一国一城の主と草庵
一国一城の主と草庵
最近読んだ、千宗屋家元の『もしも利休があなたを招いたら ― 逆説のおもてなし』の中に、こんな一節がありました。
「文化というものは、日常のエアポケットであり、大人の『ごっこ遊び』のようなもの」
この言葉を読んで、「なるほど」と思いました。
お茶の湯も、日常から少し離れた特別な時間を、亭主と客が一緒につくる文化なのだと感じます。
時々、「なぜ茶道を始めたのですか?」と聞かれることがあります。
本当のことを言うと、少し邪な気持ちから始まりました。
コロナ禍の補助金で畑を購入し、最初はイギリス風のガーデニングやフランス風の果樹園をつくり、ログハウスでアフタヌーンティーを楽しむような暮らしを思い描いていました。
でも、どうもしっくりこない。
やはり私は日本人です。
そんなときに出会ったのが、鴨長明の草庵でした。
「それなら草庵を建ててみよう。」
そう思ったのが始まりです。
せっかく草庵を建てるのだから、お茶も習ってみよう。 茶室にすれば価値も出るかもしれない。
そんな下心も、正直ありました。
しかし、お茶を続けるうちに、その考えは少しずつ変わってきました。
先日、自分で小さな茶会を開いてみて思ったのです。
作法はまだまだ未熟ですが、自分なりの茶の湯が少し見えてきました。
「一国一城の主」
仕事では社長や親方。 船では船長、ヨットならスキッパー。
最終的に自分で考え、自分で責任を負う立場です。
私にとって草庵も、そんな小さな「一国一城」なのかもしれません。
誰かの真似をするだけではなく、自分で考え、お客様をお迎えする。
その責任も楽しさも、自分で引き受ける。
AI先生と話しながら生まれた名前が、
「珠光流 無作」
もちろん流派を作るという意味ではありません。
珠光の「わび」の精神に学びながら、作り込みすぎず、自然体で一服のお茶を楽しむ。
そんな自分なりの茶の湯を、これからも少しずつ育てていきたいと思います。
振り返れば、邪な気持ちから始めた茶の湯でした。
けれども、その寄り道があったからこそ、今の自分の茶の湯に出会えたのかもしれません。