シャブオットと学び

― 安息日に思うこと ―
今日は久しぶりの安息日。
本来なら機械から離れるべきなのかもしれません。
スマホ、パソコン、AI。
便利になった反面、人は常に「反応」し続ける時代になりました。
ユダヤ教の安息日「シャバット」は、ただ休む日ではなく、
「世界を操作しようとする心を、一度手放す日」
とも言われます。
火を使わない、働かない、電気を使わない。
それは単なる禁止ではなく、
「人間に戻る時間」
なのかもしれません。
海の上で風を感じながら茶を飲んでいる時、
時計ではなく、光や風で生きている感覚になります。
「太陽はすでにそこにある」
そんな感覚です。
そして今の時期、ユダヤ教では
Shavuot(シャブオット)という祭りを迎えます。
これは、過越祭(ペサハ)から50日目の祭りで、
シナイ山でトーラーが授けられた日とされています。
しかし興味深いのは、
ユダヤ人の学びは「知識の暗記」ではないことです。
彼らは、
どう生きるか
どう働くか
どう休むか
どう人と接するか
を学びます。
つまり学びが日常に直結しています。
有名な賢者 Hillel the Elder は、
「自分が嫌なことを他人にするな。
それがトーラーの核心である。」
と言いました。
また、Rabbi Akiva は、
「隣人を自分のように愛せよ」
をトーラー最大の原則だと語りました。
けれどユダヤ教は、単純な「いい話」で終わりません。
タルムードでは延々と議論します。
なぜ?
本当にそうか?
別の解釈は?
現実にはどうする?
答えを固定せず、問い続ける。
手島先生が昔、
「トーラーには答えがない」
と話していたことを思い出します。
そしてハシディズムの創始者
Baal Shem Tov は、
「神は学者の本の中だけでなく、普通の人の喜びの中にもいる」
と教えました。
これは茶の湯にも少し似ています。
高価な道具や難しい理屈だけではなく、
静かな一服の中に世界がある。
利休もまた、
形の奥にある心を見ていたように感じます。
シャブオットでは、夜通し学ぶ習慣があります。
しかし本当に大切なのは、
どれだけ知識を持つかではなく、
「受け取る器を整えること」
なのかもしれません。
カバラでは、
光(オール)
器(ケリ)
という考えがあります。
どれほど光があっても、
器が整っていなければ受け取れない。
海の風も同じです。
風は最初から吹いている。
しかし帆を整えなければ進めない。
人生も同じなのかもしれませんね。
世界平和を祈りながら。🙏