新盆に「愚鈍」を読む
新盆ですので、今日は仏様の教えです。 ということで、『ブッダの真理のことば・感興のことば』を何気なく広げてみたら、なんとも自分にぴったりのような言葉が出てきました。 『法句経』第二十三章「象」325。 大食いをして、眠りを飲み込み、ころげまわって寝て、まどろんでいる愚鈍な人は、大きな豚のように糧を食べて肥り、くりかえし母体に入って、迷いの生存をつづける。 いやあ、耳が痛い(笑)。 食べて、飲んで、寝て、また欲しがる。 自分のことを言われているような気もします。 昔、「京都の祇園の飲み屋へ行くと、お坊さんが多い」なんて話を聞いた記憶があります。本当かどうかは知りません。 家のお寺のお坊さんなら、銀座で飲めるくらいのお布施です。 しかも、お布施には一般の商品やサービスの代金のように消費税がかかるものではありません。 もっとも、ここでお坊さんを笑って終わったら、この「愚鈍」という言葉を読んだ意味がありませんね。 ブッダが言っているのは、坊さんがどうとか、他人がどうとかではなく、 「お前自身は、欲に食われていないか?」 ということでしょう。 金が欲しい。 うまいものが食べたい。 楽をしたい。 人から認められたい。 坊さんにも欲はある。 水道屋にも欲はある。 人間ですからね。 新盆に仏様の前で、自分の「愚鈍」を少し眺めてみる。 そして菊を一輪。 湯を沸かして、茶を一服。 賢くなろうとするより、自分の愚かさを知る。 案外、それくらいがちょうどいいのかもしれません。 合掌。 PS 愚鈍すぎるのか、夏の疲れなのか、それとも飲みすぎなのか。 よくわかりませんが、このところ胃の調子が悪く、どうも欲が湧きません。 食欲もない。性欲もない。 欲を捨てれば楽になる――仏様はそう教えているのかもしれませんが、いざ欲がなくなってみると、なんだか寂しいものですね。 考えてみれば、食べたい、飲みたい、遊びたい、恋をしたい。 そんな欲に少しくらい溺れているのも、人間として楽しいことなのかもしれません。 欲があるから迷い、欲があるから苦しむ。 でも、欲があるから人生は面白い。 『デスペラード』。 ならず者、無法者、そして、どうしようもない人間。 仏様から見れば、まだまだ迷いの中をころげ回っている大きな豚かもしれません(笑)。 まあ、それも人間。 欲を捨てきれない自分を眺めながら、今日も一服のお茶をいただ...