廓然無聖
今日の禅語
ハンドブックより
碧巌録
AIへの質問
廓然無聖わかる?
Answer
はい、わかります。
とても有名な禅語です。短く、やさしく説明します。
廓然無聖(かくねん むしょう)
直訳
廓然:からっと広く、何の隔てもない
無聖:聖も凡もない
意味(やさしく)
心がからりと開けたところには、
偉い人も、悟った人も、特別な存在はいない。
禅の核心
「悟った自分」も捨てる
「聖人になりたい心」さえ手放す
上下・優劣・評価が消えた世界
有名な由来
中国・梁の武帝が
「私は多くの寺を建てた。どんな功徳があるか?」
と尋ねたとき、達磨大師は答えました。
「廓然無聖」
👉 功徳を数える心がある限り、まだ分別の中にある、という意味です。
ひとことで
「悟ったと思った瞬間に、悟りから外れる。」
茶の湯・日常に置くと
上手・下手を超える
先生・弟子を超える
ただ、いまここにある
ミサさんが好きな世界観、そのものの言葉ですね。
PS
旧約聖書を学んでいた頃、
カデッシュ(聖なる者)――
つまり「聖人を目指して生きよう」とした時期がありました。
けれど、それは自分には無理が多すぎた。
今思えば、背伸びをしすぎて、どこかで挫折してしまったのだと思います。
やはり、
もともとの自分であるナチュラリストがいちばん自然でいい。
では、どう生きればよいのか。
ふと、自分の名前を思います。
「正」。
特別な聖人を目指さなくてもいい。
難しい理想を掲げなくてもいい。
ただ、正しく生きることを心がければいいのではないか。
それが、
自分にとっての 正道。
無理をせず、飾らず、
今日一日を正直に生きる。
それで十分なのだと思います。