2025年9月3日水曜日

空と本能 ヨットスクール戸塚校長




戸塚ヨットスクール  戸塚校長の「空は本能」について考える


── 仏教・カバラ・日常から見える真理


1. 戸塚校長の言う「空=本能」


戸塚ヨットスクールの戸塚宏校長は、教育や生き方の根幹に「本能」を強調します。

彼のいう「空は本能」とは、頭で作り出した理屈や虚飾を捨て、命そのものの働き=直感・本能に従って生きることです。


ヨットの世界では特にそれが顕著です。

風や波に理屈で逆らえば転覆し、感じて身を合わせれば自然と前に進む。

ここでいう「本能」は、自然と一体になるための原点です。


2. 仏教における「空」


般若心経の「色即是空・空即是色」は、

「すべての存在には固定した実体がなく、変わり続ける」という真理を説いています。

• 色即是空:形あるものは実体がなく空である。

• 空即是色:空だからこそ新しい形を生み出す。


ここでの「空」は哲学的な真理ですが、戸塚校長の「空=本能」と重ねると、

「理屈ではなく、無常の中で生き抜く直感」 と読むことができます。


3. カバラの「光と器」とのつながり


ユダヤ神秘思想カバラでは、

• **光(オール)**=神の無限のエネルギー

• **器(ケリ)**=その光を受け止める入れ物(人間の心・体・世界)


と語られます。

器は壊れることもありますが、その破れ目から光が溢れ出す。


ここで「本能=空」とする見方を重ねると、

人間の根源的な本能(ネフェシュ=生命力)こそ、光に直結する器であると理解できます。


4. 社会と自然の違い

• 自然界(ヨット・風・波)

 → 「風に合わせれば進む」=本能に従う=空の真理。

• 社会生活(政治・ルール・経済)

 → 人間が作った制度の中で折り合いをつける=左脳的な世界。


戸塚校長の言う「空=本能」は、自然界における生き残りの法則であり、

そのまま社会生活に適用するのは難しい面もあります。

しかし、社会で生きるためにも「本能の空」と「理性の秩序」の両方が必要です。


5. 日常に重ねると

• 仕事:左脳で図面や計算を扱いながら、右脳で現場の感覚を読む。

• ヨット:風という「空」に右脳で合わせる体験。

• 茶の湯:器を「空」にして光を迎える侘び寂びの世界。

• 老いと貧:器が壊れて光がにじみ出る「空の美」。


ここに共通しているのは、**「理性と本能」「器と光」「色と空」**の調和です。


まとめ


戸塚校長の「空は本能」という言葉は、単なる教育論を超えて、

仏教の「空」やカバラの「光と器」に通じる普遍的な真理を示しています。

• 本能に従うことは「空」に身をゆだねること。

• 理屈や社会のルールは大切だが、それだけでは自然には進めない。

• 人生は「右脳(本能)と左脳(理性)」を行き来しながら、風に合わせて進むヨットのようなもの。


「空は本能」──それは自然に従い、余計なものを捨て、裸の命として生きること。

その実践の中にこそ、自由と平安があるのではないでしょうか。



🌿 色即是空とカバラ ― 水の道・ヨット・茶の湯・侘び寂びの中にある真理


1. 色即是空・空即是色とは?


般若心経に出てくる有名な言葉「色即是空・空即是色」。

• 色=形あるもの、物質世界、私たちの体や生活。

• 空=実体がなく、移り変わるもの。固定されたものは何もない。


つまり「形あるものはすべて空であり、空だからこそ新しい形を生む」という教えです。

無常の真理をシンプルに表した言葉だといえます。


2. カバラの「光と器」


ユダヤ神秘思想カバラでも、似た真理が語られています。

• **光(オール)**=神の無限のエネルギー。

• **器(ケリ)**=その光を受け取る入れ物(人間の心・物質)


光は器なしには存在できず、器は光がなければ空虚のまま。

つまり「光と器は一体」であり、「色即是空・空即是色」と響き合います。


3. 水の道― 命の水とティクーン


水はまさに「光」の象徴。

パイプや器具は「器」です。

水の道は、器を整えて光(=水)が正しく流れるようにすること。


これはカバラでいう ティクーン(修復) の働きそのものです。

壊れた管を直すことは、命の流れを修復する神聖な営み。

「色即是空」の智慧は、水道の水の中にも生きています。


4. ヨット ― 地球の鼓動に乗る


ヨットは風と波という「無形の空」によって動きます。

帆や船体が「器」となり、そこに自然のエネルギー(光)が宿る。


海はエイン・ソフ(無限)そのものであり、波は一瞬ごとに生まれては消えていく。

これこそ「色即是空」。

そして波はまた立ち上がる、「空即是色」。

ヨットに乗ることは、カバラの奥義を体で学ぶことに近い体験です。


5. 茶の湯 ― 侘び寂びの器


茶室は質素で小さく、ほとんど「空っぽ」。

しかし、その空の中にこそ、一碗の茶(光)が立ち上がります。


茶碗もまた、空であるからこそ茶を受け取れる。

まさに「器を空にして光を迎える」実践です。

侘び寂びの美は、カバラでいう「器が小さいほど光が深く宿る」という真理に通じます。


6. 老いと貧 ― 壊れの中に光があふれる


年を重ねると体は衰え、生活も質素になりがち。

しかし、それは「器が古び、壊れていく」過程。


カバラには「器の破壊(シェヴィラ)」という概念があります。

器が壊れると、隠れていた光があふれ出す。

老いや貧しさもまた「光が滲み出す時期」なのです。


侘び寂びは、まさにこの境地を美として表現したもの。

「空」になっていくからこそ、真の豊かさが現れるのです。


まとめ ― 色即是空と光と器はひとつ

• 水=光を器に流すティクーン。

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