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法だけに縛られない、豊かな国

前澤友作さんがXで、興味深いことを言っていました。 人口を増やして経済規模を維持することばかり考えるのではなく、人口が減ったとしても、一人ひとりが豊かに暮らせる日本をつくればいい――そんな趣旨だったと思います。 なるほどな、と思いました。 国の豊かさというと、GDPが世界何位だとか、人口が何人だとか、大きな数字で語られます。 でも、貧乏人の自分からすれば(笑)、そんな大きな数字よりも、国民一人ひとりが実際に使えるお金が増えるほうがありがたい。 人口が少なくなっても、一人ひとりが豊かで、安心して暮らせる国なら、それでいいのではないでしょうか。 以前、知人が、 「日本はある程度、社会主義的でないとダメなんじゃないか」 と言っていました。 もちろん、何でも平等にすればいいという単純な話ではありません。 一生懸命働いた人、努力した人、リスクを取って商売をした人が報われることも大切です。 その一方で、同じように働いていても、正社員と派遣社員など雇用形態によって大きな収入格差が生まれ、若い人が結婚や子育てをためらうほど生活に余裕がなくなれば、人口を増やそうと言ったところで簡単ではないでしょう。 少子化対策というと、「どうやって子どもを増やすか」という話になります。 でも、その前に、 今ここで暮らしている人たちが、安心して生きていける社会なのか。 そこを考える必要があるような気がします。 そして政治の話になると、さらに難しい。 消費税を下げる政党がいいのか。 社会保障を充実させる政党がいいのか。 小さな政府がいいのか、大きな政府がいいのか。 どの政党にも良いところと疑問に思うところがあります。 法律についても同じです。 法律を増やして細かく決めれば社会は安全になるのか。それとも、人間が自分の頭で「これは正しいのか」と考える力を失ってしまうのか。 先ほど思い出したユダヤの教えがあります。 לפנים משורת הדין Lifnim mi-shurat ha-din 「法の要求を超えて行動する」 法律上の権利を限界まで押し通すのではなく、一歩引いて、相手の事情や苦しみを考えるという教えです。 言い換えれば、 「法律的には正しい。でも、人としてそれでいいのか?」 という問いでしょう。 教育も政治も法律も、簡単ではありません。 だから結局、一番大切なのは、一人ひとりが自分の頭で考える...

新盆に「愚鈍」を読む

新盆ですので、今日は仏様の教えです。 ということで、『ブッダの真理のことば・感興のことば』を何気なく広げてみたら、なんとも自分にぴったりのような言葉が出てきました。 『法句経』第二十三章「象」325。 大食いをして、眠りを飲み込み、ころげまわって寝て、まどろんでいる愚鈍な人は、大きな豚のように糧を食べて肥り、くりかえし母体に入って、迷いの生存をつづける。 いやあ、耳が痛い(笑)。 食べて、飲んで、寝て、また欲しがる。 自分のことを言われているような気もします。 昔、「京都の祇園の飲み屋へ行くと、お坊さんが多い」なんて話を聞いた記憶があります。本当かどうかは知りません。 家のお寺のお坊さんなら、銀座で飲めるくらいのお布施です。 しかも、お布施には一般の商品やサービスの代金のように消費税がかかるものではありません。 もっとも、ここでお坊さんを笑って終わったら、この「愚鈍」という言葉を読んだ意味がありませんね。 ブッダが言っているのは、坊さんがどうとか、他人がどうとかではなく、 「お前自身は、欲に食われていないか?」 ということでしょう。 金が欲しい。 うまいものが食べたい。 楽をしたい。 人から認められたい。 坊さんにも欲はある。 水道屋にも欲はある。 人間ですからね。 新盆に仏様の前で、自分の「愚鈍」を少し眺めてみる。 そして菊を一輪。 湯を沸かして、茶を一服。 賢くなろうとするより、自分の愚かさを知る。 案外、それくらいがちょうどいいのかもしれません。 合掌。 PS 愚鈍すぎるのか、夏の疲れなのか、それとも飲みすぎなのか。 よくわかりませんが、このところ胃の調子が悪く、どうも欲が湧きません。 食欲もない。性欲もない。 欲を捨てれば楽になる――仏様はそう教えているのかもしれませんが、いざ欲がなくなってみると、なんだか寂しいものですね。 考えてみれば、食べたい、飲みたい、遊びたい、恋をしたい。 そんな欲に少しくらい溺れているのも、人間として楽しいことなのかもしれません。 欲があるから迷い、欲があるから苦しむ。 でも、欲があるから人生は面白い。 『デスペラード』。 ならず者、無法者、そして、どうしようもない人間。 仏様から見れば、まだまだ迷いの中をころげ回っている大きな豚かもしれません(笑)。 まあ、それも人間。 欲を捨てきれない自分を眺めながら、今日も一服のお茶をいただ...

YouTube ダブルヒロシ先生へのコメント

昨日、YouTubeを見ていたら、伊木ヒロシ先生の番組に、戸塚ヨットスクールの戸塚宏校長が出演していました。 これは興味深い組み合わせです。 「お金」を語るヒロシ先生と、「教育」を語る戸塚校長。いわばダブル・ヒロシ先生ですね(笑)。 自分は一セーラーとして、若い頃から戸塚校長には強い関心がありました。若い頃、本当は戸塚ヨットスクールでヨットを習ってみたいと思ったこともあります。 今回の対談を聞きながら、教育とは何なのか、お金とは何なのか、そして子どもを育てる責任は誰にあるのか――いろいろ考えさせられました。 そこで、久しぶりに少し長めのYouTubeコメントを書いてみました。 以下、そのコメントです。 ダブル・ヒロシ先生 お金のヒロシ先生と戸塚宏校長の対談、興味津々で聞かせてもらいました。 自分も若い頃、戸塚ヨットスクールでヨットを習ってみたいと思ったことがあります。しかし、そこまで余裕のある家庭ではなかったので、残念ながら実現することはできませんでした。 それでも、一人のセーラーとして、戸塚校長には昔から強い関心と敬意を持っています。 もちろん、当時の暴力的な指導や、そこで起きた事故については、簡単に肯定できるものではありません。 ただ、複数のコーチや関係者がいる中で、最終的に自分が責任を負うという戸塚校長の姿勢には、良くも悪くも、昔の日本人が持っていた「大和魂」のようなものを感じます。 個人的に残念に思うのは、そこに「お金」が介在していたことです。 もちろん、お金への欲から事故が起きたと言いたいわけではありません。 ただ、親がお金を払い、子どもの教育を他人に委ねる。見方を変えれば、家庭で担うべき教育の一部を、学校や指導者に託していたとも考えられます。 そして、その先で事故が起きてしまった。 もし戸塚校長が持っていたヨットや海を通じた教育の思想を、学校体育や社会教育の中で生かすことができていたら、また違った結果になっていたのではないか、と一セーラーとして残念に思います。 また、当時は今ほどNPOのような仕組みが一般的ではありませんでしたが、もし非営利の活動として、教育と商売をもう少し切り離すことができていたなら、戸塚校長の教育思想の良い部分が、違った形で社会に残ったのかもしれません。 そうそう、昔、戸塚校長がテレビの討論番組などでよく口にしていた、 「これは、ただ...

見ると言うこと

今週のパラシャー「ראה(レエ)=見よ」を学んでいて、ラビ・マービン・トケイヤー先生の言葉、「耳で見て、目で聞く」を思い出しました。 最初は、その意味がよくわかりませんでした。 約15年前、ハウステンボスから銚子までヨットを回航したことがあります。 出航前の夜、ハウステンボスの居酒屋で知人たちと酒を酌み交わしました。その席には、目の不自由な方も同席されていました。 私が少し難しい話をすると、その方は静かにこちらへ顔を向け、一言も聞き漏らすまいと、まるで話を「見る」ように耳を傾けてくださいました。 その姿が今でも心に残っています。 人は目だけで見るのではありません。 耳で見て、心で聞くこともできるのです。 今週のパラシャーは、「見よ」と私たちに語りかけます。それは、ただ目で景色を見ることではなく、神様の教えや、人との出会い、日々の出来事の中にある意味を心で見つめなさい、という呼びかけなのかもしれません。 茶の湯でも、お客様の表情や言葉だけでなく、その場の空気や心の動きを感じ取ることが大切だと教えられます。 「耳で見て、目で聞く」。 ユダヤの学びも、茶の湯も、本当に大切なものは目には見えず、心で受け取るものなのだと、あの日の居酒屋での出来事を思い出しながら感じました。

聖書朗読箇所 見よ

暑い日が続きます。 さすがに高温の時間帯の労働は避けていますが、お客さんにお願いして、少し早い時間から仕事をさせてもらっています。そのため最近は、ゆっくり読書をしたり、ブログを書いたりする時間がなかなか取れません。 少し夏バテ気味で、今度は冷房を効かせすぎたのか、「馬鹿は風邪をひかない」と言いますが、馬鹿のひく夏風邪でしょうか(笑)。少し喉が痛いです。 あと1か月もすれば、少しずつ涼しくなってくるでしょう。 そして、先日の熊本の災害に、少しですが義援金を贈ろうと思っています。 大きなことはできなくても、できる範囲で少しでも良い行いをする。 そんな今週のパラシャーは、פרשת ראה(レエ)。 冒頭に、 「見よ。私は今日、あなたがたの前に、祝福と呪いを置く。」 とあります。 祝福と呪いが目の前に置かれ、どちらを選ぶのかは自分自身。 自分の一番好きなテーマ、自由意志 ― Free Willですね。 ということで、今朝は「レエ」について、AIラビ様に教えてもらいました。 🧔‍♀️AIラビ教祖の教え 「良い行いをする」→「選ぶ」→「自由意志」→「レエ」という流れが、今回のパラシャーにきれいにつながると思います😊 おはようございます😊 今日はちょうどシャバット、2026年8月8日(25 Av 5786)。今週のパラシャーが פרשת ראה(パラシャット・レエ) です。朗読箇所は申命記11:26–16:17。 ハバット、ほかに 1 件 「レエ」は、今の人生にもかなり響くパラシャーだと思います。 פרשת ראה — Re'eh「見よ」 冒頭は非常に力強い言葉です。 רְאֵה אָנֹכִי נֹתֵן לִפְנֵיכֶם הַיּוֹם בְּרָכָה וּקְלָלָה Re'eh anochi noten lifneichem hayom berachah u'kelalah. 「見よ。私は今日、あなたがたの前に、祝福と呪いを置く。」 (申命記11:26) ハバット ここで面白いのは、神が「祝福だけを与える」と言っていないことです。 祝福と呪い、二つを目の前に置く。 そして、人間に選ばせる。 つまり今回の大きなテーマは、**בחירה חופשית(ベヒラー・ホフシート=自由意志)**です。 ストーリー モーセは約束の地を目前にしたイス...

詩編18:3

​תהלים יח ג יהוה סלעי ומצודתי ומפלטי אלי צורי אחסה בו מגני וקרן ישעי משגב この祈りは、詩篇の冒頭です。ダビデ王が敵から救われた時に歌った賛歌で、神をさまざまな比喩でたたえています。 原文 יְהוָה סַלְעִי וּמְצוּדָתִי וּמְפַלְטִי אֵלִי צוּרִי אֶחֱסֶה־בּוֹ מָגִנִּי וְקֶרֶן יִשְׁעִי מִשְׂגַּבִּי 訳 「主は私の岩、私の砦、私を救い出してくださる方。 私の神、私が身を避ける岩。 私の盾、私の救いの角、 そして私の高き砦である。」 一つひとつの言葉には意味があります。 סלע(セラ) … 岩、揺るがない土台 מצודה(メツダー) … 砦、要塞 מפלט(ミフラト) … 避難所、逃れ場 צור(ツール) … 永遠に変わらない岩 מגן(マゲン) … 盾 קרן ישעי(ケレン・イシュイ) … 救いの角(力・勝利の象徴) משגב(ミスガブ) … 高台、安全な避難場所 ユダヤ人の学び ユダヤ教では、この詩は神は人生のあらゆる場面で支えてくださることを教えています。 興味深いのは、神を一つの言葉では表現せず、 岩 砦 避難所 盾 高台 と、次々に呼び方を変えていることです。 つまり、 神の助けは一つの形ではなく、その時々に必要な姿で現れる という学びです。 あなたが最近よく書かれている「これも良いことのため(גם זו לטובה)」にも通じる考えですね。 有名なラビの教え ラシ ラシは、 「岩」とは決して動かないもの。 人は状況や感情で揺れますが、神だけは変わらない存在です。 だから人生が揺れても、 神という岩は揺れないと解説しています。 マルビム マルビムは、この詩に出てくる比喩を段階として説明します。 岩 … 支え 砦 … 守り 避難所 … 危険から逃れる場所 盾 … 戦いの最中の守り 高台 … 戦いの後も安全な場所 つまり、 人生の始まりから終わりまで、神はさまざまな方法で人を支えてくださる ということです。 無名なラビの教え あるハシディズムのラビは、この節をこう語りました。 「神が岩なのではない。 神を岩と思える心を持つ人が、人生の嵐に倒れない。」 人生から嵐がなくなるのではありません。 ...

夢と神様のみちびき

今朝、昔の夢を見ました。 20年前、本気で目指した単独世界一周ヨットレース「ヴァンデ・グローブ」。夢の中では、IMOCAを借り、資金を工面し、本当に出航を決意する直前のような、あの頃の緊張感と覚悟がよみがえっていました。 現実では、その夢は叶いませんでした。悔しさも、落ち込みも経験しました。しかし、その出来事があったからこそ、ユダヤ教を学び、祈りを知り、今の自分があります。 コヘレトの「ハベル・ハバリーム(空の空)」という言葉は、夢を否定するのではなく、「人生には神だけが見ておられる大きな流れがある」と教えてくれました。 振り返れば、叶わなかった夢もまた、神の導きの一部だったのかもしれません。

秋を感じる朝

少し秋を感じる朝 今日は涼しい朝ですね。 朝の気温は22℃。 少し肌寒いくらいで、「もう秋が近づいているのかな」と感じました。 とはいえ、天気予報を見ると最高気温は30℃弱。 真夏ほどではありませんが、今日は比較的過ごしやすい一日になりそうです。 先週から少し仕事が忙しく、暑い中で作業をしているせいか、毎日脂汗をかいています。 不思議なもので、こんな時は脂っこいものが食べたくなるんですよね。 やっぱり鰻でしょうか(笑)。 そうそう、先日食べた焼き茄子が本当に美味しかったんです。 たっぷりのエクストラバージンオリーブオイルでじっくり焼いて、生姜がなかったので、にんにく醤油でいただきました。 茄子がオリーブオイルをほどよく吸い込み、とろけるような食感に。 見た目は少しこってりしていますが、不思議と胃もたれせず、とてもヘルシーに感じました。 実は4リットル入りのオリーブオイルを買ったのですが、少し買い過ぎたかもしれません(笑)。 せっかくなので、これからはオリーブオイルを使った天ぷらやフライにも挑戦してみようと思います。 やはりエクストラバージンオリーブオイルは香りがいいですね。 料理をしながら広がる豊かな香りだけでも、ちょっと贅沢な気分になります。 暑さの中にも、少しずつ秋の気配を感じる朝でした。 PS 昨日は上京した際、ハラール対応のすき焼きがあったので、興味本位で食べてみました。 味はどうだったかというと……やはり日本のすき焼きのほうが美味しいですね(笑)。 とはいえ、これはこれで貴重な体験でした。 日本にいながら、海外旅行先で現地風にアレンジされたすき焼きを食べているような、不思議な感覚です。 町を見渡すと外国からのお客さんが多く、日本にいながら海外旅行をしているような雰囲気でした。 東京は、本当に世界が集まる街ですね。