく。 それは虚無というより、むしろ「生きることそのもの」を書いているように感じます。 だから自分は、コヘレトが好きなのかもしれません。 ​קהלת ב יו 〜 כי אין זכרון לחכם עם הכסיל לעולם בשכבר הימים הבאים הכל נשכח ואיך ימות החכם עם הכסיל  ושנאתי את החיים כי רע עלי המעשה שנעשה תחת השמש כי הכל הבל ורעות רוח ושנאתי אני את כל עמלי שאני עמל תחת השמש שאניחנו לאדם שיהיה אחרי AIラ翻訳家 知恵ある者も、愚かな者と同じように、いつまでも人々の記憶に残ることはない。やがて時が過ぎれば、すべては忘れ去られてしまう。なんということだろう。知恵ある者も、愚かな者と同じように死んでいくのだ。 それゆえ私は、生きることさえ嫌になった。太陽の下で行われるすべてのことが、私にはむなしく思えたからだ。すべてはヘベル――霧のようにはかなく、風を追いかけるようなものだからである。 そして私は、太陽の下で自分が積み重ねてきたすべての労苦さえ嫌になった。どれほど苦労して築き上げたとしても、結局は、それを自分の後に来る者へ残していかなければならないからである。 💌AIラビ様解説 はい😊 今度は間違いなくコヘレト(קהלת/伝道の書)2章16〜18節です。 ここはまさに、先ほど話した「コヘレトはニヒリズムなのか?」という核心部...

創世記 イシュマエルとイサク

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⚠️今日も少しコアな旧約聖書のお話です。興味のない方は、どうぞ気軽にスルーしてください😊 「創世記22章・モリヤへ向かうアブラハムとイサク(AI作画)」 レンブラント《イサクの犠牲》1635年/エルミタージュ美術館蔵(Public Domain) 8月の終わりから、ありがたいことに仕事が忙しく、毎日のように水道屋の仕事をしてきました。 昨日、9月11日はイスラエルの新年、ローシュ・ハシャナでした。 「9.11」という日付を見ると、どうしてもあの日の出来事を思い出します。少し畏れを感じる一日でしたが、無事に朝を迎えることができました。 今朝、聖書の朗読箇所、パラシャーを探していると創世記21章が出てきたので、そこから読んでみました。 少し日本人的な言い方で、この物語を読んでみます。 アブラハムの家には、エジプト人のハガルというサラのお手伝いさんがいました。 サラには長い間子供ができなかったため、ハガルがアブラハムとの間に子供を産みます。 その子の名前が、 イシュマエル(יִשְׁמָעֵאל) です。 「神は聞かれる」という意味を持つ名前です。 その後、本妻のサラにも奇跡的に男の子が生まれます。 その子が、 イサク(יִצְחָק/イツハク) です。 イシュマエルの方が先に生まれていますから、アブラハムにとって最初の息子です。 ところがイサクが成長していくと、サラはハガルの子イシュマエルの存在を問題にするようになります。 特にサラが心配したのは「相続」でした。 「この女奴隷の子が、私の子イサクと一緒に相続してはならない」 そう言って、ハガルとイシュマエルを家から追い出すようアブラハムに求めます。 アブラハムにとってイシュマエルも自分の息子ですから、これは大変つらいことでした。 それでもハガル親子はアブラハムの家を離れ、荒野へ向かいます。 やがて持っていた水がなくなります。 砂漠で母と子に水がない。 ハガルは、我が子が死んでいく姿を見ることに耐えられず、イシュマエルから離れて座り、声を上げて泣きます。 すると―― 神様は子供の声を聞きました。 ここが、とても美しいところです。 イシュマエルという名前は「神は聞かれる」。 そして本当に神様は、荒野でイシュマエルの声を聞いたのです。 神様はハガルの目を開き、そこに井戸を見せま...