南方録 茶の湯と和歌
今日は和歌。
武野紹鷗と和歌
見渡せば 花も紅葉も なかりけり
浦の苫屋の 景色が開ける
藤原家隆(新古今集)
花をのみ 待たらん人に 山里の
雪間の草の 春を見せばや
この二首は、別々の歌でありながら、
同じことを静かに語っているように思えます。
紹鷗は、
花も紅葉もない「浦の苫屋」で、
かえって景色が開けると言いました。
家隆は、
花が咲くのを春と思う人に、
雪の間から出る草にも春があると伝えています。
どちらも、
目立つ美しさの先ではなく、
その手前にある気配に目を向けています。
何もないように見えるところに、
すでに整っているものがある。
それに気づくことが、
侘び茶を「得心する」ということなのでしょう。
この二つの和歌が同じページに置かれているのは、
侘び茶とは、
花を待つ心を知ったうえで、花のない景色を見ること
だと伝えるためなのかもしれません。
まだ分かったとは言えませんが、
そう思いながら一服を点てると、
少しだけ、景色が静かに開ける気がします。
今日の禅語
寿山福海(じゅざん ふくかい)
床の間にこの言葉が掛かっていると、
どこか気持ちが落ち着きます。
寿は山のごとく。
福は海のごとく。
山のように、どっしりと揺るがず。
海のように、深く、広く、受け入れる。
寿山福海とは、
長生きや幸福を願う言葉であると同時に、
そう生きていきなさいという静かな教えのように思います。
山は目立とうとしません。
ただそこに在り続けます。
海もまた、何かを主張することなく、
すべてを受け入れ、深さをたたえています。
茶の湯も、似ている気がします。
華やかさよりも、積み重ねた時間。
派手さよりも、日々の一服。
独服のとき、
誰にも見せず、
しゃっちょこばらずに点てたお茶を飲むと、
寿山福海という言葉が、
少し身近に感じられます。
長く、静かに。
深く、やさしく。
そんな生き方を、
この四文字はそっと示しているのかもしれません。
今日の一服もまた、
山のように落ち着き、
海のように広がる時間でありますように。
(AIより)