わたしは命じた アツァベェ אצוה
ואצוה את שפטיכם בעת ההוא לאמר שמע בין אחיכם ושפטתם צדק בין איש ובין אחיו ובין גרו
ואצוה バアツァベェ and I commanded そしてわたしは命じた
את שפטיכם エト ショフェテイヘム the your judges に あなたの裁き人たち
בעת バエトゥ at time 時に
ההוא ハヒブゥ that ano
לאמר レェモル saying と言って
שמע シャモア listen シェマー 聞け
בין ベイン between の間で
אחיכם アヘイヘム あなたたちの兄弟たち
ושפטתם ウショフェテイヘム そしてあなたの裁き人たち
צדק ツェデク justly ただしく
בין איש ベイン イィシュ の間で every man 男
ובין אחיו ウベイン アヒィブ と の間で 彼の兄弟たち
ובין גרו ウベイン ゲロォ と の間で his stranger 彼の寄留者
新共同訳 わたしはそのとき、あなたたちの裁判人に命じた「同胞の間に立って言い分をよく聞き、同胞間の問題であれ、寄留者との問題であれ、ただしく裁きなさい」
そしてわたしは命じた、あなたたちの裁判人に、裁判をする時は聞きなさい。
「部族ごとの兄弟たち、そして裁判官たちはただしく裁きなさい、全ての男の間で、そして彼の兄弟たちの間で、そして彼の寄留者の間でも」
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いいですね。自由平等
現代風に解釈すると。
裁判官は自分の身内でも、原告と被告の話をただしく聞きなさい。
全ての人、金持ちでも貧乏でも、偉い人でも偉くない人の間でも、両方の話をただしく聞きなさい。
日本人と外国人の訴訟でもただしく聞きなさい。
復習 去年のコピペ 今また被害を感じているので励みになります。
裁き人達
שפטים ショフェティーム 裁き人達
ושטרים ベシュテリーム と下役達を
תתן ティテン あなたは置け
לך レハー あなたのために
בכל ベホル すべての~の中に
שעריך シェアレーハ あなたの門
אשר アシェル ~ところの
יי アドナイ 主が
אלהיך エロヘーハ あなたの神
נתן ノテン 与える
לך レハー あなたに
לשבטיך リシュバテーハ あなたの部族に
ושפטו ベシャフェトゥー そして彼らは裁く
את エット を
העם ハアム 民
משפט ミシュパット 裁きで
צדק ツェデク 義の
「あなたのために裁判する人達と役人をあなたは置け、神、主が与えるあなたの部落のすべての中で、彼らは裁く民の正義を正義で」
賄賂は賢い者の目をくらませ、正しい者の言い分をゆがめるからである。
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民事訴訟では、貧乏人は弁護士に依頼することが難しいと思います。自分は専門外ですので相場はわかりませんが、裁判をすると50万円以上は弁護費用がかかると聞いたことがあります。
聖書の言うように、高い報酬は賢い者の目をくらませないですかね?
常に自分が考えているのは、六法全書を中学生レベルで読めるようにすれば、個人間の訴訟も簡単だと思いますが、社会的にはよくないんでしょうね。
申命記 16ー20
「正義、正義だけを追い求めなければならない」
なぜここに二回も正義(ツェデク)が繰り返されているのか。
正義を追い求めることは人間の最も高い理想として大切だが、この正義はまた正義にかなった方法で追い求めなければならない。
すなわち「正義を正義で追い求めよ」の意。目標が正義にかなっていればそれに達する方法はどうでもいいわけではない。
さらに「正義」が2回繰り返されるということは、正義を追求するさい、一方的になってはいけないということも教えてくれている。常に自分達の方が正しいと主張する人がいるかと思うと、相手の意見を尊重しすぎるあまり自分の側にも正義があることを忘れてしまう人もいる。
二つの意見があって、両方とも正義にかなっている場合、この2つの意見の合意点を見つけるのは、二つの意見の片方を独断的に正しいとし、それを支持することよりは、はるかに難しい。
それでトーラーは「正義」を二度も繰り返して、「あなたは正義、正義(両方の正義)を追い求めなさい」と述べ、「そうすればあなたは生きながらえて、あなたの神、主が賜る地を所有するにいたるであろう」と約束しているのです 。 ラビ ピンハスの教え
צדק צדק תרדוף
ユダヤ法思想 手島 ヤコブ先生より
心を鍛える聖書より
ユダヤ教が終始一貫して人に求めていることは、「愛と真実(へセッドとエメット)」である。
正義は真実な行為によって支えられ、真実は正義によって救済され、真実は愛によって実現され、他方、愛は真実を求める。
弱者をいたわる心情的配慮は必要だが、聖書は、弱い者を庇おうとして彼を飾り立てるなと命じている。すなわち、たとえ愛であっても真実を歪め、また社会的義務や正義を曲げるならば 、これは許されるべきではない。
אמת. エメットと読むんですね。