法律のさだめ

発想の秘密  ヤンケル・フィッシャー 先生 より

・・・・・・・法律は難しく考えている。
しかし法律の原型ともいうべき、モーセの十戒にしても、聖徳太子の憲法17条にしてもそんなにむずかしいことはかいていない。法律をむずかしくした原因は、法律の専門家にある。かれらが使うことばが、日常のやさしい言葉とは、かけはなれたものだからだ。
  日本語訳の聖書でも、"法"とやくせばすむものを、さらにむずかしく"律法"としている。
律法も、法も、英語では「law」そして聖書の原文のヘブライ語では、「トーラー」だ。
トーラーというのは、「おしえ、さしず」といった意味である。
 神のおしえも、法律も、もとはといえば、みんな常識にかなった合理的考えから発想されている。
 したがって、ごくまともな行動をするかぎりにおいては、だれも法にふれることはありえない。常識こそ、法の基本であり、おしえの原点である。
  それゆえ「律法のさだめ」とは、「常識のけじめ」のことなのだ。

今週の格言  常識は、知恵のはじめである。

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現在、騒音公害で悩んでいます。 
法律的には62デシベル以上が日本の法律では罰則の範囲で、それ以下は法的に問題がない。
61dbも62dbもあまり変わらないのに。
といって人に害を与えていいのか?納得のいかない日々が続いています。
裁判所に騒音の裁判の傍聴を希望すると、「広く情報を知らせていないので、その日に裁判所に問い合わせください」といわれここでも不合理を感じました。
いっけん訴訟は揉め事で悪いことのようですが、裁判の目的は広く公に知らせて、法に照らして議論をする場所なのに、日本では少し解釈が違うようです。

だれのための法か疑問になります。


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