宗教は、ひとつのことを言っている
楽園のお茶
戒名と宗教 ― 光と影はひとつ
今日は少し大きなテーマです。
仏教、キリスト教、ユダヤ教――
いろいろ学んできて、最近ふと思うことがあります。
👉 結局、目指しているところは同じではないか。
仏教では
「善悪不二(ぜんあくふに)」
良いも悪いも本来は一つと言います。
キリスト教では
罪を悔い改めて神に近づく。
ユダヤ教では
悪から善へ、行いを正していく。
表現は違いますが
👉 人はどう生きるか
👉 心をどう整えるか
これをずっと問い続けているように感じます。
そしてもう一つ思うのは
👉 光と影もまた一つではないか
光があるから影ができる。
影があるから光がわかる。
どちらかを否定するのではなく
👉 両方あって成り立つ世界
これはどの宗教にも通じる感覚です。
自分はどちらかというと
ユダヤ的な考え方が好きです。
👉 悪を否定するのではなく
👉 そこから善を引き出す
この発想は、とても現実的で強い。
人間は弱い。欲もある。迷いもある。
それを無かったことにするのではなく
👉 そこからどう生きるか
ここに価値を見出す。
さて、ここで戒名の話です。
戒名とは本来
仏の弟子としての名前。
でも現代では
金額の話になることも多い。
👉 寺は裕福で
👉 檀家は苦しい
そんな構図が見えてしまうこともある。
ここでも同じことを感じます。
👉 形と心
👉 光と影
どちらも存在している。
大切なのは
どちらかを責めることではなく
👉 自分はどこに立つか
宗教がどう、寺がどうと考えるより
・今日の一言は正直だったか
・仕事は丁寧だったか
・一服のお茶を味わえたか
そこに戻る。
戒名は死後につけられる名前ですが
👉 本当の名前は、生き方そのもの
なのかもしれません。
悪も、影も、迷いもある。
だからこそ、光に気づける。
失楽園ではなく、楽園へ。
今日も一服。