奴隷から自由人へ――自由には戒律が必要 ユダヤの学び#1
ユダヤの教えで考えると、いつも冷静になれます。人の幼稚さを理解すれば、あきらめられます。
記憶を冷静に思い出せば、工事しても3万円〜5万円の工事で、必要以上に手間と時間がかかるので、最初から引き気味 ネガティブ だった。 現場を見て、あって考え断ろうと考えた案件でした。
タルムード的には?
💌AIラビ様 Answer
はい。今回のことをタルムード的に整理すると、かなり冷静に見えてきます。
まず「日本人が幼稚」と民族全体に広げるより、今回の一人との商談で、双方の期待が噛み合わなかったと切り分けるほうが、むしろユダヤ的だと思います。人ではなく、行為と事実を吟味するからです。
ミサさんの記憶を今のように整理すると、最初から「絶対にやりたい仕事」ではなかった。工事そのものは3万〜5万円程度を想定する一方、電話が長く、現場確認にも時間がかかり、床下排水なら木工事まで絡む。そこで現場を実際に見て、「この仕事にこれ以上時間を使うのは割に合わない」と判断した。これは商人として十分あり得る判断です。
タルムード的に特に面白いのは、**אונאה(オナーアー)**です。ババ・メツィアーでは、商取引で相手を不当に害する「金銭上のオナーアー」だけでなく、אונאת דברים(オナアト・デヴァリーム)――言葉によって人を傷つけること――まで論じます。
ここから今回を見ると、双方に別々の課題があります。
ミサさん側は、仕事を断ること自体が問題なのではない。「波動が合わない」という言葉が相手を傷つけた可能性はある。そこについてはすでに謝罪した。
一方で相手側も、不快だった経験を語ることと、そこから「値上げしたいのでは」「身体が悪いのでは」と相手の内心や健康状態まで公に推測することは別です。タルムード的には、ここで לשון הרע(ラション・ハラ) や言葉による加害という問題が出てきます。ただし、口コミ全文をラション・ハラだと一括して断罪するのではなく、事実・本人の感想・未確認の推測を分けて考えるのが大切です。
そして、私が一番タルムードらしいと思うのはここです。
「私は正しかったか、相手が悪かったか」だけで終わらず、
『この商売は最初から双方にとって成立する取引だったのか?』と問う。
今振り返れば、答えはかなり早い段階から「成立しにくかった」のでしょう。ミサさんは採算・時間・施工内容・意思疎通を考えて引き気味だった。相手は「見積りを頼めば話が進む」という期待を持っていた。その期待のずれを、現場まで持っていってしまった。
だから次に生かすなら、とても単純です。
「現場を拝見してから、当店でお引き受けできるか判断します。現場確認は工事をお約束するものではありません。」
これでいい。
そしてもう一つ、タルムード的には怒っているときに相手を裁き切らないことも重要でしょう。今こうして「3〜5万円の仕事だった。手間が多かった。自分は最初からネガティブだった」と事実を一つずつ戻しているほうが、昨日までの「許せない」よりずっと問題の核心に近づいています。
結局、
「悪い女にひどい目に遭わされた」ではなく、
「最初から相性も採算もよくない商談を、少し長く続けすぎた。」
こう捉えると、ずいぶん小さな出来事になります。
3〜5万円の成立しなかった仕事に、これ以上何十時間もの心の時間を払ったら、そちらのほうが高くつきますからね。
これはまさに、ミサさんの好きな**「知足」**にもつながる話だと思います。
👨🔧少し議論させてもらっていいですか?
現場見積は、見積を書けるか?もしくは見積を見て、客が施工するか?見積=工事ではないよね!
💌AIラビ様 Answer
もちろんです。そこはミサさんの言う通りで、さっきの私の整理は少し「見積り」と「受注」を近づけすぎました。
現場を見に行くこと、見積りを出すこと、工事を契約することは、それぞれ別の段階ですよね。
たとえば、
現場確認 → そもそも自分の店で施工可能か判断 → 可能なら見積りを作る → 客が金額・内容を検討 → 客が依頼する → 店側も受注する → 契約・施工
という流れです。
だから、現場を見に行った時点では「工事をやります」という約束ではない。さらに見積書を出したとしても、それだけで工事をすることが決まったわけではない。客側だって見積りを見て「高いからやめます」と断れるわけです。
同じように施工店側にも、現場を見て「これは当店では難しい」「採算が合わない」「日程的に無理」「責任を持って施工できない」と判断して、見積りそのものを辞退する段階があります。
今回の話をこの順番で考えると、かなり重要ですね。
ミサさんは電話の段階ですでに「他社のほうがいい」と引き気味だった。それでも、電話だけでは建物も配管も分からないから現場を確認した。 そして現場を見て、床下排水や木工事なども含めて検討し、最終的には「この案件は受けない」と判断した。
つまり、
「現場まで見に来たのだから、見積りを出して工事を受けるべきだった」
という論理にはなりません。
むしろ商売として対等なのは、客には見積りを見て断る自由があり、施工店には現場を見て見積り・受注を辞退する自由がある、ということだと思います。
ここはタルムード的に議論しても面白いところです。
「客の自由」だけでなく、商人・職人にも取引を成立させない自由があるのか。そこを掘ってみましょうか。
👨🔧大事にしているところです。
💌AIラビ様 Answer
ええ。ここは今回の口コミ問題だけではなく、ミサさんの商売の根っこなんでしょうね。
「お客さんが偉くて、店が従う」という関係ではなく、対等な取引。
お客さんには、見積りを頼む自由がある。見積りを見て断る自由もある。
職人にも、現場を見て判断する自由がある。見積りを辞退する自由も、工事を受けない自由もある。
そして双方が「この条件ならお願いします」「では責任を持って施工します」と一致したところで、初めて仕事になる。
だからミサさんがいつも言っている、
「仕事をさせてもらって、お金をいただいて、お互いにありがとう。」
これは一方的な「お客様第一」ではなく、双方が納得して成立した仕事だから、最後に双方から『ありがとう』が出るということなんでしょうね。
今回の件をユダヤ的に考えるなら、私はここが一番興味深いです。
自由な者同士が、公正な条件で合意して取引する。合意できなければ取引しない。
これは「客を選ぶ」という乱暴な話とは少し違う。
契約する相手を、双方が選んでいる。
ミサさんが大事にしてきたのは、たぶんこちらですね。
👨🔧40年近く追い求めた自由です。
💌AIラビ様 Answer
そうですね😊
今までの話をつなげると、ミサさんにとっての「自由」は、単に仕事をしないことでも、お金をたくさん持つことでもないんでしょうね。
若い頃は海へ出る自由を求めて、大西洋を渡った。世界一周レースまで夢見た。今は職人として、「この仕事はやる。この仕事はやらない」と自分で決められる自由がある。そして稼いだお金と時間で、京都へお茶を飲みに行くことも、フランスへヨットを見に行くこともできる。
40年近くかけて、自由の形が変わってきたんでしょうね。
昔は、
「どこまで遠くへ行けるか」
だった自由が、今は、
「何をするか、何をしないかを、自分で決められること」
になっている。
だから今回の口コミが、あれほど腹立たしかった理由も少し見えてきます。
「頼んだんだからやってくれて当然」というように受け取れる考え方は、ミサさんが40年かけて手に入れてきた**「自分の仕事を自分で決める自由」**と真正面からぶつかるんですよね。
でも、その自由は口コミ一つではなくならない。
明日もミサさんが、
「これはやります」
「これはやりません」
「待ってくれるならやります」
と自分で決めればいい。
自由って、案外そういう小さな「自分で決める」の積み重ねなのかもしれませんね。
PS
なぜ自分がここまで腹を立てているのか、改めて考えてみました。
最初の電話からだったんですね。
仕事の作業中に電話をいただき、自分なら30秒ほどで済むと思う話が、なかなか終わらず20分近く続きました。
自分はもともと、お茶休憩もほとんど取らず、昼飯さえ食べずに仕事をしてしまうようなタイプです。決してそれが良いことだとは思いませんが、昔から**「限られた時間の中で、いかに仕事を進めるか」「いかに短い時間で自分の考えを相手に理解してもらうか」**を大切にしてきました。
人生の時間は限られています。
だからこそ、必要なことはできるだけ簡潔に伝えたい。
そんな自分ですから、作業中の20分という時間はなおさら長く感じました。おそらく、その時点ですでに「この方とは仕事の進め方や時間の感覚が合わないな」と感じていたのだと思います。
そして最後には、工事をお引き受けしなかったことについてGoogleの口コミを書かれ、仕事のことだけでなく、経営や身体についてまで憶測を書かれてしまいました。
なるほど。
自分は口コミだけに怒っていたのではなく、最初の電話から積み重なった、時間の使い方や考え方の違いに腹を立てていたんですね。
こうして文章にすると、自分の怒りの正体も少し見えてきます。
これもまた、困った出来事から得た一つの学びなのかもしれません。