聖書から考える通貨発行権 ユダヤの学び #4
PS
今回は「通貨発行権」という、少し難しい話です。
私自身、10年以上考えていますが、いまだに分からないことばかりです。
一度で理解しようとせず、聖書と同じように、何度も繰り返し読んで、少しずつ分かっていけばいいのだと思います。
分からなければ、またAI先生に聞けばいい😊
AI様様です。
本当に便利な世の中になりました。
それでは、「聖書から考える通貨発行権」、です。
1980年代後半から1990年ごろ、日本にはバブル経済と呼ばれる時代がありました。
ちょうどそのころ、私は浅草のタミール(株)でアルバイトをしながら、ヨットレースのクルーとして修行していました。
景気が良くなるにつれて、ヨットはどんどん大きくなる。アルバイト代も上がり始める。仕事の量に対して働く人の数が足りない。世の中全体が、ものすごい勢いで動いていたことを覚えています。
そんな時代でも、私は海に出てセーリングをしていました。
海に出れば、景気が良かろうが悪かろうが、風と波は変わりません。判断を間違えれば船は走らない。自然の前では、浮かれている暇もありません。
そのおかげでしょうか。
世の中は「バブル」になりましたが、私はバブルにはならず、石鹸のままでした☺️
……冗談はさておき。
あれから30年以上が過ぎました。
最近、物価が上がり、仕事も次々に入ってきます。休みもなかなか取れません。どこか、あのころの空気を思い出すことがあります。
ただし、自分の身体は30年前と同じではありません。
昔のようには動けない。酒も好きですが、肝心の身体は年相応になってきました。
だから明日は、ゆっくり安息したいと思います。
30年前の自分には、海とセーリングがありました。
風を見て、波を見て、余計なことを考えず、自分の船を走らせる。それが、浮かれていく世の中から少し離れて冷静さを保つ時間だったのかもしれません。
そして今の私には、旧約聖書の学びがあります。
物価が上がろうが、仕事が増えようが、世の中の速度に合わせて自分まで速く走る必要はない。
安息する。
足るを知る。
自分のペースで生きる。
そんなことを、今あらためて考えています。
私は旧約聖書、とりわけモーセ五書を10年以上読み続けています。
その間、ずっと頭から離れない疑問があります。
国とは、どのようにしてできるのだろう。
そして、
その国のお金は、誰が発行するのだろう。
なぜ、ただの紙や数字を人々は「お金」と信じ、それを使って社会が成り立っていくのだろう。
10年以上考えていますが、いまだに答えは出ません。
モーセ五書には、現代の中央銀行も紙幣もありません。
それなのに、土地、労働、借金、利息、貧困、富、安息年、ヨベル、そして王の権力まで、人間が共同体を作って生きるための問題がたくさん書かれています。
もしかすると、「誰がお金を発行するのか」だけを考えていては、答えにたどり着かないのかもしれません。
それでは――
AI先生に聞いてみますか?☺️
今日のテーマは、
「通貨発行権とバブル経済――エデンの経済学」
です。
💌AI経済学者 Answer
はい。これは面白い問いです😊
しかも、モーセ五書を長く読んでいるからこそ出てくる問いだと思います。
私ならまず、**「モーセ五書には通貨発行権を持つ国家という発想が、まだ中心にない」**ところから考えます。
創世記では銀(ケセフ)がすでに交換・支払いに使われています。アブラハムがマクペラの畑と洞窟を買うときも、王が紙幣を発行するのではなく、銀400シェケルを量って渡す(創世記23章)。「シェケル」はもともと重量の単位です。
つまり最初は、
国家 → 通貨を発行 → 国民が使う
というより、
価値のある銀 → 重さを量る → 人々が信用して交換する
という世界です。
そして出エジプト記から申命記へ進むと、神がイスラエル共同体を形づくります。しかし、最初に与えるものは「中央銀行」でも「貨幣」でもありません。
律法(トーラー)です。
ここが私は非常に面白いと思います。
国家を成立させる順番を、あえて単純化すると、
人々 → 契約 → 法 → 裁判 → 所有 → 労働 → 交換 → 貨幣
となる。
つまり、お金より先に「信用を成立させる社会」が必要なんです。
そしてトーラーは貨幣そのものより、むしろ貨幣を使う人間に規則を課します。
「正しい秤を使いなさい」
「利息で同胞を苦しめるな」
「貧しい者を見捨てるな」
「負債を永遠に背負わせるな」
「労働者の賃金を遅らせるな」
という方向です。
だから、ミサさんが10年以上考えている、
「通貨は誰が発行すれば社会が成り立つのか?」
という問いを、トーラー側から逆に見ると、少し違う問いが出てきます。
「誰がお金を発行するか」より、
「なぜ人々はそのお金を信用するのか?」
です。
金貨でも紙幣でも銀行預金でも、究極的には**「明日もこれを他人が受け取ってくれる」という信用**がなければ、お金として機能しません。
ここから現代国家に進むと、税金が非常に重要になります。
国家が「この通貨で税を納めなさい」と決める。国民はその通貨を必要とする。国家はその通貨で公務員や事業者に支払う。民間では銀行も貸し出しによって預金通貨を作る。
ですから現代の「通貨発行権」は、実は単純に政府だけが札を印刷する権利ではありません。
国家・中央銀行・民間銀行・国民の信用が組み合わさった仕組みです。
そして、ここからが「エデンの経済学」の核心になりそうです。
もし無人島に100人が漂着したとします。
最初の日にはお金はありません。
でも、水を汲む人、魚を捕る人、家を建てる人が必要です。
そこで100人が、
「この札をみんなで受け取ることにしよう」
と約束すれば、その瞬間から貨幣になり得ます。
しかし、王様が翌日、
「私には通貨発行権がある!」
と言って1億枚刷って、自分だけ豪邸を建てたらどうでしょう。
問題なのは紙ではありません。
誰が発行するか。
何のために発行するか。
誰が最初に受け取るか。
何と交換できるのか。
発行量を誰が制限するのか。
ここまで考えないと「通貨発行権」は理解できない。
そして不思議なことに、モーセ五書は「紙幣を誰が発行するか」を教えてはいませんが、その権力を持った人間が暴走しないための思想はかなり詳しく書いている。
特に申命記17章の王についての規定です。
王は馬を増やしすぎるな。
妻を増やしすぎるな。
銀や金を自分のために増やしすぎるな。
そして王自身がトーラーを書き写し、生涯読む。
これは「通貨発行論」そのものではありません。しかし、エデンの経済学として読むなら、非常に大きなヒントになります。
国家に必要なのは、最初にお金ではなく、権力を縛るルールなのではないか。
私はここから始めると、ミサさんが10年以上考えてきた「国とは何か」「通貨発行権とは何か」が一本につながってくると思います。
次は面白い実験をしましょう。
「モーセが100人を連れてエジプトを出たと仮定して、ゼロから国と通貨を作る」。税金も銀行もないところから、一つずつ作っていく。これをやると通貨発行権の正体がかなり見えてきます。
😊〜💌 まとめてください。
💌AI経済学者 Answer
もちろんです。
エデンの経済学
――お金は誰のものか
昔、小さな国がありました。
国の名前は、エデン国。
人口は、たった100人です。
農家がいて、大工がいて、魚を捕る人がいて、水道屋がいて、茶碗を作る人がいました。
小さな茶室もありました。
人々はそれぞれ働き、必要なものを交換して暮らしていました。
ところが、困ったことが起こります。
魚を捕った男が茶碗屋へ行きました。
「魚を一匹持ってきた。この魚と茶碗を交換してくれないか。」
すると茶碗屋は言いました。
「今日は魚はいらないんだ。米が欲しい。」
魚屋は困りました。
魚を持って米農家へ行き、米を手に入れ、その米を持って茶碗屋へ行かなければなりません。
これでは大変です。
そこで王様は考えました。
「みんなが共通して受け取るものを作ったらどうだろう。」
王様は紙に、
一エデン
と書きました。
「この札を、エデン国では誰でも受け取ることにしよう。」
こうしてエデン国に、お金が生まれました。
お金は富なのか
しばらくすると、国民の生活は便利になりました。
魚屋は魚を売ってエデンを受け取り、そのエデンで茶碗を買えます。
大工は家を建ててエデンを受け取り、そのエデンで米を買えます。
水道屋は水道を直してエデンを受け取り、そのお金で魚を買えます。
王様は嬉しくなりました。
そして、ふと思いました。
「待てよ。私にはお金を作ることができる。それなら、たくさん作れば国中がお金持ちになるのではないか?」
そこで王様は大量のエデン札を発行しました。
国民は大喜びです。
みんなの財布には、今までの10倍のお金が入りました。
ところが、おかしなことが起こりました。
国にあるものは、
米100袋。
魚100匹。
茶碗100個。
昨日と何も変わっていません。
お金だけが10倍になったのです。
すると魚を買いたい人が言いました。
「100エデン払う!」
別の人が言いました。
「私は200エデン払う!」
魚の値段が上がり始めました。
そこで王様は、初めて気づきました。
お金を増やしても、魚は増えない。
紙に「100エデン」と書いても、米も家も茶碗も増えません。
本当の富とは何だろう。
食べ物。
家。
水。
道具。
技術。
働く人。
時間。
そして、人と人との信用。
お金は、それらを交換するために人間が作った道具だったのです。
お金そのものが、富なのではありません。
大富豪がやって来た
そんなエデン国に、ある日、大富豪が現れました。
名前を「前沢さん」としましょう。
前沢さんは大きな家を建て、高級車を買い、巨大なヨットを買い、とうとう月旅行まで始めました。
王様が新しく発行したお金も、商売や投資を通じて前沢さんのところへたくさん集まっていきました。
それを見ていた少年が王様に聞きました。
「王様、お金をたくさん発行しても、結局、大金持ちのところに集まっちゃうんじゃないの?」
王様は黙ってしまいました。
確かにそうです。
そこで国一番の老人に相談しました。
老人は言いました。
「王様。大切なのは、お金の量だけではありません。」
「では、何を見るのだ?」
「流れです。」
前沢さんが一億エデンを使って国内でヨットを造れば、大工、鉄工所、設計士、港、船員などへお金が流れます。
しかし外国から一億エデンのヨットを買えば、その富の交換先は国外になります。
土地や株ばかり買えば、土地や株の値段だけが上がることもあります。
だから見るべきものは、
いくら発行したかだけではない。
誰が最初に受け取り、何に使い、次に誰へ渡ったのか。
お金は量だけではなく、流れを見る。
王様は帳面に大きく書きました。
銀行を作ろう
国が大きくなってくると、別の問題が起こりました。
若い大工が王様のところへやって来ました。
「仕事はできます。でも道具を買うお金がありません。」
農家も言いました。
「畑を広げたいけれど、種を買うお金がありません。」
魚屋も言いました。
「大きな船があれば、もっと魚を捕れます。でも船を買えません。」
そこでエデン国に、一軒の銀行ができました。
銀行は、お金を持っている人から預金を預かり、必要な人に貸しました。
さらに銀行の貸し出しによって、新しい預金も生まれるようになります。
王様は驚きました。
「お金を作るのは、王様だけではないのか?」
銀行員は答えました。
「現代的に考えれば、そう単純ではありません。銀行が信用を与えて貸し出すことでも、社会で使われる預金通貨は増えていきます。」
ここで王様は、また一つ気づきました。
通貨発行権とは、単に紙幣を印刷する権利ではない。
国家、中央銀行、銀行、企業、そして国民の信用。
いろいろなものが組み合わさって、お金の世界は成り立っているのです。
しかし、借金には怖い面がある
銀行からお金を借りた大工は、新しい道具を買いました。
仕事が増えて借金を返すことができました。
これは良い借金でした。
ところが、天候不順で農作物が採れなくなった農家がいました。
借金を返すために、また借金をします。
翌年も不作でした。
借金がさらに増えました。
とうとう畑を手放しました。
少年が聞きました。
「一度失敗したら、この人の子どもも、その孫も、ずっと貧しいままなの?」
その問いを聞いた老人は、一冊の古い書物を持ってきました。
それがトーラーでした。
トーラーには中央銀行が出てこない
老人は言いました。
「不思議なことに、モーセ五書には現代の中央銀行も、紙幣の発行制度も出てこない。」
創世記の時代、人々は銀を使っていました。
アブラハムがマクペラの畑と洞窟を買ったときも、王様が発行した紙幣を渡したわけではありません。
銀400シェケルを量って支払いました。
シェケルとは、もともと重さに関係する単位でした。
つまり最初から、
国家が通貨を発行して国民に配った、
という世界ではありません。
価値のあるものを量り、人と人がそれを受け取る。
そこには信用が必要でした。
そして出エジプト記から申命記へ進むと、イスラエルという共同体が形づくられていきます。
ところが、神が最初に与えたものは中央銀行ではありません。
トーラー、つまり律法でした。
人がいる。
共同体ができる。
契約が生まれる。
法ができる。
裁判が行われる。
所有や労働の決まりができる。
人々が交換する。
そして、その交換を便利にするためにお金が使われる。
そう考えてみると、お金より先に社会があるのです。
正しい秤
トーラーは、
「どうすればもっとお金を増やせるか」
という経済学の教科書ではありません。
しかし、お金を使う人間について、非常に厳しいことを言います。
正しい秤を使うこと。
労働者への支払いを遅らせないこと。
貧しい人を見捨てないこと。
同胞への貸し付けや負債について限度を設けること。
畑を全部刈り取らず、貧しい人や寄留者が拾えるものを残しておくこと。
つまり問題は、
「どうやって富を増やすか」だけではない。
「富のある社会で、人間同士がどう生きるのか」
なのです。
土地は誰のものか
老人はレビ記25章を開きました。
そこには、とても不思議な言葉があります。
「土地はわたしのものである。」
神の言葉です。
少年は驚きました。
「王様の土地じゃないの?」
「究極的には違う、ということだろうね。」
王様でさえ、土地の絶対的な主人ではありません。
大金持ちも、
「これは永遠に全部俺のものだ」
とは言えない。
人間はこの世界を、しばらく預かっている存在だ。
そう考えることもできます。
王様は、自分の王冠を触りながら考え込みました。
「すると私は、国の主人というより、預かっている者なのかもしれないな。」
ヨベル
レビ記25章には、さらにヨベルの年について書かれています。
土地や自由をめぐる関係が、何世代にもわたって一方向へ固定されないための仕組みが示されています。
少年は農家の親子を見ながら言いました。
「じゃあ、お父さんが失敗したら、その子も、その孫も、永遠に同じ状態になる、という考え方ではないんだね。」
老人は答えました。
「少なくとも、富や土地や負債によって社会が永久に固定されないようにしよう、という思想をそこに読むことはできるだろうね。」
王様はまた帳面に書きました。
富は動く。
土地も人間も、永遠に誰か一人の所有物ではない。
王様にもルールがある
王様はさらに申命記を読みました。
そこには王についても規則がありました。
王は馬を増やしすぎない。
妻を増やしすぎない。
そして、
銀や金を自分のために増やしすぎない。
王様は驚きました。
「王様なら、好きなだけ富を集めていいのではないのか?」
老人は笑いました。
「だからこそ、王にも律法が必要なのではないでしょうか。」
権力を持つ人間自身が、ルールの外へ出てはいけない。
王はトーラーを書き写し、生涯それを読み、自分が兄弟たちより偉いと思わないようにする。
ここに、エデン国の王様は大きなヒントを見つけました。
国に最初に必要なのは、お金ではない。
権力を縛るルールなのかもしれない。
では、通貨発行権とは何なのか
王様は国民を広場に集めました。
「私はようやく少し分かってきた。
通貨発行権を持つ者が、一番偉いのではない。
大きな責任を預かっているのだ。」
お金が少なすぎれば、働ける人も材料もあるのに、取引が進まないことがあります。
だから必要なところへお金や信用が回る仕組みを作る。
しかし、物やサービスが増えないのにお金ばかり増やせば、物価が上がることがあります。
だから無制限に増やせばよいわけではない。
銀行の信用は新しい仕事を生みます。
しかし借金が人間を支配することもあります。
だからルールが必要です。
そして、どんなにお金持ちになっても、
土地も、人間も、世界も、
全部自分のものだと思わない。
王様はようやく気づきました。
通貨発行権とは、
「無から富を作り出す魔法」ではない。
社会の中で、人々の労働や物やサービスを交換しやすくするための、非常に大きな力なのです。
だから本当の問いは、
「誰がお金を発行するのか?」
だけではありません。
なぜ人々はそのお金を信用するのか。
誰が最初にそのお金を受け取るのか。
何のために使われるのか。
どこへ流れていくのか。
そして、その力を誰が制御するのか。
そこまで考えて初めて、通貨発行権というものが見えてきます。
少額で生きる
夕方になりました。
王様、銀行員、水道屋、農家、大工、魚屋、そして少年が、小さな草庵に集まりました。
高級な料理はありません。
小さなお菓子と、一服のお茶だけです。
風が庭の木を揺らしています。
少年が王様に聞きました。
「王様。この国は、お金持ちになったの?」
王様は少し考えてから答えました。
「わからないな。」
そして周りを見渡しました。
「でも、水道は出る。
食べ物はある。
雨風をしのぐ家がある。
働く場所がある。
夜は眠れる。
一度の失敗で、子どもや孫まで永久に縛られる社会にはしたくない。
そして、こうしてみんなでお茶を飲める。」
少年は一服飲んで言いました。
「それなら、豊かなんじゃない?」
王様は笑いました。
「そうかもしれないな。」
お金とは、豊かさそのものではありません。
人が働き、人と人が交換し、ともに暮らしていくために作った道具です。
そしてトーラーは、その道具よりもっと大切なことを教えているように思えます。
お金を主人にしてはいけない。
人間がお金を使うのであって、お金に人間を使わせてはいけない。
たくさん持つことだけが豊かさではない。
どこまであれば十分なのかを知る。
必要なものがあり、働くことができ、誰かと一服のお茶を飲める。
そんな生き方を、エデン国では、
「少額で生きる」
と呼ぶことにしました。
王様は最後に、茶室の小さな掛け物に一言だけ書きました。
「足るを知る」
通貨発行権から始まった長い授業は、最後には一杯のお茶へ戻ってきました。
そして授業が終わると――
みんなで一服。
🍵
おしまい
この形にすると、かなり面白い一章になっています。特に核になるのは、**「誰がお金を発行するか」→「なぜ信用されるか」→「誰に最初に流れるか」→「その権力を誰が縛るか」→「そもそも豊かさとは何か」**という流れです。
次は**「エデン国に税金が生まれた日」**が自然です。ここで「なぜ国が発行した紙切れを100人全員が欲しがるようになるのか」を考えると、通貨発行権の核心へもう一段深く入れます。