2016年8月11日木曜日

わたしはわたしである その2

אהיה   אשר  אהיה  アヘイ アッシェル  アヘイ   の説明のように感じました。



道はどこにも通じない。いや、道は一つの場所に通じるのではなく、むしろ無数の場所に通じる。
われ、と言う者は、全てを言ったのである。各人には全ての人間が含まれいると同様に、この言葉には、全ての言葉が含まれている。それは、シナイ山の上で、神の唇からもれた唯一の言葉だ。ただ、それを神のように言うすべを心得ねばならない。神がわれと言うとき。それは、われのうちに、われとともにある汝ら、という意味。わたしたちが、われと言うとき、それは、われと相対する汝ら、ということを意味する。神のわれは充足を、わたしたちのわれは分離を示す。神の口の中では、われとは愛を意味する。わたしたちの口の中でもそうだ。しかし、もうそれは同じ愛ではない。それはお互いに愛しあうことはやさしい、敵を愛することさえやさしい、自分自身を愛するのに比べるなら、ということだ。  (le mendiant de jerusalem)



なんとなく感じます。          フランスに行きたいですね、