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善悪の知識の木

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  善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。創世記2ー17 ウエメツ       しかし木から ハダアット   知識の トブ              善 ヴァラア      と悪の ろー              トハル         お前は食べるな ミメヌ         それから キー             なぜなら ベヨム         日に アホルハー  お前が食べる ミメヌ         それから モット タムート       お前は必ず死ぬ ………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………     アダムとエバが食べた木はなんだったのか? アッコーのラビ アッパー     「エトログだ」 ラビ  ヨセ   「それはイチジクの木だ」                    イチジクの木が、その実を食べたアダムに戸口を開き 、彼に宿を提供した。それ故、 最初の着物として『彼らはイチジクの葉をつづり合わせた。』 ラビ メイル  「それは本当は小麦だった」 しかし別のラビたちは、「聖書は木といつているではないかと質問した。 すると、「(昔は)小麦はレバノンの杉のように背が高かったのだ」 ラビ ユダ ベン イライ「それはぶどうの木で、彼らはぶどうを食べたのだ」 「それ故、聖書は『(ソドムのぶどうの木)ぶどうの房は苦い』 つまりぶどうの房が世界に苦しみをもたらしたということだ。 ヨシュア ベン  レビの弟子たち...

ベレシート

トーラー(モーセ五書)を1年間かけ読むことを、 イスラエル人の真似をして約3年近く経ちます。 今年も読み始めました。読めば読むほど疑問が増えていきます。 聖書の本文は変えてはいけないけど、解釈は人によって違ってもいいようです。 3年間、日本語訳の旧約聖書を読みましたが、日本語訳が訳した人の解釈ではないかと最近感じます。 自分はヘブライ語は読めないので、日本語で読めることに感謝しなくてはいけないのですけど。 これをイスラエル人は3歳からヘブライ聖書を読み、12歳で人とは違う自分の解釈をして、成人式を迎える。 自分の3歳から12歳は玩具で遊ぶことしか考えていませんでした。ここに大きな人生の違いがあるんですね。 ……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………… בראשית べレシート 初めに אב    アバ 父 בבר    べバル 息子 ראשית   レシート  שבת        シャバット ברא        ベラ      創造した ראש       ラッシュ     頭 אש        アッシュ     火 שת        シュット     基礎 רב        ラブ       偉大な איש       アイッシュ   人間 ברית     ベリト      契約 הב       トブ      

とうごま

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ここ数日、ヨナ書で伝えたいことは何かと考え続けていました。 何度か読み返して、自分が一番印象に残ったのは"とうごま"、一夜にして与えられ、一夜にして失う。 そしてヨナが死を求めることでした。 ……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………… 先週はイスラエル人の 「仮庵の祭(スコット)」でした。 スコットはその場しのぎの小屋のことで、四方を板や幕で覆った仮り小屋。 これは、シナイ砂漠を40年間旅から旅へとさすらい、仮り小屋で過ごした記念。 スコットの祭りの間7日間食事は全てこの小屋の中で食べることになっている。 他にも祝うことはあり、秋の収穫に学問そして共同体のシンボルのようです。 ……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………… ヘブル人 がエジプトの奴隷より解放されて、先祖が砂漠を40年間さすらったことをしのぶ記念の意味もあるようです。 なぜ40年間さまよったのか?  その世代の人たちは奴隷根性が染み付いて、自由人になるには世代を超える必要があったようです。 ・奴隷と自由人の定義     ヘブライ聖書的に考えると。 神の下では全ての人が平等ここが基本。では奴隷は、人の下で平等なことですかね? ……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………… 自分は東日本大震災の時に、銚子マリーナに停泊していたヨットを津波で失いました。 ヨナ書の与えられそして失う、このことように感じました。 家いや国を失っても生きつづけるイスラエル人の強さはここにあるように改めて感じました。

裁きの日と贖罪の日

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光輝の書   I.fol.114ab  より 角笛を吹き鳴らせ新月、満月、わたしたちの祭りの日に。詩篇81 ティクゥー   吹き鳴らせ ヴァホデシュ    新月 ショファル   角笛を バケセ    新月 レヨム  日に ハゲーヌ   わたしたちの祭りの   セレブレーション ……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………… 詩篇の訳の解釈が違うように感じます。 光輝の書によると、この時期の月は邪悪に覆い隠されている。 ローシュハシャナ  裁きが世に行われ、悪魔が訴えを起こすとき、イスラエルはショーファール、すなわち火と水と空気とがひとつに結び合わさっているあの声の響きに奮い立つ。この声は天の裁きの王座まで上ってゆき、全天を揺るがす。 だが、この声がしたからあがってくると、上でヤコブの声が強くなる。すると至聖はその愛を活発にすることができる。 新年に100回角笛を吹くようで、日本の除夜の鐘と同じような意味があるようです。

航海の苦しみ

航海に出るといつも苦しみを感じます。 初心者のころは船酔いで苦しみ続けました。 船酔する人のことを’マグロ'と言います。それは船底で冷凍マグロのように動かないからです。 自分はマグロにならずにそれを乗り越え、航海を続けてきました。 海に出ると全てに謙虚になり、素直に日々の行いに反省して謝り続けます。 そしてそれを乗り越えると、新しい自分に出会えました。 贖罪日にヨナ書を読み返し、航海の時に懺悔していることを思い出しました。

イスラエルの息子たち

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ベネー イスラエル 出エジプト期35章の復習です。 ベネーイスラエルが残りました。聖書日本語訳では、イスラエルの人々です。 これについて少し考えてみました。 ………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………… イスラエルの子 アブラハム・イサク・ヤコブの12人の子供が12部族のイスラエルの子。 ヘブライ聖書では、出エジプト期と言わないで、名前がタイトルだったと思います。 イスラエル人の優れていることは、3000年以上先祖をたどれるところだと思います。 自分も珍しい名前だけど、戦死したお爺さんの先はわかりません。 それに比べ一つの血筋を伝え守り学び続けているイスラエル人には感心します。 イスラエル人の定義、イスラエル人の母親から生まれた子供、ここにその理由があるように思います。

贖罪日

今日は贖罪日のイブで断食して一年の罪を懺悔するようです。 マイモニデス  רמב"ם   によると、次のように祈ります。  「ああ主よ、私は罪を犯しました。私を咎をおこないました。あなたの前に掟を破りました。私は~のことをおこないました。私は悔やんでおります。自分の行為を恥じております。二度と(永遠に)この行為を繰り返しおこないません」  これが祈りの軸になります。多く祈れば、長く祈れば祈るほど賞賛に値すると考えられています。     ( 日本ヘブライ文化協会 ホームページより) 賢者の考え 神は許さない人間を憐れまない。  ベンシラ   「ゆるし」 隣人から受けた不正をゆるせ。そうすれば、祈り求めるとき、罪はゆるされる。 人が互いに怒りを抱きあっていながら、どうして主から癒しを期待できようか。 自分と同じ人間に憐れみをかけられずにいて どうして自分の罪のゆるしを祈りえようか。     (シラ書28.2~4) ラビ ガマリエル  タルムード シャバット151b 「他に憐れみを示す者は、天から憐れみを示される。しかし他に憐れみを示さない者は、天から憐れみを示されない」 ゆるすことは力   ラビイエスは、ゆるすことが解放する力を持つことを知っていた。人間はゆるすことができるとき、驚くべき自由を体験する。 50年以上生きてきて、自分の人生で一番かけているとこですね。 だから怒りから自由になれなかったんですね。

知恵・悟りと・知識

エジプト期の予習です。 仕事も少し落ち着き、熱い夏も終わり読書にも集中できます。 エジプト期35・31 ベッアエルに神の霊を満たし、フォフマーとテブゥナーとダアレットを全ての仕事で。 ラビ シュロモ ベンイツハクのコメント 「知恵(フォフマー)とは、他人から聞いたり学んだりして得たこと柄である。悟り(テブゥナー)とは、学習した事柄の中から心が自ずと或ることを理解することである。知識(ダアット)とは、聖霊によって知ることである」と註釈している。(知恵とは一般的に知識と呼んでいるもの、また、処世術的知恵を指す。彼の言う「知識」は霊感や天啓によって与えられる高度な、深遠な知識を指している) 医師であったイブンエズラは「ホフマーは脳の後頭部に蓄積され、テブゥナーは脳の中央部にあってホフマーとダアットとを結ぶ。ダアットは額で感知された事柄を脳に織り込んでいる」 と1000年近く前に脳科学的所見を述べている。  出エジプト期 手島先生より

生と死の選択

どうか命を選んでください。そうすればあなたとあなたの子孫は生きながらえることができるであろう。   申命記30-19 これについてユダヤ系精神分析学者のエーリッヒ・フロムは次のことを言っている。 「自殺するような場合を除いて、人はどうして生と死とを選択することができようか。だから聖書本文が言っているのは生物学上の生死ではなく、原則と価値としての生死のことではないだろうか。」 生きているとは成長し、反応し、進歩していることを意味する。死んでいるとは(たとえ生物学的に生きていても)、成長がとまり、化石化し、生命を失った物体になることを指す。多くの人は、この観点に立った生死の選択をないがしろにしている。 したがって生でもない死でもないどっちつかずの生活をしている人は、体は生きていても魂は死んだも同然だ。まず、命を選ぶことなしには、愛とか自由とか真理がない。また、命なしには神を愛することもできない。なぜなら、詩篇の作者が書いているように、「死んだ人々は神をほめ讃えることができない」(詩篇6-5)からである。  ラビ   ビンハス ……………………………………………………………………………………………………………………… 成長    反応    進歩が生きていることですね。 生体が、刺激を受けた結果として変化や活動を起こすこと。        二種以上の物質の間に化学的変化が起こること

イスラエル暦の新年

来週はイスラエル暦の新年ですね。一年間の反省をして来年の目標を立てるようです。 甘い一年であるように、りんごに蜂蜜をかけて食べる。 りんごは神秘思想でシェキナーをあらわすともいわれているようです。 来年は5777年 マイモニデスは法典の中で印象的な説明をしている。 ショファールについて、それはこう言っているようである。目覚めなさい、眠っているもの、人生の中で眠りに落ちてしまったものよ。自らの行為を反省しなさい。あなたの創造主を思い出しなさい。現実を避け、かわりに影を追いかけるもの。徳にも救いにもならないつまらぬものを求めて、年月を無駄にしないようにしなさい。自らの魂をよく見つめ、行いを正しなさい。不道徳な行いと考えを捨てるのです。 ……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………… 第三日 神はまた言われた。「天の下の水は一つ所に集まり、乾いた地が現れよ」。そのようになった。 神はその乾いた地を陸となずけられた。神は見て、良しとされた。 創世記   ベレシート より 新年  ローシュハシャナーがアダムの誕生日のようです。

wisdom 懸命で賢明な生き方

哲学を「philosophy」というが、philとはlave of のこと。sophiaとはwisdomのことである。 つまり、哲学とはlove  of wisdomを一語で言い換えた言葉。  タルムード 石角先生 より ……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………… wisdomはヘブライ語でフォフマ  知恵 叡智です。 ミシュナとかタルムードによく出てきます。 最近学んだミシュナでは、 ・ 知恵の垣根は沈黙 ・知恵のないところには。畏れはない。 ・知恵のないところには理解もない。 仕事仲間で飲み友達の田中さんと議論になると、田中さんは「あなたには哲学は負けない。」 とよくいいます。 勝ち負けで会話しているので、怒鳴り始めたり、 議論なのに口喧嘩になりそうになることもよくあります。 議論には勝ち負けがないと最近よく思います。 自分の考えを相手に理解してもらうことだと思います。 と言いながらも、最近iPhone7の予約電話で、「この電話で予約しないとキャンセルになります。」といわれて、自宅で電話を受けているので、仕事の予定がわからないと、3度繰り返しても同じ答え、あまりにも一方的なので大きい声を出してしまいました。 …………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………… ユダヤ人 女性政哲学者ハンナ アーレントの映画でも、同民族に非難されました。 ハンナ  アーレントはミシュナやタルムードを学ばなかったんですかね? でもすごい哲学です。現在の日本にも悪の平凡があるように思います。 ハンナ・アーレントの名言「悪の凡庸さ」 世界最大の悪は、ごく平凡な人間が行う悪です。 そんな人には動機もなく、信念も邪心も悪魔的な意図もない。 人間であることを拒絶した者なのです。 そして、この現象を、私は”悪の凡庸さ”と名付けました。 「考える」ということに一生を捧げた哲学者がいる。それがハンナ・アーレントだ。1906年にドイツに生まれたユダヤ人女性政治哲学者である。「全体主義とは何か?」という問に対して明確な答えを出した人物として有名であり、2013年には「凡庸なる悪」という映画として...

ミシュナ 復習 財産

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伝統はトーラーの垣根     一割税は富の垣根 誓いは浪費の垣根 知恵の垣根は沈黙 富の垣根、"富  自分の財産は    健康な体と時間 自由意志      選択けんは与えれている ハバットセミナー    手島先生 ……………………………………………………………………………………………………………………… 使うお金があっても健康でないと使い道がないですよね。 社会の価値観を変えるべきですね。 自由意志、とても自由なように感じますが、これから来る時間の選択ですね。 食べ物、仕事、余暇、寝る時間、起きる時間。 全てに時があるですかね。 トーラー  申命記 がモロッコより日本に来ました。 トーラーの中にエーデゥリーと書かれているようです。 地名か名前のようです。日本のバックメーカーが革製品を仕入に行き買ったみたいです。 本物に触れることは感動しますね。  ^_^?  why    なぜヘブライ語は一文字の長さが違うのか?   音符とか子音母音の区別ですかね。

ミシュナ アボット予習

ラビ エルアザル ベン アザリアはいう。 律法のないところに行儀はない。行儀のないところにも律法はない。 知恵のないところには。畏れはない。 知恵のないところには理解もない。 食を欠いては律法はない。律法を欠いては食もない。 彼はよくいう。 知恵が実践をしのいでいるすべての者は何に例えられようか。 枝が多く張っているが、根の少ない木に例えられよう。 ひとたび風が吹きくるとそれを根こそぎに倒してしまう。「彼は荒野に育つタマリスクのようであり、なにも良いことのくるのを見ない。荒野の干し上がった所に住み、人の住まない塩地にいる」 エレミヤ17-6  といわれている。 実践が知恵をしのいでいるすべての人は何に例えられようか。枝は少ないが、根がよく張っている木に例えられよう。たとえ全世界の風が吹きくるともその場所から動かすことがない。「彼は水のほとりに植えられた木のようで、その根を川にのばし、暑さにあっても恐れることはない。その葉は青く、ひでりの年も憂えることなく、実を結ぶことをやめない。  エレミヤ17-8   といわれている。 ……………………………………………………………………………………………………………………… エレミヤ書の解説のようですね。 行儀   律法   知恵   畏れは   理解   食  実践   木 根  枝  風  川  トーラーの実践ですかね?

正義 正義

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申命記  16ー20 「正義、正義だけを追い求めなければならない」 なぜここに二回も正義(ツェデク)が繰り返されているのか。 正義を追い求めることは人間の最も高い理想として大切だが、この正義はまた正義にかなった方法で追い求めなければならない。 すなわち「正義を正義で追い求めよ」の意。目標が正義にかなっていればそれに達する方法はどうでもいいわけではない。 さらに「正義」が2回繰り返されるということは、正義を追求するさい、一方的になってはいけないということも教えてくれている。常に自分達の方が正しいと主張する人がいるかと思うと、相手の意見を尊重しすぎるあまり自分の側にも正義があることを忘れてしまう人もいる。 二つの意見があって、両方とも正義にかなっている場合、この2つの意見の合意点を見つけるのは、二つの意見の片方を独断的に正しいとし、それを支持することよりは、はるかに難しい。 それでトーラーは「正義」を二度も繰り返して、「あなたは正義、正義(両方の正義)を追い求めなさい」と述べ、「そうすればあなたは生きながらえて、あなたの神、主が賜る地を所有するにいたるであろう」と約束しているのです 。           ラビ ピンハスの教え ……………………………………………………………………………………………………………………… 気づきました。 言葉が通じないのは、お互いに正義が違うからですね。 コミュニケーションミスは、自分の正義を人に押し付けるからですね。 相手を理解することも大切ですね。

タルムード

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「片足が折れれば両足でなくてよかったと神に感謝し、両足を折れば首の骨でなくてよかったと神に感謝する。」 「トーラーを学ぶことは、あらゆる捧げものにまさる。」 「他人になしたあやまちは、小さなものでも大きいものとみなせ。そして、他人があなたになしたあやまちは、たとえ大きくても、取るに足らぬものと考える」

哲学的合理主義

マイモニデス   スペイン生まれの哲学者は、人は神を知ることも、神がどのようなものであるかを知ることもできないが、神がどのようなものでないかを知ることだけはできると言った。 簡単に考えたいのですけど、頭が回りません。 神の存在は証明できないけど、神が存在しないことは証明できない? ですかね。 聖書(トーラー)の理解はここから始まるように感じます。

立派な人間とは?

「自分自身のことを考えてみて、わからない、と自分に向かって言える人間。」

祈り

Judaism の祈り 瞑想の祈り     神の御意について瞑想する。 崇拝の祈り     神の偉大さと不思議さについて。 感謝の祈り     神の恵みを、感謝と恩義を言葉にする。 確認の祈り     信仰と抱負を明確にする。 服従の祈り     工夫も力も尽きた時、重荷を神に投げかける。 懺悔の祈り     罪の意識がその罪を告白し、それを清めることを訴える。 抗議の祈り      世の不正に対する人間の憤りをぶちまける。 探求の祈り      迷い混乱したとき光と方向を求め、神を探し求める。 嘆願の祈り      心の希望、物質的あるいは精神的、自己あるいは他人の希望。 テヘリームに多くあるようです。 祈りが有効であるために、不可能なことを求めてはならない。  タルムードの2例。 妻がもうすぐ赤ん坊を生むという男「妻が出産する子供が男の子(あるいは女の子)でありますように」と祈ってはならない。この祈りは無意味。 もう一つ、ラビたちが厳しく戒めるのは、火事の警報を街中で聞いたときに、人は「私の家が火事になりませんように」と祈ってはならない。その理由は二つある、第一に、そのような祈りは実質的に、不幸が他人に降りかかることを願うものであり、それは非道徳的。 第二に、火事がすでにどこかで起こっているから。 要するに、人は事実を事実でなくなるように祈ってはならない。

ラビ ヒレルの格言

「私が私自身のために存在していなければ、誰が私のために存在してくれるのか?」 問いをして、次の問いを。 「しかし私が私のためだけに存在しているのなら、私は何だろう?」 ミシュナー  アヴォート  1 ヒレルおよびシャンマイは彼らから承けた。 ヒレルは言う。平安を愛し、平安を求め、人類を愛し、彼らを律法に近づけさせるアロンの弟子のひとりになりなさい。 彼はよくいう。名声をえようとする者は枯渇し、トーラーを学ばない者は死罪にあたる。 ユダヤの教えを利用する者は滅びるであろう、と。 ラビヒレルはよくいう。 私が私自身のために存在していなければ、誰が私のために存在してくれるのか。 しかし私が私のためだけに存在しているのなら、私は何だろう。 もし今でないならば、いつの時があろうか。 シャンマイはいう。時を定めて律法を学び、口数少なく実行に励み、すべての人をにこやかな顔で迎えなさい。 ラバン ガマリエルはいう。教師をもとめ、疑問を晴らしなさい。 彼の子シメオンは言う。生まれてこのかた私は賢者の中で育ったが、沈黙にまさるものを見いださなかった。肝心なことは注釈ではなく実行である。口数の多い者はすべて罪を招く。 ラバン シメオン ベン ガマリエルはいう。 この世は三つのものの上に立っている。 さばきと真実と平安の上に。 …………………………………………………………………………………………………………………………………… 私と私ですので、繰り返し考えています。 …………………………………………………………………………………………………………………………………… 知恵と学問は別のものである。本の知識には疎くても、経験と反省を純化させて、人間存在の基本原理を知る人は大勢いる。一方で、多くの学習を重ねてもなお、愚かである者も大勢いる。 この後者のような人のことを、ラビ文学では「本を乗せたロバ」という。 しかし、学習が知恵に絶対不可欠だとは言えないにしても、学問が通常、知恵に向かうための最初の、その長い一歩であることは間違いない。   心の義務  善なる生活  より ラビミルトン

守れ あなたの口を 悪から

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ネッオル  レションハー   メラア 言葉に気をつけるように。  詩篇だったと思います。年のせいで痴呆気味で憶えが悪くなっています。    先日久しぶりに焼き鳥屋さんのカウンターで呑んでいたら、耳の遠い老紳士と合席になりました。 大将の話では元校長先生、ここでは生徒も先生も関係ないので、冗談を言いながら楽しく呑んでいると。 その老紳士が「何処の誰だか素性を知りたいと」   別に焼き鳥食べて名刺交換したくないし、カウンターの酔っ払いで十分なので名乗りませんでした。 すると、老紳士が「自分の話を他でされると困るからあなたの名前が知りたい」とのことです。 私は聖書の学習が好きで、日々学んでいます。と説教を始めました。 大切なことの一つに、3つの口には気をつけよという教えがあります。 ・話す言葉  そして食べる物。 鳥かごから逃げた鳥は戻すことができるけど、一度話してしまったことは戻すことができない。 人の秘密は話してはいけない、話す前は秘密の持ち主でいられるけど、人の秘密をばらすと秘密の奴隷になってしまう。 だから私は人の話は必要以上にしません安心して下さいとラビトケイヤーのタルムードの話をしていました。 このタルムードの噂話に感動し、洗脳され現在に至っています。 聞きたくもないし、話したくもないし、話されたくもないけど、他人の不幸は蜜の味で日本のメディアがよく取り上げることですね。   聖書でこれを戒めているから簡単なことではないんですね。