三毒とん じん ち

三毒を学ぶということ
三毒――
とん・じん・ち。
実は三日前から学びたいと思っていたのですが、
うっかり忘れていました。
それもまた、人間らしさでしょうか。
振り返ると、
自分は生活の中で怒り(瞋)が多かったように思います。
若い頃に比べれば、年を重ねてずいぶん穏やかにはなりました。
それでも、イラッとする瞬間はあります。
たとえば、
日本人に日本語が通じないと感じるとき。
質問したのに、違う答えが返ってきて、
結果的に時間を取られてしまうと、
つい心がざわつきます。
車の運転もそうです。
こちらは安全に走りたいだけなのに、
あおるように追い越されると、
やはり一瞬、怒りが立ち上がります。
――修行が足りませんね。
けれど最近は、
その「イラッ」とした瞬間に、
少し間が生まれるようになりました。
怒りに飲み込まれる前に、
「ああ、今、瞋が出たな」と気づける。
それだけでも、
三毒の学びは始まっているのかもしれません。
ユダヤの教えに、
こんな言葉があります。
Time is money. ではない。
Time is life.
――時間はお金ではなく、命そのもの。
だからこそ、
怒りで時間を浪費しない。
命を削らない。
茶の湯も、禅も、
そしてユダヤの教えも、
結局は同じところを指している気がします。
今日もまた、
三毒を一つずつ手放す稽古の一日です。

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三毒を捨てる
― 茶の湯と禅のシンプルな教え ―
とん・じん・ち。
これは仏教、そして禅の教えの根本中の根本とされるものです。
三毒(さんどく)とは、
人の心を曇らせ、苦しみを生み出す三つの毒のこと。
※『禅 シンプル生活』(枡野俊明 著)でも、とても大切に語られています。
① 貪(とん)
欲しがる心・執着
もっと欲しい
足りているのに満足できない
人と比べてしまう心
禅では、
「足るを知る」ことで自然に薄れていく毒とされます。
② 瞋(じん)
怒り・いら立ち・憎しみ
思い通りにならない怒り
他人への攻撃心
自分を責める怒りも含まれる
禅では、
「そのままを見る」ことで熱が冷めていく毒。
③ 癡(ち)
無知・思い込み・わかったつもり
自分だけは正しいという思い
物事を固定して見る心
真実を見ようとしない姿勢
禅では、
「気づく」ことで自然に消えていく毒とされます。
三毒の中で、もっとも気づきにくいのがこの「癡」かもしれません。
禅シンプル生活的に一言で
とん:持ちすぎない
じん:反応しすぎない
ち:決めつけない
茶の湯に置き換えると
高い道具を欲しがらない(貪)
点前がうまくいかなくても怒らない(瞋)
型や知識に縛られすぎない(癡)
だから茶の湯は、
三毒を静かに手放すための稽古でもあるのだと思います。
まとめの一句風に
欲を減らし
怒りを鎮め
知ったつもりを捨てる
それだけで、
暮らしも心も、ずいぶん軽くなります。
昨日、
「濃茶にせず、中ほどの一服にした」という選択も、
実はこの三毒を捨てる実践そのもの。
茶の湯は、
日常の中で静かに自分を整える、
ありがたい道だとあらためて感じます。

PS 利休居士の三毒

茶の湯が教える処方箋
貪には → 素の一服
瞋には → ゆっくり湯を見る
癡には → 初心に戻る
だから利休は言葉で教えず、
点てさせ、飲ませ、黙って座らせた。



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