あげよ ナソー נשא

願わくは主があなたを祝福し、あなたを守られますように。
願わくは主が御顔を向けてあなたを照らしあなたに恵みを与えますように。
願わくは主が御顔をあなたに向けてあなたに平安を賜るように。

キリスト教会では、最後に集まった人を神父が祝福する。アメリカ合衆国就任式でもこの言葉が使われる。

祝福とは抽象的であってはならない。ユダヤ人は、祝福というものは、人間の最も基本的で大切なものを必要なだけ確保するものだと解釈している。
それは住む家、毎日の食事、着る衣服、そしてお金の四つの要素だと考えている。
だから祝福とは、夜寝るとき家があり、ひもじくなく、着るものもあり、ある程度のお金を持っているということである。
 
しかし3番目の言葉はヘブライ語では、「神が守るように」といっている。何から守るかを考えてみよう。神が祝福を与えてくれて、衣食住、お金を保証してくれたが、人生はそれだけではない。
4つのものだけがすべての人生だと誤解することから、神が私を守ってくださるようにという意味だとイスラエル人は考えた。

「み顔をもってあなたを照らし」
というのはどういう意味であろうか。これは決して日光浴をしろという意味ではない。いつも明るい表情をしていられるように、という意味である。非常に大きな富を持っていても幸福でない人は多い。健康な精神を持った人になりたいということである。     (ハートスマイル💓)

「あなたを恵まれるように」
とあるのは、何だろうか。ヘブライ語では「ビフネッカ」といって、非常に多くの意味を持っている。日本語では「恵まれるように」となっているが、この言葉が実際にどういう意味を持って使われているか、多くの論議が重ねられてきた。イスラエル人の間で定説となっているのは、このことばが持つ「教育」という意味を使うべきだという解釈である。読み書きができて、自分の家族または自分が教育を受けていたとすてば、これは大変な恵みである。
 教育を受けられることは非常に大きな恵みだとイスラエル人は考えている。3000年以前から、イスラエル人の間ではこういう考え方があった。

「願わくは主がみ顔をあなたに向け」というのは、ユダヤ人は、神があなたの家に住むように、という意味によっている。ということは、神に祈る場所は、決して礼拝所でなく、自分の家の中で祈るのが一番大切だと考えられていた。
寺院よりは自分の家が神に祈る場所だった。家庭が非常に幸福で幸せになるように、という願いが込められているからである。

最後に、英語と日本語訳では「あなたに平安を賜わるように」と家庭の平安を祈っているが、しかしヘブライ語では「あなたが平安を獲得することができるように」となっている。英語訳のようであると、いかにも平安がタナボタ式に落ちてくるようにという祈りになっているが、ヘブライ語ではそういうニュアンスではなく、やはり個人の努力によって、という意味がこめられている。


旧約聖書の英知と教え     ラビ  M トケイヤー  より
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去年の自分のブログコピペです。(半分足しました。)
あっという間に一年が過ぎていきます。

「あなたに平安を賜わるように」と「あなたが平安を獲得することができるように」
お守りで神に守ってもらうのではなく、自分が神との誓いを守ることだと思います。

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יברכך יי וישמרך
יאר יי פניו אליך ויחנך
ישא יי פניו אליך וישם  לך שלום



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