侘び茶の始まり、一休和尚と村田珠光
侘び茶の始まり、一休和尚と村田珠光の出会い。
一休宗純 土岐信吉著
p230 1440年ごろ。
ある日、一休は三条河原町の街頭で演説をしていた.例によって髑髏を杖の先にくくりつけたものを持っている。
「・・・・・・・・・・・眠っている間は、自分が気がつかぬ
うちに、仏が守ってくださるから生きておるのよ。銭はどこまでいっても銭じゃ。銭はもの。ものは心を癒してくれはせぬ。人にやさしくしてやれば気持ちが良いものだ。なぜ気持ちがよいかというといのちがよろこんでいるからよ。つらい世の中じゃ。このような時代にこそ命を生かすことを忘れてはならぬ。飢えぬほどに食うて、人によくしてやれば必ず長生きする。いのちがよろこべば身体は健やかになるからだ」
「いのちとは何でしょうか」
群衆の中にいた珠光は問いを発した。
「いのちとは絶えず移り変わり、いつも出入りしておる様を言う。息を吸って吐き、食物を食べて排泄する。入るばかりでは病気になる。まわりの人との間も複雑に影響しあっておる。この動きを止めたとき、いのちは輝きを失う。銭を貯めるだけでは、自らの健康が害されてしまう。貯めたものを守ろうとすれば動きが止まる。そうなればいのちは衰える。心の動きもそうじゃ。いつも心を動かせ、まわりの人々の為によいと思うことをしてやる。そうすればそなたのいのちは輝くことになる」
「わたくしは村田珠光と申しまして、すぐそこの酒屋の隣に住んでおります。これから小庵にお寄りくださいませんか。お茶でも進ぜたいと思います」