地球は生きている


— 地球と一体になっていく —
地球は生きものだ。
私はそう感じている。
それは理屈からではなく、
単独で大西洋から太平洋を、風の力だけで横断した体験から生まれた感覚だった。
海の上では、人間は驚くほど小さい。
風、波、潮の流れ、昼と夜。
それらに身を委ねながら進んでいくうちに、
私は少しずつ 地球と一体になっていく感覚 を覚えた。
操っているつもりで、
実は生かされている。
進んでいるようで、
運ばれている。
そのとき、はっきりと感じた。
地球は生きている。
さらに強く心に残ったのは、
人間だけが特別なのではない、ということだ。
人間も、動物も、草木も、
同じ生命の流れの中にある。
境界は思っているほど確かなものではなく、
気づけば、すべてがつながっている。
そんな背景があって、
「地球は生きている」という言葉に自然と反応した。
雑誌『ムー』で、三上編集長が
カバラの生命の樹こそが答えだと語っていたのを聞いたとき、
なぜか強く腑に落ちた。
草木の姿を眺めていると、
生命の樹そのもののようにも感じられる。
これは理屈ではなく、感覚だ。
旧約聖書を学びはじめて、さらに驚いた。
数百年前の偉大なラビや賢者たちが、
すでに同じことを語っていたからだ。
世界は生きている。
自然は単なる物質ではない。
光と闇、破壊と再生、
そのすべてに意味がある。
この感覚は、
円相にも重なってくる。
始まりも終わりもなく、
分かれているようで、実は一つ。
かつて在日華僑で仕事仲間だった、
故・田中純一郎さんは、こんなことを言っていた。
「土地はね、水の上に浮いているんだよ」
当時は不思議な言葉に聞こえたが、
今では、その感覚がよくわかる。
天変地異も、
闇と光も、
風も自然も、
すべてが“生きている動き”。
地球は舞台ではない。
支配する対象でもない。
ともに呼吸し、
ともに生きている存在だ。
一服のお茶を点てるとき、
湯が熱すぎてもぬるすぎてもよくない。
湯も、場も、心も、
ただ ちょうどよいところ にあるときが、
私にとっての 楽園 だ。
楽園のお茶。
それはどこかにある場所ではなく、
地球と一体になっていく感覚の中で、
そっと立ち現れる一服なのだと思う。

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