問い続けるという学び

― 禅とトーラー、そして消費税 ―
最近、 『禅 シンプル生活』という本を読んでいたら、
「答えはひとつではない
― 問い続けることに意味がある ―」
という言葉が出てきました。
その中で紹介されていたのが、
「本来本法性、天然自性身」
という、釈迦の悟りを表す言葉です。
それを読んで、ふと思い出したのが、 トーラー研究家・手島先生の最初の教えでした。
「トーラーには答えがない」
ただし、 聖書本文だけは変えてはいけない。
しかし、 その解釈は無数にあり、 人それぞれ違う。
だから、 自分で問い、 自分で考え、 一生かけて学ぶ。
そんな教えだった記憶があります。
この「答えのない学び」に、 自分は夢中になりました。
なぜ同じ箇所を、 毎年、毎週、何千年も読み続けるのか。
子供が読むトーラーと、 老人が読むトーラーは違う。
学者が読むトーラーと、 人生に疲れた人が読むトーラーも違う。
置かれた環境、 経験、 時代、 立場。
すべてで解釈が変わる。
だから、 答えは固定されない。
フランスの造船所でよく聞いた言葉、
「Ça dépend des conditions
(サ・デポン・デ・コンディション)」
“状況による”
という感覚に、 どこか似ています。
これは、 人生そのものにも言える気がします。
最近話題の「消費税問題」も、 まさにそうかもしれません。
善か悪か。
簡単には答えが出ません。
フランスでは、 共和制的な社会システムの中で、 価格競争は比較的少なく、 ルールの中で商売している印象があります。
価格を壊して奪い合うより、 内容や文化で競争している感じ。
一方、 日本は自由競争。
安く、 さらに安く。
原価割れでも仕事を取りにいく世界があります。
その中で、 消費税も払う。
インボイスも始まる。
下々はなかなか大変です。
けれど、 税金は嫌でも、 福祉は必要。
これもまた、 単純な正解がありません。
政治家の先生たちに任せるしかないのでしょうけど、 少し問題もありそうです。
正直、 一票で何か変わる感じもしない。
失われた30年。
自分は30年以上、 自民党に入れたことはないけれど、 日本はあまり良くなっている感じもしない。
むしろ、 少しずつ苦しくなっている気もします。
消費税を10%から5%に戻して、 インボイスもやめて、 一度社会実験してみたらどうなるのだろう。
そんなことも考えます。
でも、 ここで書いても、 すぐ世の中は変わらない。
だから最後は、
「この時代の中で、自分はどう生きるのか」
そこが一番の課題なのだと思います。
禅も、 トーラーも、 茶の湯も、 答えを押しつけるものではなく、
問い続けるための道具なのかもしれません。
そして、 問い続けることそのものが、 人を少しずつ深くしていく。
そんな気がしています。

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