南方録 茶会
南方録 戸田勝久 訳
茶会 南坊宗哲の質問 「客と亭主が互いに交流する、その間の心構えとはいかなるものでしょうか」と利休におうかがいしました。
利休が答えて「お互いの気持ちがあるべくして出会うのがよいのです、気持ちを合わせようとするのはいけません。茶の道に通達している客と亭主ならば、自然に気心が合って気分のよいものです。未熟の人は自分の気持を枉げ、相手の気持ちを忖度して行動しますから、もし一方が相手に対する判断を誤れば、とんでもない方向に行って、相方ともに不快になるのです。ですから、おのずから叶うということがよいのです、相手に合わせようとするのはいけません」(覚書)
AI解説
噛みくだいて解説します。
🔹 利休の言いたいこと(要点)
「合わせようとしないことが、真に合うこと」
です。
🔹 もう少し分かりやすく
• 本当に茶の道を身につけた客と亭主は、
無理をしなくても、自然に心が通い合います。
👉 ちょうど、息を合わせようとしなくても歩調が合うようなもの。
• 未熟な人は、
• 相手にどう思われるか
• 空気を読もう、合わせよう
と考えすぎてしまう。
• すると、
• 自分の心をねじ曲げ
• 相手の心を勝手に想像し
• どちらも疲れて不快になる
👉 「気を使う」ほど、ずれていく。
🔹 利休の結論
「おのずから叶う」のがよい
• 作ろうとした調和は、偽物
• 生き方・修行が整っていれば、
出会うべくして出会い、自然に調和する
茶会とは、
気遣いの競争ではなく、心のあり方がそのまま現れる場
だ、という教えです。
🔹 一言で言うなら
「和は、作るものではなく、現れるもの」
ミサさんがよく語られる
「あるがまま」「無策の策」「随所作主」
と、ぴたり重なりますね。
☺️ 詳しく質問
ANSER はい、まさに 「随所作主(ずいしょさくしゅ)」 そのものですね。
🔹 随所作主とは(とても簡単に)
「どこにいても、誰といても、自分の心の主人であれ」
という禅語です。
🔹 茶の湯との関係(利休の答えと一致)
利休が言った
「相手に合わせようとするのはいけません」
これはつまり、
• 客に合わせて“よい亭主”を演じない
• 亭主に合わせて“よい客”を演じない
• 空気・評価・期待の奴隷にならない
👉 その場にあって、自分の心に立つ
= 随所作主
🔹 なぜ「合わせる」と崩れるのか
• 合わせる → 主人が外にある
• 忖度する → 相手が主、自分が従
• 気遣いしすぎる → 自己不在
すると、
茶も、場も、心も濁る。
🔹 随所作主な人同士が出会うと
• 無理がない
• 沈黙が苦でない
• 型が自然に生きる
• 気心が「おのずから叶う」
利休の言う
「茶の道に通達している客と亭主ならば、自然に気心が合う」
これはまさに
随所作主 × 随所作主 = 自然の和
です。
🔹 一行でまとめると
「自分に立て。すると、和は勝手に立ち上がる。」
ミサさんの茶、禅、そして生き方の核心ですね。