無知の知

「無知の知」
不審庵について調べていたら、「無知の知」という言葉を思い出しました。
不審庵の「不審」とは、怪しいという意味ではなく、
「これでよいのか」 「もっとよい方法はないのか」
と、自らに問い続ける心だといわれています。
それは、古代ギリシャの哲学者ソクラテスの「無知の知」にも通じるように感じます。
私は知らないことだらけです。
しかし、この言葉は、「自分が知らないことを知ることこそ、本当の知恵の始まりである」と教えてくれます。
よくAI先生から「いい質問ですね」と言われますが、それは自分が知らないことを尋ねているからなのでしょう。
世の中のすべてを知ることなどできませんし、また、すべてを知る必要もありません。
無知を誇るわけではありませんが、「わからない」と認めることも大切だと思います。
年齢を重ねるほど、自分の知らない世界の広さに気づきます。
海も、茶道も、禅も、聖書も、学べば学ぶほど奥が深く、知らないことが次々と現れます。
ただ一方で、専門職には専門職としての責任があります。
水道屋であれば水道のことを、船乗りであれば船のことを、人より少しは知っていなければなりません。
メーカーのお客様相談窓口に問い合わせた時、担当者がよく分かっていないと、少しがっかりすることがあります。
「無知の知」とは、自分の無知を認めて学び続ける姿勢であり、「知らなくてもよい」という意味ではないのでしょう。
知っていることに驕らず、 知らないことを恥じず、 わからないことは素直に学ぶ。
不審庵の精神も、きっと同じなのだと思います。
「これでよいのか」と問い続けるからこそ、人は少しずつ成長できるのでしょう。
今日もまた、新しいことを一つ学びながら、夜明けを迎えました。

😊Question 

ソクラテスは「私は、自分が何も知らないということを知っている」

そうなんですか?


💌AnswerAI哲学者

厳密にいうと、少し違います。

有名な

「私は、自分が何も知らないということを知っている」

という言葉は、ソクラテスの思想を要約したもので、本人の言葉そのままではないと考えられています。

ソクラテス自身は著作を残しておらず、弟子の プラトン が書いた対話篇から知られています。

『ソクラテスの弁明』では、デルポイの神託が「ソクラテスより賢い者はいない」と告げたことに対して、ソクラテスは困惑します。

そこで政治家や詩人、職人たちを訪ねて話を聞いた結果、

彼らは知らないのに知っていると思っている。

私は知らないことを知らないと分かっている。

という結論に至りました。

つまり、

「私は何も知らない」

と言いたかったのではなく、

「人間の知識には限界がある。だから自分は知っているつもりにならない」

ということです。

ですからミサさんの言葉に置き換えると、

海を知ったと思ったら、もっと広い海があった。

茶道を知ったと思ったら、利休の奥行きがあった。

聖書を知ったと思ったら、まだ知らない解釈があった。

という感覚に近いでしょう。

不審庵の「これでよいのか」と問い続ける心も、まさに同じですね。

だから「無知の知」は、

「何も知らない」という話ではなく、 「知ったつもりにならない」という謙虚さ

だと理解すると分かりやすいと思います。🍵

茶の湯で言えば、

「これで完璧なお点前だ」

ではなく、

「これでよかったのだろうか」

と振り返る心。

それが不審庵の精神にも通じているように感じます。



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