今日の教え リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 4月 17, 2020 イスラエル教(おしえ) ラビ トケイヤー先生※人間は人がいうよりも低く、人が考えるよりも高い。※睡眠ほど良い医者はいない。※胃の3分の一を食物で埋め、もう3分の一を飲み物で埋め、3分の一をからにしておきなさい。 胃は頭とちがって、無制限に詰め込むことはできないのだから。^ - ^今週も忙しく仕事をして、沢山腹が空いたから食い過ぎ、断食に行きたいけどコロナウイルスで足が向かないな。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ
ラビ ヒレルの格言 8月 30, 2016 「私が私自身のために存在していなければ、誰が私のために存在してくれるのか?」 問いをして、次の問いを。 「しかし私が私のためだけに存在しているのなら、私は何だろう?」 ミシュナー アヴォート 1 ヒレルおよびシャンマイは彼らから承けた。 ヒレルは言う。平安を愛し、平安を求め、人類を愛し、彼らを律法に近づけさせるアロンの弟子のひとりになりなさい。 彼はよくいう。名声をえようとする者は枯渇し、トーラーを学ばない者は死罪にあたる。 ユダヤの教えを利用する者は滅びるであろう、と。 ラビヒレルはよくいう。 私が私自身のために存在していなければ、誰が私のために存在してくれるのか。 しかし私が私のためだけに存在しているのなら、私は何だろう。 もし今でないならば、いつの時があろうか。 シャンマイはいう。時を定めて律法を学び、口数少なく実行に励み、すべての人をにこやかな顔で迎えなさい。 ラバン ガマリエルはいう。教師をもとめ、疑問を晴らしなさい。 彼の子シメオンは言う。生まれてこのかた私は賢者の中で育ったが、沈黙にまさるものを見いださなかった。肝心なことは注釈ではなく実行である。口数の多い者はすべて罪を招く。 ラバン シメオン ベン ガマリエルはいう。 この世は三つのものの上に立っている。 さばきと真実と平安の上に。 …………………………………………………………………………………………………………………………………… 私と私ですので、繰り返し考えています。 …………………………………………………………………………………………………………………………………… 知恵と学問は別のものである。本の知識には疎くても、経験と反省を純化させて、人間存在の基本原理を知る人は大勢いる。一方で、多くの学習を重ねてもなお、愚かである者も大勢いる。 この後者のような人のことを、ラビ文学では「本を乗せたロバ」という。 しかし、学習が知恵に絶対不可欠だとは言えないにしても、学問が通常、知恵に向かうための最初の、その長い一歩であることは間違いない。 心の義務 善なる生活 より ラビミルトン 続きを読む
③ ヨットの守破離 1月 25, 2026 40年にわたるヨットの守破離?です。 ⛵ヨットと道楽、そして自分の守破離 20歳のころ、Dr.B先生に誘われて初めてヨットのクルージングに乗せてもらった。 その体験がきっかけで、セーリングの世界に足を踏み入れた。 技術をもっと上げたくて、クルー(乗組員)として数々のレースに参加し続けた。 10年以上の下積み。 怒鳴られ、バカにされながらも、やめずに続けた。 一番つらかったのは、動く前に「これをこうしろ」と具体的に言ってもらえれば、気持ちよく動けるのに、ただ「違う!バカヤロー!」と怒鳴られることだった。 最後に参加したジャパングアムレースでは、プロのクルーが乗り込んできて、また怒鳴られ、思わず「うるせえ」と喧嘩腰になってしまったこともある。 ここからが、ヨットの世界の現実だった。 このレース艇、ヨット本体もレース費用も含めて約1億円。 自分にできるか? 月に20〜30万円の給料では、そんな“道楽”は天国まで届かない。 つまり、自分で道を拓くしかない。 これが、自分の守破離のはじまりだった。 まずは、岩井海岸で小型ヨット(レンタルディンギー)を借りて、舵取りのトレーニングを始めた。 そのうち、共同オーナーとしてディンギーを購入し、レースにも出場するようになる。 小さな一歩でも、自分の力で進むセーリングの道が始まった。 やがて、一つの夢が芽生える。 ヨット雑誌で目にした、単独大西洋横断レース。 フランス・ブルターニュからカナリア諸島を経由して、カリブ海へと渡るレースだった。 資金集めからヨットの購入まで、すべてが紆余曲折だったが、 ついには単身でフランス・ブルターニュの造船所に渡り、泊まり込みの許可を得て、 自分の手でヨットを造船し、完成・進水。 その後は単独航海のトレーニングを重ねて、レース本番へ。 結果は30艇中9位。 日本人として初めてのゴールだった。 ──ヨットの世界も、やっぱりお金がないと守破離はできない。 でも、お金がなくても“志”で突破口を見つけることはできる。 それが、自分の道楽のかたちだった。 続きを読む
円相 1月 03, 2026 南禅牧雲和尚・塩沢大定和尚の円相が、昨日手元に届きました。 臨済宗南禅寺派管長を務めた高僧の直筆色紙が、なんと2,500円。 あまりの価格に驚きましたが、調べていくほどに、その重みを感じずにはいられません。 改めて思い出したのが、村田珠光に一休宗純が円相を送り、それが侘び茶最初の掛け軸になったという話です。 茶の湯の原点に、円相が静かに置かれていたという事実は、とても象徴的に感じます。 ただ、私自身の人生観から言えば、 どれほど価値ある作品であっても、モノそのものに頭を下げる気にはなれません。 では、なぜ茶道では先人に頭を下げるのでしょうか。 感動すること、それだけで十分ではないか。 一休和尚の言葉を借りるなら、「ものはもの」。 大切なのは、形や権威ではなく、そこに込められた意味を深く味わうことなのだと思います。 私なりの解釈では、 円相とは「生命」であり、「循環」。 始まりも終わりもなく、欠けも満ちも含めて、ただ巡り続けるもの。 一休和尚は、そのことを一筆の円で示したのではないでしょうか。 頭を下げるべきは、作品ではなく、 そこから何を受け取り、どう生きるかという、自分自身の心。 円相は、今も静かに、そう問いかけているように感じます。 続きを読む