カバラー
ユダヤ神秘主義 受け取る
カバラーを学ぼうとするものは、聖書とタルムードをたっぷりと「腹に詰め込んで」いるのでない限り、ユダヤ神秘主義を理解することはできない。
このような意味で、カバラーは他の個々の神秘主義に似ている。伝統的な構造を捨てたり、「易しく噛み砕いて」、自らを少数の概念や総合的なイメージに切り詰めたりする宗教システムからは、概して神秘家は生まれない。たとえば、プロテスタントの神秘主義の実例はほとんどない。
ゲルショム・ショーレムが指摘したように、カバラーは保守的な性格をもっている。それは波風をたてたり、伝統的ユダヤ教を再構築しようと試みたりしない。悔い改めて精神を無にして、適切に発せられたシェマには、滞在的に、カリフォルニアにおけるいかなる瞑想的修養会よりも深いユダヤ教的体験がある。 カバラー phd ピンハス・ギラー 中村 圭志訳
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約3ヶ月かけ読み終わりました。日本人でもカバラーのグループがあり入門セミナーを開催しています。一年前参加するか悩みました。振り返れば参加しないで独学の方が、自由に理解できるのでよかったと思っています。
自分が初めてカバラーに興味を持ったのは、4年前イスラエルのツファットに行く前に少しだけでも理解したくて本を読みはじめたのがきっかけでした。
その時から直感的に感じたことは、500年前のヨーロッパで宗教の弾圧があり、キリスト教へ改宗しないと生きられない時代に、10の言葉とセフィロートとアレフベートの22文字を体に例えて。聖書を体に刻み込みユダヤ教を表に出さずに、ユダヤ教を信仰していたのではないかと想像しました。
今でもカバラーは理解できていません。理解できないことを前提に学んで行くのも楽しいものです。その学ぶ過程を楽しめます。
この本の最後の、ゲルショム・ショーレムの「悔い改めて精神を無にして、適切に発せられた祈りには」これは日本の数ある宗教団体の祈りにも近いものがあるのではないかと感じました。