侘び茶のはじまり つづき 一休さんのアドバイス
村田珠光の小庵へ一休宗純和尚を招待して侘び茶の原型が始まる。自分が茶の湯を学んで一番知りたかったことです。なぜの疑問からはじまったことです。
一休宗純 土岐信吉著 p235より
奈良村田家は唐物の商いをしていた。
珠光は称名寺を出ることを決心してから、渋る父親を説得して、京の三条河原町に出張所も兼ねて小庵を作ることに成功した。珠光の小庵は六畳ほどの小書院の狭さを無視して、書院に憧れた猥雑な感じであった。これでも珠光は客を招くと得意の鼻をうごめかせた。
珠光が苦心して収集した茶道具を見ても一休は浮かぬ顔であった。
「茶は飲むことにつきる。道具のために茶はあるのではない。粗茶の尊さをわからねばならぬ。書院の茶は将軍などの暇つぶしの慰み事じゃ。珠光は茶の湯に一生をかけると言うが、中国式の生活様式の真似をするのに命をかけるのかな。庶民は飢え苦しんで、戦で逃げまわっておる。珠光がこの部屋の中に炉を切って客をもてなし、その目の前で点てるようにすれば、もっと部屋を狭くして台子もなくすることが出来ような」
珠光 「もっと狭くするとなると・・・・・・・四畳半にはできます」
一休 「飾りも出来るかぎり質素なものがよいぞ。行は苦行ばかりが行ではない。生きている実感をとり戻すことも行なのだ。この一休が飯を食うときの備前や信楽の飯茶碗は、日常の生活の垢によごれておるが、美しさを秘めておる。商品価値の低いものの中にも、徳も言われぬ自然の美しさがかくれておる。珠光が生涯でどれだけいのちを発見できるか楽しみじゃな」
その日からわずか三ヶ月で、珠光は侘び茶の原型ともいうべき四畳半に炉を切った茶室を完成させた。