無限の無

創世記 はじめに 手島佑郎先生より

聖書はいう。

「はじめに、神は天と地を創造された」

そこでユダヤ人は考える。天と地を作る前には、そこに何があったか。

「有」が出現する前に、何があったか。有のまえは、無だ。無しかありえない。

「無」いがいには、なにもない。無限に無だ。

なにもないから、なにかをつくりたくなった。そのなにもないう。「無限の無」が、有をあらしめようとしたのだ。

とすれば、この「無限の無」こそ。神である。無であるがゆえに、有をいとおしく思うのだ。



​

円相――無・一・如

少し禅の学びです。

円相は、禅でよく描かれる一つの円です。

無
何もない。
しかし、何もないからこそ、何にでもなれる。
空っぽの茶碗だから、お茶をいただくことができます。

一
あれこれ分ける前の「一つ」。
自分と他人、良い悪い、損と得。
分ける前には、すべてが一つの円の中にある。

如
「あるがまま」「そのまま」。
花は花のまま、水は水のまま。
無理に飾らず、そのままを受け入れる。

手島佑郎先生の「無限の無」を読んでから円相を見ると、不思議につながって見えてきます。

無から有が生まれ、
一となり、
如――あるがままに存在する。

そして最後は、また無へ。

茶の湯も同じかもしれません。

余計なものを一つずつ引いていき、
最後に残る一服のお茶。

無 一 如

三文字だけで十分。

これも侘び茶の「引き算の美」なのかもしれません。🍵

――AI禅士より




5時間近く続けています。目がかすんできてます。💦

このブログの人気の投稿

ラビ ヒレルの格言

円相

③ ヨットの守破離