箴言29:12 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 2月 07, 2021 משלי כט טגמשל מקשיב על דבר שקר כל משרתיו רשעיםמשלモシェル 支配者 統治者 מקשיבマクシイブ 聞く者 עלアル にדברデバル 言葉 問題 事柄 原因שקרシャケル 虚偽 偽り つくりごと うそכלコル すべてמשרתיוメシャルタァブ 彼のしもべ 使用人 貢献רשעיםレシャアイム 邪悪な者^ ^ 自分訳虚偽の言葉を聞く統治者、mすべて邪悪者のしもべ。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ
ラビ ヒレルの格言 8月 30, 2016 「私が私自身のために存在していなければ、誰が私のために存在してくれるのか?」 問いをして、次の問いを。 「しかし私が私のためだけに存在しているのなら、私は何だろう?」 ミシュナー アヴォート 1 ヒレルおよびシャンマイは彼らから承けた。 ヒレルは言う。平安を愛し、平安を求め、人類を愛し、彼らを律法に近づけさせるアロンの弟子のひとりになりなさい。 彼はよくいう。名声をえようとする者は枯渇し、トーラーを学ばない者は死罪にあたる。 ユダヤの教えを利用する者は滅びるであろう、と。 ラビヒレルはよくいう。 私が私自身のために存在していなければ、誰が私のために存在してくれるのか。 しかし私が私のためだけに存在しているのなら、私は何だろう。 もし今でないならば、いつの時があろうか。 シャンマイはいう。時を定めて律法を学び、口数少なく実行に励み、すべての人をにこやかな顔で迎えなさい。 ラバン ガマリエルはいう。教師をもとめ、疑問を晴らしなさい。 彼の子シメオンは言う。生まれてこのかた私は賢者の中で育ったが、沈黙にまさるものを見いださなかった。肝心なことは注釈ではなく実行である。口数の多い者はすべて罪を招く。 ラバン シメオン ベン ガマリエルはいう。 この世は三つのものの上に立っている。 さばきと真実と平安の上に。 …………………………………………………………………………………………………………………………………… 私と私ですので、繰り返し考えています。 …………………………………………………………………………………………………………………………………… 知恵と学問は別のものである。本の知識には疎くても、経験と反省を純化させて、人間存在の基本原理を知る人は大勢いる。一方で、多くの学習を重ねてもなお、愚かである者も大勢いる。 この後者のような人のことを、ラビ文学では「本を乗せたロバ」という。 しかし、学習が知恵に絶対不可欠だとは言えないにしても、学問が通常、知恵に向かうための最初の、その長い一歩であることは間違いない。 心の義務 善なる生活 より ラビミルトン 続きを読む
③ ヨットの守破離 1月 25, 2026 40年にわたるヨットの守破離?です。 ⛵ヨットと道楽、そして自分の守破離 20歳のころ、Dr.B先生に誘われて初めてヨットのクルージングに乗せてもらった。 その体験がきっかけで、セーリングの世界に足を踏み入れた。 技術をもっと上げたくて、クルー(乗組員)として数々のレースに参加し続けた。 10年以上の下積み。 怒鳴られ、バカにされながらも、やめずに続けた。 一番つらかったのは、動く前に「これをこうしろ」と具体的に言ってもらえれば、気持ちよく動けるのに、ただ「違う!バカヤロー!」と怒鳴られることだった。 最後に参加したジャパングアムレースでは、プロのクルーが乗り込んできて、また怒鳴られ、思わず「うるせえ」と喧嘩腰になってしまったこともある。 ここからが、ヨットの世界の現実だった。 このレース艇、ヨット本体もレース費用も含めて約1億円。 自分にできるか? 月に20〜30万円の給料では、そんな“道楽”は天国まで届かない。 つまり、自分で道を拓くしかない。 これが、自分の守破離のはじまりだった。 まずは、岩井海岸で小型ヨット(レンタルディンギー)を借りて、舵取りのトレーニングを始めた。 そのうち、共同オーナーとしてディンギーを購入し、レースにも出場するようになる。 小さな一歩でも、自分の力で進むセーリングの道が始まった。 やがて、一つの夢が芽生える。 ヨット雑誌で目にした、単独大西洋横断レース。 フランス・ブルターニュからカナリア諸島を経由して、カリブ海へと渡るレースだった。 資金集めからヨットの購入まで、すべてが紆余曲折だったが、 ついには単身でフランス・ブルターニュの造船所に渡り、泊まり込みの許可を得て、 自分の手でヨットを造船し、完成・進水。 その後は単独航海のトレーニングを重ねて、レース本番へ。 結果は30艇中9位。 日本人として初めてのゴールだった。 ──ヨットの世界も、やっぱりお金がないと守破離はできない。 でも、お金がなくても“志”で突破口を見つけることはできる。 それが、自分の道楽のかたちだった。 続きを読む
円相 1月 03, 2026 南禅牧雲和尚・塩沢大定和尚の円相が、昨日手元に届きました。 臨済宗南禅寺派管長を務めた高僧の直筆色紙が、なんと2,500円。 あまりの価格に驚きましたが、調べていくほどに、その重みを感じずにはいられません。 改めて思い出したのが、村田珠光に一休宗純が円相を送り、それが侘び茶最初の掛け軸になったという話です。 茶の湯の原点に、円相が静かに置かれていたという事実は、とても象徴的に感じます。 ただ、私自身の人生観から言えば、 どれほど価値ある作品であっても、モノそのものに頭を下げる気にはなれません。 では、なぜ茶道では先人に頭を下げるのでしょうか。 感動すること、それだけで十分ではないか。 一休和尚の言葉を借りるなら、「ものはもの」。 大切なのは、形や権威ではなく、そこに込められた意味を深く味わうことなのだと思います。 私なりの解釈では、 円相とは「生命」であり、「循環」。 始まりも終わりもなく、欠けも満ちも含めて、ただ巡り続けるもの。 一休和尚は、そのことを一筆の円で示したのではないでしょうか。 頭を下げるべきは、作品ではなく、 そこから何を受け取り、どう生きるかという、自分自身の心。 円相は、今も静かに、そう問いかけているように感じます。 続きを読む