8:14 קהלת
יש הבל אשר נעשה על הארץ אשר יש צדיקים אשר מגיע אלהם כמעשה הרשעים ויש רשעים שמגיע אלהם כמעשה הצדיקים אמרתי שגם זה הבל
יש イェシュ アル there is מב
הבל ハベル 空しい vanity פשכ
אשר アシェル 〜ところの who תבג
נעשה ナアサァ 作られる is done טזבפ
על アル の上に on זכ
הארץ ハアレッツ 地 the earth פתגה
אשר アシェル 〜ところの who. תבג
יש イェシュ いる there are מב
צדיקים ツァディキイム 正しいが righteous ones הקמדמי
אשר アシェル 〜ところの who תבג
מגיע マギィア reaches 届くירמז
אלהם アレヘム to them 彼らに תכצם
כמעשה ケマアセ 業のように as works of ליזבצ
הרעים ハルシャアィム 悪いの the evil ones צגבזמי
ויש ベイェシュ そしている and rhere are פמב
רשעים レシャイム 悪いが wicked ones גבזמי
שמגיע シェマギア 届くところの that comes בירמז
אלהם アレヘム 彼らの to there תכצי
כמעשה ケマアセ 業のように as works of ליזבצ
הצדיקים ハツァディキイム 正しいの the righteous ones צהקמדמי
אמרתי アマルティ わたしは言った I said תיגאמ
שגם シェガム 〜もまた〜と that also ברי
זה הבל ゼェ ハベル これ 空しい this is vanity
新共同訳 この地上には空しいことが起こる。善人でありながら、悪人の業の報いを受ける者があり、悪人でありながら、善人の報いを受ける者がある。これまた空しいと、わたしは言う。
1955年訳 地の上に空な事が行われている。すなわち、義人であって、悪人に臨むべき事が、その身に臨む者がある。また、悪人であって、義人に臨むべき事が、その身に臨む者がある。わたしは言った、これもまた空であると。
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日々よい生き方を心がけ、人様に迷惑をかけないように、世のため人のために生きても、他人より被害を受けることがある。
他人に被害を与えて、利益を受けて財産を残す者もある。
しかし、人が生きるには必ず善と悪がある、悪が善だったり、善が悪だったり、解釈、状況、時代、次元、と様々。
全ては空(煩悩)である。
だから、わたしは生きることを楽しむ、太陽の下、人間にとって、飲み食いし、楽しむ以上の幸福はない。
神様が人の人生に労苦と幸せをあたえる。
ハベル vanityを煩悩と解釈して、伝道の書と般若心経が似ているように感じます。
しかしユダヤ教は呑んで食べて楽しむことも、命・生命の一部と考えているところに、奥深さを感じます。
一切皆苦
池上彰と考える仏教って何ですか? より
煩悩があるかぎり苦しむ「一切皆苦」という考え方
「四苦八苦」仏教に由来する言葉
四つの苦とは
生苦・・・・生まれることにともなう苦しみ
老苦・・・・老いにともなう苦しみ
病苦・・・・病にともなう苦しみ
死苦・・・・死にともなう苦しみ
これに四つの苦を加えたものを「四苦八苦」
愛別離苦・・愛する人と別れる苦しみ
怨僧会苦・・嫌な相手と向き合う苦しみ
求不得苦・・求めても手に入らない苦しみ
五蘊盛苦・・五感や心のはたらきが生む煩悩を制御できない苦しみ
苦しみの原因それが煩悩
仏教では人間のもつ根本的な煩悩を三毒(貪り、怒り、愚か)としています。
むさぼりというのはもっと欲しい❗️と欲張る心です。いくら欲しがっても得られないものは多いですし、手に入れたら入れたで、もっと欲しくなります。限度のない欲望です。
怒りもまた抑えがたい煩悩です。しかし怒りをぶつけても問題が解決せず応酬となる。
愚かさは、
『諸行無常』 全ては移り変わる
『諸法無我』 確かなわたしなど存在しない
といった真理を知らないことです。
これを無明と呼びます。三毒の中でも特別な煩悩で、貪り、怒りの原因でもあります。無明だからこそ貪り、怒る。
俗に百八の煩悩といわれるように、わたしたちは終始、煩悩に心を乱されながら生きています。それが人間というものです。人生は苦しみに満ちているのです。