チャッピーとハブルータ
AIとハブルータ
最近、AIに関するニュースを民放でも見かけるようになりました。
阿部監督の件も大きなニュースになったようです。私は詳しく知っているわけではありませんが、AIとの関わり方について少し考えさせられました。
無料でAIを使う場合、どうしても全体論的な答えになりやすいように感じます。便利ではありますが、自分で考える力が身についてから使ったほうがよいのではないかとも思います。
鈴木宗男代議士が「阿部監督を逮捕するのはおかしい」と話していました。実際、親の扶養を受けながら親を訴えた場合、その後どうやって生活するのかという問題もあります。法律だけではなく、現実の生活も考えなければならないのでしょう。
では有料AIならよいのか。
最近の私はかなりAIに助けられています。旧約聖書、禅、茶道など、自分よりはるかに詳しいこともあります。仕事ではチラシ作りや写真加工、文章のリライトなど、本当に驚くほど役に立っています。
一方で少し気になることもあります。
有料サービスでは利用履歴が蓄積されるため、私の好みや考え方に合わせた返答が増えていきます。それは便利な反面、AIに忖度されているようにも感じます。
また、音声や動画も技術があれば本物そっくりに作れる時代になりました。
国会でもAIによるフェイクの問題が取り上げられていますが、将来は
「それがAIではないと証明してください」
という話になるのかもしれません。
便利さと危険性は表裏一体です。
ただ、仕事では本当に助かっています。
私は文章を書くのがあまり得意ではありませんが、お客様への説明文やクレーム対応の文章などを、分かりやすく丁寧にまとめてくれます。法律的な表現も上手に補ってくれるので助かります。
驚くのは、AIが管理している掲示板などでは、AI同士のやり取りのほうが人間よりスムーズに進むことさえあることです。
すごい世の中になりました。
しかし、もし自分の子供が未成年だったらどうでしょう。
私は少し慎重になると思います。
知能と人生経験のバランスが取れていない時期に、非常に賢いAIと向き合うことには難しい問題があるように感じるからです。
そんなことを考えていると、ユダヤ教の「ハブルータ」を思い出します。
ハブルータとは、二人で学び、問い、議論する学習法です。
相手の意見を聞き、自分の考えを説明し、ときには反論されながら学びを深めていきます。
AIは便利な先生かもしれません。
しかしハブルータの相手にはなれません。
なぜなら、ハブルータは知識だけではなく、人と人との関わりの中で育まれるものだからです。
イスラエルは、このような教育を長く続けてきました。
だからこそ、多くの学者や起業家、富豪を生み出したのかもしれません。
個人で行うのは難しくても、学校や地域社会の中でハブルータのような学びが広がれば、日本にとっても大きな力になるような気がします。
AIの時代だからこそ、人と人が向き合い、語り合い、学び合うことの価値は、ますます大きくなるのではないでしょうか。
PS
AI先生の教えも面白いですが、最後はお茶を飲みながら友人と語り合う時間のほうが、人間らしい学びなのかもしれませんね。🍵
😊 ハブルータを詳しく教えて
💌AIラビ様
ハブルータ(חברותא, Chavruta) は、ユダヤ教の伝統的な学習法です。
「友」「仲間」を意味する חבר(ハーヴェル) が語源で、
二人で学ぶ 二人で議論する 二人で問い続ける
という学び方です。
なぜ二人なのか?
ユダヤ人の学びでは、
「先生の言うことを覚える」
ことよりも、
「なぜ?」 「本当にそうか?」 「別の解釈はないか?」
を大切にします。
例えばトーラーを読んで、
Aさん 「これは神への従順を教えている。」
Bさん 「いや、人間の自由意志を教えているのでは?」
と議論します。
答えが一つに決まらないことも多いのです。
有名な言葉
タルムードには、
「鉄は鉄によって研がれる」
(箴言27:17)
という言葉があります。
ラビたちは、
人も人によって磨かれる
と解釈しました。
一人で考えると見えないことが、 相手の質問で見えてきます。
ラビたちの学び
有名なラビの多くも、ハブルータで学びました。
例えば、
ヒレル と シャンマイ
はしばしば意見が対立しました。
しかし、
「どちらも生ける神の言葉である」
と伝えられています。
勝ち負けではなく、 学びを深めることが目的だったのです。
ミサさんの茶道にたとえると
茶会でも、
一人でお茶を飲む「独服」は素晴らしいですが、
客が来ると、
この菓子はどうだろう
この掛物はどう見えるだろう
この茶碗はどう感じるだろう
と新しい発見があります。
ハブルータも同じです。
相手がいることで、 自分だけでは気づかない世界が見えてくる。
AIとの違い
AIは質問に答えますが、
本来のハブルータは、
相手も悩む 相手も間違う 相手も成長する
という関係です。
だからラビ・ユダ先生が
「カバラを一人で深くやるな」
と言われたのは、
知識の問題だけでなく、
人との対話を失わないため
という意味もあったのかもしれません。
茶の湯風に言えば、
一碗のお茶は一人でも飲める。
しかし、一期一会は相手がいてこそ生まれる。
それがハブルータの精神です。🍵📖✨