三千家の元祖は千宗旦であり、宗旦は千利休の孫にあたります。
その質素をきわめた生き方から「乞食宗旦」と呼ばれましたが、
この“乞食”こそ、侘びの生活そのものであり、まさに禅の実践であったと言えるでしょう。
三千家の関係はこうです。
長男・宗守の家が武者小路千家(武者小路通に屋敷を構えたことによる名)。
三男・宗左の家が表千家(正面、本筋の家)。
四男・宗室の家が裏千家(表の屋敷の裏手に位置したため)。
その特色をまとめれば、
表千家は正統にして品格、
裏千家は柔和にして実用、
武者小路千家は質素・侘びの色が濃いと言われます。
自分は、茶道を学び始めてから、
この三千家の背後に、一休宗純の影響があるのではないかという疑問を抱くようになりました。
まだその疑問は疑問のままですが、
宗旦の侘びと禅の生活を思うと、どこか通じるものを感じずにはいられません。
鈴木大拙の本で、禅と茶道、で宗旦と侘び茶を、茶禅同一味 又は禅茶録で紹介しています。
繰り返しになりますが。昔の漢字でこれを本より写すのに3時間かかりました。
はじめにAIの現代語訳より 鈴木大拙 禅と茶道 現代語訳
【やさしい現代語訳】茶禅同一味 又は茶禅録
「侘び(わび)」という一字は、
茶道では特に大切にされ、守るべき心として重んじられてきました。
しかし世の中の人は、
表向きだけ侘びているように見せかけても、
本当のところは侘びの心など持っていないことが多いのです。
見た目だけ侘び風の茶室をつくりながら、
実際には多くのお金を使い、
珍しい茶道具を田畑と交換してまで手に入れ、
客に見せびらかしては、
「これが風流だ」などと言う。
これがいったい侘びと言えるでしょうか。
本来の「侘び」とは、
物が足りず、思いどおりにならない中でも、
自分の欲やわがままを押し通さず、
静かに身を慎んで生きる心のことです。
「侘さい」という言葉を説明した古い書物には、
「侘は立ち止まること、さい(塞)はとどまること。
憂いや失意の中で進めずにいる状態である」とあります。
また、『釈氏要覧』という仏教書にはこうあります。
獅子吼菩薩が
「少欲(欲を少なくすること)と知足(足ることを知ること)の違いは何か」と尋ねると、
仏は「少欲の人は求めず、知足の人は得ても悔いない」と答えました。
この教えを「侘び」の意味と合わせれば、
侘びとは、
不自由でも「不自由だ」と思わず、
不足でも「不足だ」と感じず、
調子が悪い時も「不調だ」と嘆かない心だと理解できます。
もし不自由を不自由と思い、
不足を不足と嘆き、
調子が悪いとすぐ不満を口にするなら、
それは侘びの心ではなく、
ただの“貧しい人”と同じです。
こうした不満の気持ちに流されず、
心が乱れないときこそ、
侘びの心をしっかり守っている証であり、
それは仏の戒(かい)を守るのと同じほど尊いことなのです。
鈴木大拙 禅と茶道より
茶禅同一味 茶禅録より
侘びの一字は茶道に於て重じ用ひて特戒となせり。然るをよく俗輩陽の容態は侘を仮りて、陰には更に侘びる意なし。故に形は侘びたる一茶斎に許多の黄金を費耗、珍奇の磁気に田園を換へて賓客に衒ひ、此を風流なりと唱ふるは抑何の謂ぞや。それを侘とは物不足して一切我意に任せず蹉跎する意なり。侘さいなどと連続して離騒の註に、侘は立也、さいは住なり、憂思失意住立而不能前といへり。又、釈氏要覧に、獅子吼菩薩問少レ欲知レ足有ニ何差別一仏言少レ欲者不レ取知レ足者得レ少不ニ悔恨とあるを合わせて、侘の意と字訓とを見れば、其不自由なるも不自由なりと思ふ念を不レ生、不足も不足の念をおこさず。不調も不調の念を抱かぬを侘なりと心徳べきなり。其不自由を不自由と思ひ、不足を不足と愁ひ、調はざると訴訟へなば、其侘に非ずして実の貧人と伝ふべし。一切如此の念に流到せざる時は、堅固に侘の意を守りて、助仏戒を保つに等し。