「弟子たち」の祈り
主の祈りのユダヤ的背景(ユダヤ人イエスが本当に伝えたかったこと。 ブラット・ヤング 河合 一充訳 ミルトス より
(ブラット・ヤング エルサレム学派創立者の一人、エルサレム ヘブライ大学でD フルッサル教授の下で博士号取得)
序
弟子たちの祈り
多くの人々にとって、祈りというものは一種の謎である。イエスの弟子たちが師に祈り方を教えてほしいと懇願したのも驚くべきことでもない(ルカ11:1)。・・・・・・・ 「主の祈り」イエス自身は一度もこの聞き慣れた言葉で祈ってはいない。むしろ、この祈りは自分の弟子たちに伝えたものである。したがって本当は「弟子たちの祈り」というべきである。
不幸にして、これが誤解の始まる元だった。・・・・・・・
イエスはユダヤ人であった。第二神殿時代のローマに占領されたイスラエルの困難な日々に、同胞のユダヤ人の弟子たちにヘブライ語で語った人物である。近代のキリスト京都は、イエスのようなユダヤ人の教師とは全く違った理解を、祈りや聖書、信仰に対して示している。・・・・・・・イエスを信じつつ、イエスのメッセージのもつ偉大な深みを簡単に見失ってしまうのも仕方がない。・・・・・・・
天にいますわれらの父よ אבינו שבשמים
御名が聖とされますように יתקדש שמך
御国を統治され続けますように תמקדש מלכותך
御心が行われますように יעשה רצונך
天においても地においても בשמים ובארץ
われらのなくてはならない食物を今日与え給え את לחם חוקנו תן לנו היום
われらの自債を赦し給え ומחול לנו את חובותינו
わたしたちが赦しましたように כאשר מחלנו גם
わたしたちに自債のあるものを אנחנו לחייבינו
わたしたちを試みに遭わせないで ואל תביאנו לידי בסיון
悪しきものから救い給え אלא תצילנו מן הרע