七人の物乞いの話 寓話
ユダヤ教の精神構造 市川 裕 - 著 東京大学出版会 より
市川先生の本を読みはじめて、七人の物乞いの話に興味を持ちました。
先日ダビンチのキリストの絵が500億で落札されたけど、ダビンチも謎に包まれているので理解が難しいですね、数年前にルーブル美術館でモナリザを見たけど価値が理解できませんでした。でもレンブラントはそのままですね。
本文より
ラビ・ナハマンの寓話 ラビ・ナハマン(1772-1811) イスラエル・バアル・シェム・トーブ(ベシェト)の曾孫。
無限あるものを見定める目的学と、そこへたどりゆく回路をどこに求めるかという方法学こそが、ナハマンの精神世界、及びその寓話の世界を理解するための要諦ではなかろうか荒唐無稽な疑似科学的解釈に陥るか、それとも、人格的決断を促す宗教的アレゴリーallegoryたり得るかは、ひとえにその点にかかつている。ちなみに、シュタインザルツの注釈によれば、六人の物乞いとは、順に、イサク、アブラハム、モーセ、アロン、ヤコブ、ヨセフを暗示している。そして、七人目の両足の衰えた物乞いとは、七人の義なる羊飼いの残りの一人であるダビデということになりうるであろう。
・・・・未来を予告する者に盲人が多かった・・・・・・・
タルムードの中に、盲人のことを光溢れる者(シェファ・オール)」とする表現が使われていた。周知のように、聖書は神の天地創造の最初のわざを、光の創造としている。通常の人間は、まぶたとひとみが目に入る光の量を調整しているからこそ、世の中のものが見える。しかし、盲人は神に由来する無量の光をすべて吸収している。
カバラー神秘主義の展開史において、大きな転機となったものの一つは、神を「無限Ein Soph(エーン・ソーフ)」と表現した思惟の出現である。
・・・・・・この意味でエーン・ソーフという表現を用いた最初の人物は、盲人イサーク、そしてその弟子のヘローナのアズリエルであったといわれる。
・・・・・・
盲人を扱った寓話は、寓話による説教を得意としたラビ・ナハマンの最晩年の説教であると『七人の物乞いの話』に出て来る。そこに登場する盲目の物乞いは、自分が盲目ではなく、世界は自分にとっては一回のまばたきほどの一瞬に過ぎないと語り、だから自分はとても老いていながらとてもとても幼いのだと言い、実際にだれよりも昔のことを知り、天地創造までも知っているのだ、と語るのである。
・・・・・・・・・七人の物乞いがいずれも身体に障害をもった者で、障害と見なされるものが、実は無限の世界、超越の世界との不可欠の通路を意味していることが主題となっていることに気づいた。身体障害者は神に祝福された者であり、経験世界のなかにある無限なるものと被造物とを繋ぐ媒介者としての役割を託されている。
「七人の物乞いの話」と無限への希求
シュタインザルツによれば、この寓話は、ナハマンの死の半年前に語れたもので、寓話中で最後の、しかも最も重要な作品と見なされている。(A.Steinsaltz,op.oit.,p.12.)
ここに登場する七人の物乞いは身体に障害をもっている。しかし、このことが、正常な五感と五体をもつ通常の人間が捉えることのできない未知の世界、時間と空間に定位された経験世界を超える超越の世界への突破口であることを示している。・・・・・
・・・・・・・
物語は、ある国の王とその息子の話から始まる。
王は宴を催して王位を息子に譲るが、その席で息子が王位を追われること、しかし悲しむなかれと予告する。さて、息子は知恵ある者を重んじ褒美を与えたので、国中の者が知恵の獲得のみに従事するようになり、ついには戦争のやり方さえ忘れてしまう。そして国中に智者があふれ他国をはるかにしのいだが、賢者らは知恵が増したために背信にとりつかれてしまう。凡人たちは知恵が浅いので害されないが、賢者や王子はついに信仰から外れてしまった。そこでいったん話は終わる。
それに続いて、再びある国の出来事が語られる。今は昔、ある国で人々の間に逃亡が起こった。全員が散り散りになり、そのさなかに、森の中で二人の男女の子供が迷子になる。空腹で泣き叫ぶと、一人の物乞いがやってきた。盲目であら。二人にパンの余分をのこし、わたしのような長老になるように、と祝福して去っていく。パンが尽きて再び子らが泣き叫ぶと、耳の聞こえない物乞いがやってきた。そして同じように祝福して去る。こうして、次々に物乞いがやってくるが、三番目には口の重い者、四番目には首の曲がった者、五番目は背の曲がった者、6番目両手の萎えた者、7番目には両足の萎えた者が来ては、パンを与え祝福して去る。
その後、子らは集落に至り、戸口を尋ね歩き食事を与えられて暮らすうち、生活にも慣れ、さらに都市に移って、多くの物乞いの仲間になる。皆の提案で二人は結婚することになり、喜びの宴が催されるが、その中で二人は命を助けてくれた物乞いを思い出して泣く。するとそこへあの物乞いたちが祝福にやってきて彼らの本当の姿を語り出す。宴の第1日目に盲目の物乞い、2日目に耳の聞こえない物乞いという順で、6日目の両手の萎えた物乞いがやってきて語るところで、寓話全体が終わる。
