体露金風

今日の禅語

AI  承知しました。
ブログ用に、碧巌録的視点でまとめます。
少し硬質で、余韻を残す文体にします。
体露金風 ― 碧巌録的に読む
「体露金風(たいろ きんぷう)」
本体が露わになり、秋の風が吹く。
美しい言葉である。
しかし、碧巌録的に読むなら、ここで止まってはいけない。
秋の風は情緒ではない。
金風とは、余分を削ぎ落とす風である。
飾り、見栄、役割、立場。
それらを一枚ずつ剥がしていく。
すると本体が露わになる――
と、言いたくなる。
だが碧巌録は、そこを許さない。
「露わになる本体」と言った瞬間、
すでに“本体”という概念を作ってしまっている。
体が露わになるのではない。
もともと隠れていない。
金風とは、
その“思い込み”を吹き払う風である。
何か特別な境地に入るのではない。
何かを獲得するのでもない。
ただ、余計なものが落ちる。
言い訳が落ち、
評価が落ち、
「自分はこうだ」という説明が落ちる。
残るのは、
いま息をしている事実だけ。
碧巌録は、美しい理解で満足させない。
「わかった」と思った瞬間に、
その理解を切り捨てる。
体露金風とは、
悟りの説明ではなく、
説明を許さない鋭さである。
秋風は冷たい。
しかし澄んでいる。
本体が現れるのではない。
ただ、風が吹いているだけだ。
とてもよいテーマでした。
このあたりは、もう思想というより
切れ味の世界ですね 🍂

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