見ると言うこと
今週のパラシャー「ראה(レエ)=見よ」を学んでいて、ラビ・マービン・トケイヤー先生の言葉、「耳で見て、目で聞く」を思い出しました。
最初は、その意味がよくわかりませんでした。
約15年前、ハウステンボスから銚子までヨットを回航したことがあります。
出航前の夜、ハウステンボスの居酒屋で知人たちと酒を酌み交わしました。その席には、目の不自由な方も同席されていました。
私が少し難しい話をすると、その方は静かにこちらへ顔を向け、一言も聞き漏らすまいと、まるで話を「見る」ように耳を傾けてくださいました。
その姿が今でも心に残っています。
人は目だけで見るのではありません。 耳で見て、心で聞くこともできるのです。
今週のパラシャーは、「見よ」と私たちに語りかけます。それは、ただ目で景色を見ることではなく、神様の教えや、人との出会い、日々の出来事の中にある意味を心で見つめなさい、という呼びかけなのかもしれません。
茶の湯でも、お客様の表情や言葉だけでなく、その場の空気や心の動きを感じ取ることが大切だと教えられます。
「耳で見て、目で聞く」。
ユダヤの学びも、茶の湯も、本当に大切なものは目には見えず、心で受け取るものなのだと、あの日の居酒屋での出来事を思い出しながら感じました。