天皇陛下と平和
今話題の天皇継承について、一国民として思うこと
最近、天皇継承の話題を耳にすることが増えました。
私は専門家ではありません。あくまで一国民としての、個人的な思いです。
私の祖父は、父方も母方も戦争で亡くなっています。両親は戦後の苦労の中を生きてきました。
少し社会のことがわかり始めた中学生のころ、私は「戦争は天皇に責任があるのではないか」「天皇制が悪いのではないか」と、単純に考えていました。
ある時、そのことを父に話しました。すると父は、兄貴、つまり私の叔父も学生のころに同じようなことを祖母に言ったことがある、と話してくれました。
その時、祖母はとても怒ったそうです。
「そんなことを言うものではない」
祖母にしてみれば、夫は国のために戦い、戦死した人です。その夫の死を、簡単に否定されるような言葉に聞こえたのかもしれません。
その話を聞いてから、私は天皇制を単純に「悪いもの」とは思えなくなりました。
むしろ今は、天皇陛下という存在が、国の象徴として日本の安定につながっているように感じています。現行の皇位継承順位では、秋篠宮皇嗣殿下、そして悠仁親王殿下へと続く流れが示されています。最近の議論でも、皇位継承順位そのものを変えるのではなく、皇族数の確保が大きな課題として話し合われています。
旧約聖書を読むようになってから、出エジプト期に祭司として任命されたアロンの姿と、日本の天皇陛下の祭祀のお役目が、どこか重なって見えるようになりました。
もちろん、古代イスラエルの祭司と日本の天皇は、歴史も宗教も制度もまったく違います。
それでも、奴隷状態から解放された民が荒野を進む時、法律や制度だけでは民族はまとまりませんでした。民の平和を祈り、神と民をつなぐ祭司の存在が必要だったのだと思います。
日本でも、政治家が国を動かします。しかし、政治家は選挙で変わります。安倍首相、岸田首相、石破首相、そして高市首相というように、時代によって国の顔は変わっていきます。
もし日本に天皇陛下という存在がなければ、その時々の首相だけが国の代表のように見えてしまうかもしれません。
けれども、天皇陛下は政治権力者ではありません。日本国と日本国民統合の象徴として、国民の安寧と世界の平和を祈られる存在です。
ここに、政治とは別の大切な役目があるように思います。
現代のイスラエルは戦争の中にあります。もし古代のように、民全体の平和を祈る祭司的な存在が公にいたなら、また違う選択や声も生まれたのではないか。そんなことも考えてしまいます。
もちろん、現実の戦争や政治は、それほど単純なものではありません。
それでも、国には法律や軍事や経済だけでなく、民の平和を祈る象徴的な存在が必要なのではないかと思います。
そう考えると、私はやはり、天皇陛下という存在は日本にとって大切だと感じます。
天皇継承の議論は、賛否だけで語るものではなく、日本という国が何を大切にしてきたのか、これから何を守っていくのかを考える機会なのだと思います。