有漏路より無路地へ帰る一休 楽園のお茶


洗心 心洗われる景色

有漏路より無漏路へ帰る一休み

雨ふらば降れ 風ふかば吹け

有漏路――それは、煩悩のあるこの世界。

思い悩み、求め、揺れ動く、人の営みの場。

無漏路――それは、煩悩を離れた本来の世界。

静かで、満ちていて、何も欠けていない場所。

その二つを分けて考えていたけれど、

本当は、そのあいだにこそ

私たちは生きているのかもしれない。

この人生は、どこかへ行くための苦行ではなく、

ただ一度の――一休み。

そう思えたとき、

何かを変えようとする力が、ふっとゆるむ。

雨が降れば、そのままに濡れればいい。

風が吹けば、その流れに身をまかせればいい。

抗うのではなく、委ねる。

操作するのではなく、味わう。

今朝、久しぶりに海の上で朝日を浴びながら、

一服のお茶をいただいた。

素朴な景色に、ただ心が動く。

言葉にならない静けさの中で、

呼吸が深くなり、身体がゆるんでいく。

自律神経が整い、

張りつめていたものがほどけていく。

社会のざわめきから少し離れ、

気づけば、心も軽くなっていた。

ただ光を浴び、ただお茶をいただくだけ。

それだけなのに、十分すぎるほど満ちている。

茶の湯もまた同じ。

湯を沸かし、茶を点て、いただく。

その一連の中に、余計なものは何もない。

だからこそ、心が洗われる。

だからこそ、本来に戻る。

それは特別な修行ではなく、

日常の中にある、小さな奇跡。

ふと思う。

この世界は、仮の住まいであり、

この身体もまた、仮の器。

すべては流れの中にあり、

留まるものは何もない。

それでも、その仮の中で

こうして一服できることが、どれほど尊いことか。

風が吹く。

波がゆれる。

太陽が昇る。

そのすべてが、そのままでいい。

そして、その中で一服。

そのとき、ふと心の奥で思った。

――これを待っていました。

楽園のお茶|仮庵

今日もまた、海と太陽のあいだで。

PS

本当は、一休宗純のような、

破戒僧とも言われる自由で型破りな生き方に触れながら、

仏道について書こうと思っていました。

けれど、この一服があまりにもよかったので、

理屈よりも、この感覚をそのまま残すことにしました。

これでいこうと思います。😊

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