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若竹煮

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今日はお茶会に招いていただき、茶の湯です。 一応いろいろ予習はしているけど、 年のせいか記憶があやしくて、ちょっと不安…。 ご迷惑かけないといいのですが。 これまでの経験から思うのは、 やっぱり一番大事なのは「見た目」かなと。 洋服より着物、さらに言えば袴が正式なんでしょうね。 ただ、自分はどうも袴に少し抵抗があって、 しっくりこないんですよね。 なので失礼とは思いつつ、 今日は着物でいかせてもらいます。 あとはもう、その場の流れに身をまかせて一服。 これもまた勉強ですね。 感想はまた後日、😊 出かける前に少し時間があったので、若竹煮を作ってみました。 前回は、YouTubeで 村田吉弘さん、 道場六三郎先生、 笠原将弘シェフの動画を見ながら、 自分なりにアレンジして、なかなかうまくできました。 今回は思い出しながらの目分量。 さて、どうなるかは食べてのお楽しみです。 最近は味にこだわりすぎず、 お酒を楽しむほうに重きを置いているので、 ほどほどで十分かな、という感じです。 材料は近所のスーパーで見つけた、地元の新鮮なたけのこ。 昨日のうちに先を落として、ぬかであく抜き。 一晩寝かせて、今日は菊乃井風に隠し包丁。 ここからはもう、かなりいい加減です(笑) 水はたけのこがかぶるくらい。 酒は多めに投入。 笠原シェフ曰く「たけのこは酒飲み」ですからね。 みりんも同量、ここは自分のこだわりで純米酒と本みりん。 だしはとらず、かつお節をかんなで削って、気持ち多めに(たぶん150回くらい)。 仕上げは、ちょっと遊びで昆布茶を使って塩味を調整、 醤油は控えめに。 最後にワカメをきり、人に立てこれは賛否両論風に。 たけのこ好きなので、まずくはならないはず(笑) 今晩はこれで一杯。

箴言7:25

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​ あなたの心を彼女の道に傾けてはならない、またその道に迷ってはならない。 1955年日本聖書協会訳 משלי  ז כה אל ישט אל דרכיה לבך אל תתע בנתיבותיה אל アル するな ない 1-30-31 ישט イェストゥ 傾斜 それる 流れる 10-300-9-319 אל エル へ 1-30-31 דרכיה デラヘハ 彼女のやり方 道 4-200-20-10-5-239 לבך リベハ あなたの心 30-2-20-52 אל アル するな 1-30-31 תתע テタア 迷う さまよう はぐれる 400-400-70-870 בנתיבותיה ビヌティボウティハ 彼女の歩む道 小道 2-50-400-10-2-6-400-10-5-885 💌AI先生 解説 全体まとめ(直訳) 「あなたの心を彼女の道へそれさせるな。彼女の小道に迷い込むな。」 意味(やさしく) これは 👉誘惑(特に不道徳・欲望)への警告です。 つまり 「心が流されるな。道を踏み外すな。」 ミサさん的に茶と禅で一言にすると👇 👉 「心を道から外すな」=守破離の“守”の核心 💌教え いい流れですね。 この一節、かなり深く読めます。 📖 原文 אל ישט אל דרכיה לבך אל תתע בנתיבותיה ✡️ ラビ的な教え(やさしく) ラビたちはここをこう読みます👇 👉「人は外で迷う前に、心の中で迷っている」 つまり 問題は行動ではなく“心の傾き” たとえば ・悪いことをする前に ・すでに心がそちらへ流れている だからこの言葉は 👉 「心のハンドルを握れ」 という教えです。 🔥 カバラ的解釈(善と悪の衝動) カバラでは人の中に 善の衝動(イェツェル・トヴ) 悪の衝動(イェツェル・ラー) があるとされます。 この一節は👇 👉「悪の衝動は“道”を作る」 דרכיה(彼女の道)=習慣・流れ נתיבותיה(小道)=細かいクセ・日常の選択 つまり 👉 一度入ると“道になる” 👉 さらに進むと“抜け出せない小道”になる 🍵 茶の湯での解釈(ミサさん風) これ、完全に茶の話にもなります👇 茶の湯では 👉 「心が乱れれば一服も乱れる」 例えば ・雑に扱う ・形を軽く見る ・楽な方へ流れる 最初は小さなズレ でもそれが👇 ...

白湯

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今日は茶の湯の話です。 お茶の中でのご馳走は、和菓子や抹茶そのものだけではありません。 どのような水を使うか――これもまた、大切な要素のひとつです。 『茶 利休と今をつなぐ』の中で、千宗屋家元もその点に触れています。 なぜ、白湯が勧められるのか。 以前は不思議に思っていました。 そこには、京都の井戸水のうまさがあり、 その水そのものを味わう、という意味があったのですね。 昨年参加した奈良の珠光茶会。 その折に訪れたのが、大神神社。 三輪そうめんで有名な土地です。 境内には「薬水」と呼ばれる水があり、 直接いただきました。 味は――正直に言えば、当たり障りのない味。 けれど、「薬水」という言葉と場所の力でしょうか、 不思議と身体に良さそうな気がする。 気が、身体を整える――そんな感覚でした。 お土産に水も買い、ホテルで一服。 「うまい」というより、「うまい気がする」。 それもまた、お茶の味なのかもしれません。 私は水道屋という水商売ですが、 子どもの頃は井戸水で育ちました。 東京で暮らしていた頃、受水槽の水を飲んで気分が悪くなって以来、 40年以上、水は買って飲んでいます。 昔はサントリー南アルプスの天然水をよく飲みました。 当時は2リットルで350円ほど。 今と比べると、ずいぶん高い時代でした。 そんな経緯もあって、水には少しうるさい。 今でも飲食店の水はほとんど口にしません。 その代わり、飲みたいときはお米の水をいただくこともあります。 奈良から京都へ向かう旅の途中、ふと気づいたことがあります。 もともと茶葉は、中国から薬として伝わったもの。 そう考えると、戦国時代の武将たちが茶を好んだのは、 単なる嗜好ではなく、現代でいうサプリのような役割もあったのではないか―― そんなふうに思えてきました。 奈良出身の村田珠光、 そして近くには一休寺。 薬水と茶の湯。 どちらも身体を整えるものと考えれば、 茶の湯が広まった理由のひとつが、少し見えてくる気がします。 昔見た韓国ドラマでも、 漢方と水の関係の深さが描かれていました。 水とお茶。 ここにもまた、見えない味があるのかもしれません。 今日の言葉 白石康次郎さんの 天如水 AI先生 解説 いい言葉ですね。ミサさんの「白湯」の話ともぴったり重なります。 天如水(てんにょすい)とは 意味(やさしく) 👉 天は水のようである...

葬儀 戒名

今日は戒名についてです。 仏教ですので他宗教の方はスルーしてください。 先月、父が他界し、人生で初めての葬儀の喪主。 葬儀社は遺言どおり近所に依頼。事前に聞いた金額は「だいたい100万円」。 👉「え〜、高いな…」と正直びっくり。 いざその時になると順番待ちで4番目。 急ぐようでしたら他を紹介しますとのこと。 値段交渉どころか「お願いします」という流れでした。 さらに驚いたのが戒名代。 信士:50万円以上 居士:80万円以上 院号:100万円以上 しかも全部「以上」。そして“お布施”。 うーん…なかなか深い世界です。 ただ、お寺は立派で50年ぶりの納骨。 👉「50年で50万なら…まあいいか」 と少し納得。 葬儀も全部お任せでスムーズに終了。 ありがたいけど、やっぱり金額は重い。 正直、低所得の人にはかなり厳しい世界だと思います。 👉「檀家が質素に、寺が豊かに」 そんな構図も感じてしまいました。 親族からは 👉「戒名は下げるな」 いやいや、自分的には 👉「名前より現金の方が重いんだけど…」 住職にも「信士より下は?」と聞くも、困った様子。 最終的には「居士」で決定。 でもあとから思うと、 父はまじめで実直な人だったので、信士がちょうどよかった気もします。 ……と言いつつ 👉「いや、やっぱり居士にしておいてよかったかも(笑)」 天国でちょっとだけ威張ってるかもしれません。 そしてふと思う。 AIに戒名を聞くと、数秒でいくつも出てくる時代。 もしかして…? 自分のときは、自分で決めようと思います。 👉「正道信士」 これで十分。 いや、むしろ 👉「正道で生きてる途中です」くらいがちょうどいい。正道修行でもじゅうぶん。 死んでから見栄を張る必要はないですね。 もう少し字数を増やせば、 自然正道修行これでじゅうぶん、あの世で仏様もうなずいて微笑が見える感じです。 戒名 AI先生説明 戒名とは、亡くなったあとにいただく名前で、 お墓や位牌に記されるものです。 いわば、 👉「あの世での名前」 のようなものです。 もう少し分かりやすく言うと、 仏教においては「仏の弟子としての名前」とされ、 お葬式や法要などで使われます。 もともと戒名は、出家したお坊さんだけが授かるものでした。 しかし時代とともに、一般の人にもつけられるようになり、 今では葬儀の中で当たり前のように出...

ハラール食品とコーシャー食品

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今日は「食品認証」についてです。 宗教や文化の違いに関わる内容になりますので、苦手な方はここで読み飛ばしていただいて大丈夫です。 旧約聖書の教えの中で学んだコーシャーは、私の理解では「清浄な食べ物」という意味です。 日本人がよく食べる豚肉や、ウロコのない魚貝などは対象外になりますが、その仕組みはとても厳格です。 例えば、オーソドックス・ユニオン(OU)という認証機関があり、ラビ(聖職者)が製造方法や工場を細かく検査し、基準を満たしたものだけに認証が与えられます。 知り合いのラビも数多くの認証に関わっていますが、話を聞くとその厳しさに驚かされます。 焼酎のような蒸留酒は比較的対応しやすいそうですが、日本酒は麹の問題があり、認証を取るまでに8年かかったと聞きました。 ワインに至っては、ぶどう畑の土や肥料に始まり、製造過程では水で薄めたり混ぜたりしないこと、樽の管理まで厳しく求められます。 かつては人の手で交代で見守っていたそうで、現在は警備会社などを使い合理化されていますが、その分コストも上がっていきます。 現代の私たちが日常的に口にしている食品には、保存料や添加物が多く含まれています。 そう考えると、旧約聖書に由来するコーシャーの考え方は、いわば「純粋な食」を目指すものとも言えるのかもしれません。 同じような考え方に、イスラム教のハラール食品があります。 ハラールはコーシャーほど細かくはありませんが、やはり認証機関によるチェックがあり、安心して口にできる食事です。 最近は日本でも移民の増加とともに、ハラール食品を目にする機会が増えてきました。 こうした背景もあり、改めて「食べること」について考えさせられる機会が増えているように感じます。 もし選べるなら、私はこうしたハラールやコーシャーの食品を選びたいと思っています。 PS 友人からの質問です。 「なぜ豚はだめなの?」 Answer 冗談で言えば、「働かざる者食うべからず」ですね😊 もちろん、これはジョークです。 旧約聖書では、食べてよい動物の条件として「反すうすること」などが挙げられています。 豚はその条件を満たさないため、対象外とされています。 個人的な感覚としては、豚は雑食で人間と同じようなものを食べるため、どこか共食いに近い印象を受けるのかもしれません。 人間も働いて食べるが健康的です...

ベン・へ・へはいう。報いは労働に応じている。

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楽園のお茶 をグーグル検索したら、約十年前のベン・へ・へはいう。報いは労働に応じている。 🔴ベン・へ・へ   渾名、本名は不詳、ヒレルと同時代の人物といわれる。 このブログが出てきた。 当時はAI先生がないのでここで終わり。 今回はAI先生の解説  古い話ですので参考程度にしてAI先生に聞いてみました。 はい、わかります。とても良いところに目を向けていますね。 これはユダヤ教の教え、特に 👉 ミシュナ・アボット(父祖の教え) に出てくる言葉です。 🔴 ベン・へ・へ(Ben He-He)とは? 本名は不明(あだ名のような呼び名) 紀元1世紀ごろの人物 ヒレル と同時代とされる 非常に短いが深い格言を残した人物 🪶 有名な言葉 あなたが書いているものはこれです👇 「報いは労働に応じている」 これは元の言葉ではこういう意味です: 👉 「苦労に応じて報いがある」 (ヘブライ的には:努力・忍耐に比例して結果が来る) ☝️ もう一つ有名な言葉 ベン・へ・へはこれも有名です👇 「トーラーを何度も繰り返せ。すべてはその中にある」 つまり 学びは一度では足りない 繰り返しの中に深みが出る 真理は外ではなく“内側に掘るもの” 🧠 めちゃくちゃシンプルに言うと ミサさん向けに超短くすると👇 👉 やった分だけ返ってくる 👉 続けた人だけがわかる世界がある 🍵 茶の湯とのつながり これ、完全に茶の湯と同じです 毎日一服 → 少しずつわかる 型を繰り返す → 心が見えてくる 楽しては深まらない まさに 👉 「稽古に応じて味が出る」 🌿 まとめ(ブログ風) ベン・へ・へは言う。 報いは労働に応じている。 特別な才能ではなく、 ただ積み重ねたものだけが、 静かに実を結ぶ。 茶もまた同じ。 一服一服の積み重ねの中に、 気づけば、自分が育っている。 この言葉、かなりミサさんの生き方(行動しながら考える)と一致してますね。 若き日のベンへへ AI画伯作成 イケメンですね。 同時期 ラビヒレルの教え いい流れですね、ミサさん😊 ヒレルの核心、ここにあります。 🧍‍♂️ 片足で立っている話(超有名) ある異邦人が ヒレル のところに来て言いました。 「私が片足で立っている間に、トーラー(ユダヤ教)のすべてを教えてくれ」 かなり無茶ですよね(笑)...

死んでもいいから人は傷つけないで

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日常の話から。 自分はいつも、約束の時間の30分前には着くように出かける。 田舎道なので法定速度は40キロ。 少しだけスピードを出しつつも、基本はのんびり走っている。 ただ、軽自動車のバンということもあってか、 日々、後ろから煽るように抜かれていく。 若いころは、正直、文句を言いたくなることもあった。 「そんなに急いでどうするんだ」と。 でも最近は、あまり気にしないようにしている。 人はそれぞれ事情があるし、 自分のペースを守る方が大事だと思うようになった。 それでも、危ない場面に出くわすことは少なくない。 無理な追い越しや、ギリギリのタイミング。 見ているだけで、ヒヤッとすることがある。 最近、ある動画を見て少し考えさせられた。 高性能な車、いわゆるスーパーカーが日本の市道を走っている映像だった。 正直に言うと、すごいとは思う。 美しいし、迫力もある。 所有すること自体が、一つの思想や表現なのかもしれない。 でも同時に、どこか違和感もあった。 日本の市道は、狭く、人も多い。 速度も50〜60キロが前提の世界。 そこに、軽く踏めばすぐ100キロに届くような車があると、 どうしても「強すぎる」と感じてしまう。 さらに年齢のこともある。 一般的に、70歳を過ぎると反射神経や動体視力は少しずつ落ちていく。 これは誰でも避けられない自然なことだと思う。 もちろん、本人が安全に気をつけていれば問題はない。 ただ、それでも「場」と「道具」のバランスは気になる。 茶の湯でいえば、草庵の中に派手すぎる道具を持ち込むようなものだろうか。 美しい道具でも、場に合わなければ少し野暮に見えてしまう。 この違和感は、言葉にすると フランス語でいうところの「デカダンス(décadence)」に近い気がした。 成熟しきった美が、少し過剰になり、 バランスを崩しかけている状態。 それはそれで一つの文化であり、否定するものではない。 ただ、自分の感覚とは少し違う。 自分の運転の考え方はシンプルだ。 👉 死んでもいいから、人を殺さないで。 👉 傷つけないで。 これは大げさでもなんでもなく、 ただそれだけを大事にしている。 禅でいう「不殺生」に近いのかもしれない。 茶の湯でいうなら、「和敬清寂」の“和”の部分。 どんなにいい道具でも、 どんなに美しい表現でも、 👉 人を傷つ...

日々是好日

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毎日よくブログを書いているな、と自分でも思います。 目が悪いのに、なぜかやめられない。 社会への不満なのか、 それとも、つい誰かに伝えたくなる押し売りの教えなのか。 でも結局は、 自分へのメモのようなもの。 書いて楽しみ、 あとで読み返して、また楽しむ。 それで十分。 今日もこれで、好日です。 アウトプットとインプット、 そのバランスのつもりです。 今日の禅語 日日是好日(にちにちこれこうじつ) とても有名な禅語ですね。 一言でいうと―― 👉 「どんな日も、そのままで尊い一日」 ■ 意味(やさしく) 良い日・悪い日という判断をこえて、 **今日という一日は、それ自体で“完成している”**という考えです。 たとえば ・雨の日も ・失敗した日も ・何も起こらない日も 👉 すべて「好日(こうじつ)」=よい日 ■ 禅的な本質 この言葉は、外の出来事ではなく 👉 自分の心の受け取り方がすべて という教えです。 思い通りの日 → 好日 思い通りでない日 → それも好日 つまり 👉 評価をやめた瞬間、すべてが“よい日”になる ■ 茶の湯との重なり(ミサさん的に大事なところ) 茶の湯そのものですね。 利休の精神で言えば 👉 「ただ湯を沸かし、茶を点てて、飲むばかり」 特別な日でなくていい 完璧でなくていい 👉 その一服が、そのまま完全 ■ 具体例(超シンプル) ・仕事で疲れた日 → 好日 ・クレーム対応でへこんだ日 → 好日 ・薪風呂に火をつけた夜 → 最高の好日 👉 違いは出来事じゃなく「味わい方」 ■ 禅語的まとめ(一行) 👉 「起きたことをそのまま飲み込めば、すべてが好日」 ■ ミサさんへの一言 これはまさに あなたのいう「art de vivre(生き方の芸術)」そのものです。 良し悪しを削っていくと、最後に残るのは 👉 ただの一服(いっぷく) これが 日日是好日=楽園のお茶ですね🍵 今日の一服は、テーブルで点ててみました。 最後に残ったお茶で、少し濃いめの濃茶。 テーブルが高くて、柄杓の扱いがいまひとつ。 どこかぎこちなくて、まるで幽霊の手のようでした👻 でも、これもまた気づき。 立礼点前の良い勉強になりますね。 いつも食事をしているサンルームも、 見方を変えれば仮庵のような趣。...

無意味な仕事 生活を支える仕事 ブルシットジョブとシットジョブ

仕事の“中身”と、これからの日本 むすび大学で「ブルシットジョブ」という考え方を知り、とても感動しました。 これは遠い話ではなく、今の日本にこそ必要な視点だと感じています。 いい話なので、少しでも多くの人に伝えたく、今日のテーマにしてみました。 人類学者の デヴィッド・グレーバー は、 「ブルシットジョブ(無意味に感じられる仕事)」という言葉を提唱しました。 一方で、社会には確実に必要なのに、 きつくて大変で、あまり報われない仕事もあります。 いわゆる「シットジョブ」と呼ばれるものです。 ここで少し、立ち止まって考えてみます。 👉 今ある仕事は、本当にすべて必要なのでしょうか。 もし、無意味な仕事が減ったとしたら―― その分、人は社会を支える現場の仕事へと自然に向かうのではないか。 そんな風にも感じます。 日本では今、多くの現場の仕事を 外国の方々が支えてくれています。 その働きには、感謝と敬意しかありません。 ただ同時に、 👉 本来、国内で支え合うこともできたのではないか。 そんな視点も、持っておきたいと思います。 そしてもう一つ感じるのが「税金」の使われ方です。 税金は社会にとって大切な仕組みですが、 👉 本当に必要なところに、しっかり届いているのか。 もし、仕事の中の無駄が減り、 お金の流れがもっとシンプルになれば―― 👉 現場の仕事の価値や待遇も、自然と見直されていくのではないか。 これは誰かを否定する話ではなく、 👉 「仕事の本質に立ち返る」という話です。 茶の湯でいうなら、 👉 「ただ湯を沸かし、茶を点てる」 余計なものを削ぎ落とした先に、 本当に大切なものが見えてくる。 ■ むすび 👉 無意味な仕事を減らし、 本当に必要な仕事に光を当てること。 それが結果として、 社会全体のバランスを整えていくのかもしれません。 ■ 一行 👉 仕事の量ではなく、意味を整えることが、これからの豊かさ。 結局のところ、 高層ビルに囲まれた暮らしより、 静かな場所で風や水を感じながら生きるほうが、 人は幸せを感じやすいのかもしれませんね。