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無一物中無尽蔵 

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師走は忙しく仕事に追われていました。 よいお年をお迎えください。 AI解説 無一物中無尽蔵(むいちもつちゅう むじんぞう) ―― 禅語としてとても深い一句ですね。 🔹 直訳 無一物:何一つ持たない 中:その中に 無尽蔵:尽きることのない宝がある 👉 「何も持たないところに、尽きることのない宝がある」 🔹 禅的な解説 この言葉は、 外に所有するものを増やすことが豊かさではない という禅の核心を突いています。 人はつい お金 地位 知識 名誉 技術 を「持つこと」で安心しようとします。 しかし禅では、それらはすべて仮のもの。 🔹 「無一物」とは貧乏ではない ここでいう「無一物」は ❌ 何もない空虚 ではありません。 ✔ 執着がない状態 ✔ 奪われるものがない心 ✔ 失う恐れのない自由 を意味します。 🔹 なぜ「無尽蔵」なのか 何も掴まない心になると、 感謝が自然に湧く 今ここが満ちていると知る 他人と比べなくなる 喜びが減らない つまり 心そのものが尽きない宝庫になる これが「無尽蔵」。 🔹 茶の湯との響き ミサさんの歩まれている茶の道とも、深く響きます。 草庵 簡素な道具 一碗の茶 そこには 「持たぬことで現れる豊かさ」 がありますね。 🔹 一言で言うなら 「何も足さなくてよいと知ったとき、人はすでに満ちている」 とても静かで、強い言葉です。 よい一句を選ばれました。 また一緒に味わいましょう。

コヘレト2:4

​わたしは自分の事業を大きくし、自分のために家々を建て、自分のためにぶどう畑を植えた。AI訳 קהלת ב ד הגדלתי מעשי בניתי לי בתים נטעתי לי כרמים הגדלתי ヒグダルティイ わたしは拡大した 5-3-4-30-400-10-452 מעשי マアサイ 仕事 行為 財 40-70-300-10-420 בניתי バニィティイ わたしは建てる 2-50-10-400-10-472 לי リィ わたしのために 30-10-40 בתים バティイム 家 2-400-10-40-452 נטעתי ナタアティイ わたしは植える 50-9-70-400-10-539 לי リィ わたしのために 30-10-40 כרמים ケラニィム ぶどう畑 20-200-40-10-40-310 聖書学者の教え ① ラシ(Rashi): 「“私のために”が繰り返される理由 ラシはここで繰り返される לִי(私のために) に注目します。 「すべてが“自分のため”であり、天のためではなかった」 つまり、 神のため 他者のため 共同体のため ではなく、 完全に自己目的で行われた事業・建設・所有であった、という指摘です。 この後に続く 「すべては空(הֶבֶל)」 という結論は、労働そのものではなく、その動機が“私”に閉じていたことへの批評だとラシは読みます。 ② イブン・エズラ(Ibn Ezra): 外面的成功の極致 イブン・エズラは、ソロモン(コヘレト)が 経済的成功 建築 農業(ぶどう畑=富と歓びの象徴) という 当時考えうる成功のすべてを実現した ことを強調します。 しかし彼はこう注します。 「完成したからこそ、空であると知った」 途中で失敗した者の虚無ではなく、 成功し尽くした者の虚無 である点が重要だ、と。

侘び茶のはじまり つづき 一休さんのアドバイス

村田珠光の小庵へ一休宗純和尚を招待して侘び茶の原型が始まる。自分が茶の湯を学んで一番知りたかったことです。なぜの疑問からはじまったことです。 一休宗純 土岐信吉著 p235より 奈良村田家は唐物の商いをしていた。 珠光は称名寺を出ることを決心してから、渋る父親を説得して、京の三条河原町に出張所も兼ねて小庵を作ることに成功した。珠光の小庵は六畳ほどの小書院の狭さを無視して、書院に憧れた猥雑な感じであった。これでも珠光は客を招くと得意の鼻をうごめかせた。 珠光が苦心して収集した茶道具を見ても一休は浮かぬ顔であった。 「茶は飲むことにつきる。道具のために茶はあるのではない。粗茶の尊さをわからねばならぬ。書院の茶は将軍などの暇つぶしの慰み事じゃ。珠光は茶の湯に一生をかけると言うが、中国式の生活様式の真似をするのに命をかけるのかな。庶民は飢え苦しんで、戦で逃げまわっておる。珠光がこの部屋の中に炉を切って客をもてなし、その目の前で点てるようにすれば、もっと部屋を狭くして台子もなくすることが出来ような」 珠光 「もっと狭くするとなると・・・・・・・四畳半にはできます」 一休 「飾りも出来るかぎり質素なものがよいぞ。行は苦行ばかりが行ではない。生きている実感をとり戻すことも行なのだ。この一休が飯を食うときの備前や信楽の飯茶碗は、日常の生活の垢によごれておるが、美しさを秘めておる。商品価値の低いものの中にも、徳も言われぬ自然の美しさがかくれておる。珠光が生涯でどれだけいのちを発見できるか楽しみじゃな」 その日からわずか三ヶ月で、珠光は侘び茶の原型ともいうべき四畳半に炉を切った茶室を完成させた。 

侘び茶 AIリライト

侘び茶の始まり ― 一休宗純と村田珠光の出会い ― (『一休宗純』p.230より) 1440年ごろ。 京都・三条河原町の街頭で、一休宗純は人々に向かって説法をしていました。 杖の先には、例によって髑髏(どくろ)。 それは「死」を突きつけ、人の生を目覚めさせるための、一休独特のやり方でした。 一休は語ります。 銭はどこまでいっても銭じゃ。 ものは心を癒してはくれぬ。 人にやさしくしてやれば、いのちがよろこぶ。 いのちがよろこべば、身体は健やかになる。 この言葉は、 「生きるとは何か」 「命を生かすとはどういうことか」 を、庶民の言葉で真っすぐに突くものでした。 その群衆の中に、一人の青年がいました。 後に侘び茶の祖と呼ばれる 村田珠光 です。 珠光は、一休に問いかけます。 「いのちとは何でしょうか」 一休の答えは、禅そのものでした。 いのちとは、 絶えず出入りし、移り変わるもの。 息を吸い、吐き、 食べ、排泄し、 人と影響し合う“動き”そのものじゃ。 貯めるだけで動かさぬと、いのちは衰える。 心も同じ。 心を動かし、人のためによいことをせよ。 そうすれば、いのちは輝く。 ここで語られているのは、 所有より循環、蓄積より働き。 命とは「抱え込むもの」ではなく、巡らせるものだという思想です。 深く心を打たれた珠光は名乗り、こう続けます。 「すぐそこの酒屋の隣に住んでおります。 これから小庵にお寄りください。 お茶でも進ぜたいと思います。」 この一言から始まったのが、 禅の精神を宿した茶、 すなわち 侘び茶の原点 でした。 豪華さでも格式でもなく、 命の動きに耳を澄まし、心を通わせる場としての茶。 街頭説法の一休と、 小庵に茶を点てる珠光。 この出会いこそが、 後の千利休へとつながる 「茶の湯=生き方」 の始まりだったのです。 侘び茶のはじまり(つづき) ― 一休宗純のアドバイス ― ※『一休宗純』p.235より 村田珠光の小庵に、一休宗純和尚が招かれた。 ここから、のちに「侘び茶」と呼ばれる茶の原型が、静かに動き出す。 私自身、茶の湯を学びはじめて、 「なぜ茶は、あのかたちになったのか」 この疑問こそが、いちばん知りたかったことだった。 ■ 珠光の小庵と、一休の違和感 奈良の村田家は、もともと唐物を扱う商いの家である。 珠光は称名寺を出る決心を固め、父を説得し、 京・三条...

侘び茶の始まり、一休和尚と村田珠光

​  侘び茶の始まり、一休和尚と村田珠光の出会い。 一休宗純 土岐信吉著 p230      1440 年ごろ。 ある日、一休は三条河原町の街頭で演説をしていた.例によって髑髏を杖の先にくくりつけたものを持っている。 「・・・・・・・・・・・眠っている間は、自分が気がつかぬ うちに、仏が守ってくださるから生きておるのよ。銭はどこまでいっても銭じゃ。銭はもの。ものは心を癒してくれはせぬ。人にやさしくしてやれば気持ちが良いものだ。なぜ気持ちがよいかというといのちがよろこんでいるからよ。つらい世の中じゃ。このような時代にこそ命を生かすことを忘れてはならぬ。飢えぬほどに食うて、人によくしてやれば必ず長生きする。いのちがよろこべば身体は健やかになるからだ」 「いのちとは何でしょうか」 群衆の中にいた珠光は問いを発した。 「いのちとは絶えず移り変わり、いつも出入りしておる様を言う。息を吸って吐き、食物を食べて排泄する。入るばかりでは病気になる。まわりの人との間も複雑に影響しあっておる。この動きを止めたとき、いのちは輝きを失う。銭を貯めるだけでは、自らの健康が害されてしまう。貯めたものを守ろうとすれば動きが止まる。そうなればいのちは衰える。心の動きもそうじゃ。いつも心を動かせ、まわりの人々の為によいと思うことをしてやる。そうすればそなたのいのちは輝くことになる」 「わたくしは村田珠光と申しまして、すぐそこの酒屋の隣に住んでおります。これから小庵にお寄りくださいませんか。お茶でも進ぜたいと思います」

南方録 茶会

​南方録 戸田勝久 訳 茶会 南坊宗哲の質問 「客と亭主が互いに交流する、その間の心構えとはいかなるものでしょうか」と利休におうかがいしました。 利休が答えて「お互いの気持ちがあるべくして出会うのがよいのです、気持ちを合わせようとするのはいけません。茶の道に通達している客と亭主ならば、自然に気心が合って気分のよいものです。未熟の人は自分の気持を枉げ、相手の気持ちを忖度して行動しますから、もし一方が相手に対する判断を誤れば、とんでもない方向に行って、相方ともに不快になるのです。ですから、おのずから叶うということがよいのです、相手に合わせようとするのはいけません」(覚書) AI解説 噛みくだいて解説します。 🔹 利休の言いたいこと(要点) 「合わせようとしないことが、真に合うこと」 です。 🔹 もう少し分かりやすく • 本当に茶の道を身につけた客と亭主 は、 無理をしなくても、自然に心が通い合います。 👉 ちょうど、息を合わせようとしなくても歩調が合うようなもの。 • 未熟な人 は、 • 相手にどう思われるか • 空気を読もう、合わせよう と考えすぎてしまう。 • すると、 • 自分の心をねじ曲げ • 相手の心を勝手に想像し • どちらも疲れて不快になる 👉 「気を使う」ほど、ずれていく。 🔹 利休の結論 「おのずから叶う」のがよい • 作ろうとした調和は、偽物 • 生き方・修行が整っていれば、 出会うべくして出会い、自然に調和する 茶会とは、 気遣いの競争ではなく、心のあり方がそのまま現れる場 だ、という教えです。 🔹 一言で言うなら 「和は、作るものではなく、現れるもの」 ミサさんがよく語られる 「あるがまま」「無策の策」「随所作主」 と、ぴたり重なりますね。 ☺️ 詳しく質問 ANSER  はい、まさに  「随所作主(ずいしょさくしゅ)」  そのものですね。 🔹 随所作主とは(とても簡単に) 「どこにいても、誰といても、自分の心の主人であれ」 という禅語です。 🔹 茶の湯との関係(利休の答えと一致) 利休が言った 「相手に合わせようとするのはいけません」 これはつまり、 • 客に合わせて“よい亭主”を演じない • 亭主...

箴言7:20

​ 手に金袋を持って出ました。満月になるまでは帰りません」と。 1955年日本聖書協会訳 AI訳 「銀の袋を手に持って旅にでております、彼は“満月の日に”になれば家に帰ってくる」 משלי ז כ צרור הכסף לקח בידו ליום הכסא יבא ביתו צרור ツェロウル 袋 バッグ 90-200-6-200-496 הכסף ハケセフ シルバー お金 5-20-60-80-165 לקח ラカフ 彼は一緒に 袋と 30-100-8-138 בידו ベヤドゥ 彼の手に 2-10-4-6-22 ליום レヨウム その日まで その日のために その日に向けて 30-10-6-40-86 הכסא ハケセェ 満月 5-20-60-1-86 יבא ヤボォ 戻ってこない 10-2-1-13 ביתו ベイトゥ 彼の家に 2-10-400-6-418 教祖AIより 油断は心のゆるみ。満月は、全てが明らかになる時。 箴言7:20 は “心の隙をつくらない”というおしえです。 賢者ラビ(聖書学者)の教え ①ラシ 「油断こそ、罪の入り口である。」夫が不在という隙が誤った道へ人を誘う。 ②ラダック 「人は“まだ大丈夫”と思う時に一番危ない」“満月まで帰らない”という安心感が落とし穴。 ③マルビム 「秘密は必ず明らかになる。」満月のように、隠し事はいつか光の下で示される。 ④ラビ・ヒルシャ 「心の油断は、行いの油断を生む。」まず心で許し、その後で手が動く。 מוסר ムサール 心を整える。 「わずかな油断が、大きな過ちを呼ぶ。」 (性質)は、ほんの小さな緩みから崩れる。

南方録 南坊録 大亀和尚様より

一休宗純と千利休がつながりました。 『利休の侘び茶』(立花大亀著) p.143  には、南坊宗哲と利休の深い交流について、次のように記されています。 南坊宗哲は千利休にたびたび質問し、利休から実に細かな指導を受け、それらを丹念に書き留めました。その記録を、宗哲は利休居士の三回忌に仏前へ供え、居士の精神を形にしたその書を捧げたのち、飄然と姿を消したとあります。 🏯   茶道史の背景 ここで触れられる一休・岐翁・南坊宗哲の流れは、 ** 侘び茶の成立史における重要な “ もう一つの側面 ”** を示しています。 ●  一休宗純(禅)  →  村田珠光(侘びの原型) 室町時代、一休宗純の禅の精神が村田珠光に受け継がれ、 「飾らず、心を澄ませる茶」 すなわち侘び茶の原型が生まれました。 ●  珠光  →  武野紹鴎  →  千利休 珠光の精神は武野紹鴎に継がれ、さらに利休に至って侘び茶として完成します。 利休は、わずかな道具と空間の中に、無限の深さを見いだしました。 🧘   一休の影響を伝える “ もう一つの系譜 ” 本文は、この珠光とは別の系譜──一休の直系に連なる岐翁と南坊宗哲が利休と接点を持つという、きわめて興味深い歴史的事実を示しています。 一休の子・岐翁は、一休と喧嘩して堺へ下りました。 そこで淡路屋という船問屋の親方が彼のために庵を建てました。これが集雲庵です。 一休の遺稿に『狂雲集』がありますが、その「雲集」を逆にして庵の名としたと言われています。庵は堺の南ノ荘にあったため、岐翁は「南坊」と呼ばれるようになりました。 宗哲はその淡路屋の子息で、岐翁に師事し南坊に住んだため、南坊宗哲と名乗りました。 📜   南坊宗哲と千利休 『南方録』を読むと、宗哲と利休の関係がきわめて親密であったことが分かります。 侘び茶を極めた利休に対し、宗哲は禅の深い理解を持つ人物で、両者の交流から侘び茶の精神性がさらに深まったと考えられています。 おそらく利休は、自刃に至る真相を南坊にだけ語ったのではないか──と著者は推測しています。 その内容は他人に語れば一大事。ゆえに宗哲は利休の三回忌を済ませたのち、静かに姿を消したのでしょう。 一休と利休の距離が近づいた理由...

侘び茶 角盆点前

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自己流で侘び茶を点て、角盆点前を考え、それで近ごろは茶を点てています。 利休居士の言うように、茶はただ湯をわかし、点てて飲むだけのもの。 茶室も持っておらず、湯呑み友達もいないので、儀式や作法にこだわることなく、利休さんの教えのように、ただシンプルに楽しめればそれでよいのだと思います。 禅を学びながら。立花大亀和尚の教えです。 立花大亀とは(とても簡単に) 臨済宗の禅僧。 茶の湯と禅を一つの“心の道”として説いた人。 ・1900年生まれ、相国寺の名僧。 ・**「茶の湯は禅そのもの」**という立場で、多くの茶人・ 文化人に影響を与えた。 ・千利休の侘び茶、珠光・紹鴎の心と、 禅の核心をつなぐ架け橋のような存在。 ・言葉は柔らかいが、教えは鋭く、  「心を空(くう)にして、あるがままに生きよ」  を徹底して説いた。 🪷 代表的な教え(超要点) ● 茶の湯は“心の稽古”である 点前の形ではなく、「心の態度」がすべて。 ●不立文字──大切なことは言葉にならない 茶も禅も、結局は経験の中でしかつかめない。 ・あるがままを肯定する“自然”の道 無理に飾らない、作らない、比べない。 禅は「減らすこと」で深くなる。 ・静中に真実あり 忙しさの中より、静けさの中に自分が見える。

詩編17:8

1955年日本聖書協会訳  ひとみのようにわたしを守り、みつばさの陰にわたしを隠し、 AI訳 どうかわたしを守ってください。あなたの瞳の黒目のように大切に。あなたの翼の影に、わたしをそっと隠してください。 ^_^自分が思うにはイスラエル学問では、ヘブライ単語に多くの意味が含まれ、理解して疑問を持つことが最高の学び。疑問を持てなければ洗脳と同じになりますね。 ​תהלים יז ח   שמרני כאישון בת עין בצל כנפיך תסתירני שמרני シャムレニイ わたしを守ってください 300-40-200-50-10-600 כאישון ケエイショウン  瞳のように 20-1-10-300-6-50-387 בת バトゥ 娘の 2-400-402 עין 目 アイン 70-10-50-130 בצל べツェル 影の中に 2-90-70-162 כנפיך ケナフェィファ あなたの翼の 20-50-80-10-20-180 תסתירני タスティレニィ わたしを隠してください 偉大なラビの教え 1 ラシ先生 「瞳=最も守られる場所」 ラシは「瞳(אישון)を“人間が本能的に最も守る場所”と説明します。 👉神様が人を守るのも、それほど深く・本能的で自然なものだという教え。 2ラダク先生 「映る小さな人」 ラダク先生は「אישון」を瞳に映る小さな人影(像)と説明します。 👉神様の瞳に映る自分とは、神様の意識の中心に置かれている存在という教え。 3メッツダット ダヴィッド 「雛を守る翼」 翼の影 (בצל כנפיך)とは「母鳥が雛を守るような保護」を象徴する、と述べてます。👉神様の守りは厳しさではなく“暖かい包容”である。 4ミドラーシュ テヒリイム 「光と影の守り」 ミドラーシュはこう教えます。「神様は光の中でも影の中でも人を守る。影は隠すため、光は導くため。」👉困難(影)も祝福(光)も、守りの一部である。 5タルムード的解釈 「瞳の守りは反射的」タルムードの精神では人は瞳に何かが近づくと反射的に手で防ぐ。 👉神様の守りも“瞬時で本能的”呼ぶ前から守りが働く。 6ザルマン シュネルソン (ハシディズム) ニューヨークのキリスト・・・・・・「翼=シェキナーの影」 ハシディズムでは、“翼の影は”シェキナー(神様の臨在)の覆...

三千家の元祖 乞食宗旦

三千家の元祖は千宗旦であり、宗旦は千利休の孫にあたります。 その質素をきわめた生き方から「乞食宗旦」と呼ばれましたが、 この “ 乞食 ” こそ、侘びの生活そのものであり、まさに禅の実践であったと言えるでしょう。 三千家の関係はこうです。 次男・宗守の家が武者小路千家(武者小路通に屋敷を構えたことによる名)。 三男・宗左の家が表千家(正面、本筋の家)。 四男・宗室の家が裏千家(表の屋敷の裏手に位置したため)。 その特色をまとめれば、 表千家は正統にして品格、 裏千家は柔和にして実用、 武者小路千家は質素・侘びの色が濃いと言われます。 自分は、茶道を学び始めてから、 この三千家の背後に、一休宗純の影響があるのではないかという疑問を抱くようになりました。 まだその疑問は疑問のままですが、 宗旦の侘びと禅の生活を思うと、どこか通じるものを感じずにはいられません。 鈴木大拙の本で、禅と茶道、で宗旦と侘び茶を、茶禅同一味 又は禅茶録で紹介しています。 繰り返しになりますが。昔の漢字でこれを本より写すのに3時間かかりました。 はじめにAIの現代語訳より 鈴木大拙 禅と茶道 現代語訳 【やさしい現代語訳】茶禅同一味 又は茶禅録 「侘び(わび)」という一字は、 茶道では特に大切にされ、守るべき心として重んじられてきました。 しかし世の中の人は、 表向きだけ侘びているように見せかけても、 本当のところは侘びの心など持っていないことが多いのです。 見た目だけ侘び風の茶室をつくりながら、 実際には多くのお金を使い、 珍しい茶道具を田畑と交換してまで手に入れ、 客に見せびらかしては、 「これが風流だ」などと言う。 これがいったい侘びと言えるでしょうか。 本来の「侘び」とは、 物が足りず、思いどおりにならない中でも、 自分の欲やわがままを押し通さず、 静かに身を慎んで生きる心のことです。 「侘さい」という言葉を説明した古い書物には、 「侘は立ち止まること、さい(塞)はとどまること。 憂いや失意の中で進めずにいる状態である」とあります。 また、『釈氏要覧』という仏教書にはこうあります。 獅子吼菩薩が 「少欲(欲を少なくすること)と知足(足ることを知ること)の違いは何か」と尋ねると、 仏は「少欲の人は求めず、知足の人は得ても悔いない」と答えました。 この教えを「侘び」の意味と合わせれば、 侘びと...

鈴木大拙より 茶亭之記 沢庵

宮本武蔵の小説に出てくる沢庵和尚だと思います。 ​鈴木大拙の本より、 それをAIに訳してもらいました。  江戸時代の茶亭の記録ですね。茶人が殿様の茶汲みをする前が本当の茶道だったのではないかと想像されます。 🪷 【やさしい現代語訳】 茶亭之記  沢庵 茶の湯というものは、 天地自然の調和したエネルギーをもとにして、 人の心と世の中を穏やかにする道である。 ところが今の人々は、 茶を友人を集めるための口実にしたり、 飲食の楽しみとして利用したり、 見栄や贅沢の手助けにしてしまっている。 茶室を飾り立て、 珍しい茶碗を集め、 自分の技巧を誇り、 相手の下手さを笑う。 そんなものは、本来の茶の湯ではない。 だからこそ、本当の茶の湯とは、 竹や木の陰に小さな庵(いおり)を構え、 水や石を置き、草木を植え、 炭をくべ、釜をかけ、花を生け、 ごく自然な茶道具を備えることだ。 それらはすべて、 山川自然の風景を一つの小さな茶室に映しとるため。 そして四季の雪・月・花の景色を味わい、 草木の盛衰に心を寄せ、 客を迎えて敬意を尽くす。 釜の中で湯がたぎる「松風」の音を聞き、 世の中の雑念を忘れ、 柄杓から流れる静かな水音に耳を澄ませば、 心のほこりが洗われていく。 茶の湯とは、本当に人間の仙境(せんきょう:心の楽園)である。 礼の根本は「敬」であり、 その働きは「和」である。 これは孔子が説いた礼の精神で、 そのまま茶の湯の心にも通じる。 たとえば、身分の高い人が来ても うわつかず、へつらわず、 また自分より下の人にも、 慢心を持たずに、真心からの敬意を示す。 これはまさに、 目に見えない「物」がそこに静かに存在し、 共に調和していながら、決して流されない心であり、 深い敬虔(けいけん)の気持ちが続く様である。 マハーカッシャパの微笑み、 曾子の一声の「唯」、 言葉では説明しきれない真如(しんにょ:究極の真理)を思わせる。 だから、茶室づくりから茶道具の準備、 点前や会席、衣服にいたるまで、 無理なく、飾らず、わずらわしくなくすればよい。 華美を好まず、 古い道具の風格の中に新鮮な心を見出し、 四季の自然を忘れず、 疑わず、恐れず、欲張らず、 謙虚でありながら、よそよそしくなく、 素直で真実な茶の湯こそ、 本来の茶の湯である。 こうして天地自然の和やかな気を味わい、 山や川、木や石...