これも また よいことのために

一昨日、コーナーを曲がったところで、対向車線から走ってきた軽トラックの荷台のあおりが突然外れて飛んできて、自分の車のバンパーに当たりました。

幸い、けがはまったくありませんでしたが、バンパーは壊れてしまいました。
すぐに警察へ連絡し、事故処理をお願いしました。
話を聞くと、相手は無保険で、整備不良による事故だったようです。保険会社同士で話し合うこともできず、状況はあまり良くありませんでした。
警察はキャンセルして、
結局、示談とし、修理代だけを受け取って終わりにしました。
もし仕事が少し遅れていたら。 もし反対に少し早く通っていたら。
そのタイミングが違えば、この事故には遭わなかったかもしれません。
事故のあと、少し運気が気になり、AIに尋ねてみました。
すると教えてくれたのが、ユダヤ教の賢者 ナフム・イシュ・ガムズ の有名な言葉でした。
גם זו לטובה (ガム・ズー・レトヴァー)
「これもまた、良いことのためである。」
ナフムは、どんな困難や不運に出会っても、この言葉を口にしたと伝えられています。
もちろん、事故そのものが良いことだという意味ではありません。
今は分からなくても、この出来事もいつか何か良いことにつながるかもしれない。そのような希望を失わない考え方です。
昔、ラビ様から片言の日本語で教えていただいた話を思い出しました。
「唐辛子は辛い。でも料理に入るとおいしくなる。」
当時はよく分かりませんでしたが、今なら少し理解できます。
人生の出来事も同じなのかもしれません。
辛い出来事も、それだけを見れば苦い思い出です。
しかし時間がたつと、その経験が人を成長させたり、新しい気づきを与えてくれたりすることがあります。
考え方ひとつで、心の持ちようは大きく変わります。
不安や怒りに支配されるよりも、「これもまた良いことのため」と受け止めてみる。
そのほうが、心は穏やかになり、笑顔も増えるような気がします。
今日は安息日。
ナフム・イシュ・ガムズの言葉を思い出しながら、静かに過ごしたいと思います。
גם זו לטובה
「これもまた、良いことのために。」
PS 「イシュ・ガムズ」という名前は、「ガム・ズー(これもまた)」が口癖だったことから付けられた愛称です。だから彼は、**「『これもまた』と言い続けた賢者」**として、今でもユダヤの世界で親しまれています。シャバット・シャローム。🌿🍵

PSのPS

ユダヤの教えに惹かれるのは、教義や理論だけではなく、日々の生活そのものにつながっているからだと思います。

食事をいただくこと、家族と過ごすこと、働くこと、休むこと、そして困難に出会ったときの心の持ち方まで、すべてが日常の中にあります。

だからこそ、学べば学ぶほど、「これは特別な世界の話ではなく、毎日の暮らしの教えなんだな」と感じます。

その自然さが、自分をユダヤの学びへと惹きつけているのかもしれません。



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