הבל הבלים אמר הקוהלת הכל הבל
הבל ハベル vanity of 空しさ צשכ 虚栄心 見栄 うぬぼれ はかなさ
הבלים ハバリィム vanities 空しさの צשכמי
אמר アマル said いった תיג
הקוהלת ハコヘレト コヘレトが צדפכא
הכל ハコル 全ては צלכ
הבל ハベル 空しい צלכ
1955年訳 伝道者は言う、「空の空、いっさいは空である」と。
新共同訳 なんと空しいことか、とコヘレトは言う、全ては空しい。
きょえいしん
【虚栄心】
色即是空、空即是色
| 【読み】 | しきそくぜくう、くうそくぜしき |
| 【意味】 | 色即是空空即是色とは、この世にあるすべてのものは因と縁によって存在しているだけで、その本質は空であるということ。また、その空がそのままこの世に存在するすべてのものの姿であるということ。
(般若心経)
善の視点 ライフ よりコピペ
舎利子(しゃりし) ブッダの弟子のシャーリプトラよ。 私が知り得た真実とは、「自分が存在しない」という驚くべき事実のことなのだ。 今からその真意について簡潔に話をするから、よく聞いておくれ。
色不異空 空不異色(しきふいくう くうふいしき) まず私たちの体を詳細に観察すれば、これは「体」という固有の「もの」が存在するのではなくて、たとえば原子というような、様々なものがくっついて出来上がっていることがわかるだろう。 つまり「体」が存在するのではなく、いろいろなものが集まってできた「物体」を、私たちは体と「呼んでいる」にすぎないのだ。 これは事実として理解できるね?
体というものは、いや、体だけでなくあらゆる物体は、それ固有の実体が存在しているのではなく、あくまでも何かが集まった「状態」にすぎない。 不変の自分、つまり自性(じしょう)と呼ぶべきものはなく、すべて無自性なのだ。 この、「あらゆる物体に実体はない」という真実に、まず名前を付けてしまおう。 そうだな、「空(くう)」という言葉がいい。 「物体に実体は存在しない」という真実を、「空」と名付けることにするから、これから私が「空」と言ったら、「物体に実体は存在しない」「自性がない」という意味であると覚えておいておくれ。
色即是空 空即是色(しきそくぜくう くうそくぜしき) 私たちが感じとるあらゆる物体は、固定的な実体がなく「空」という性質をもっている。 存在を支配する根本の原理は、この「空」という真実なのだ。 そして存在は「空」であり、変化をする性質であるからこそ、あらゆるものは形をもつことができ、また形を変えることができるのである。
もしも固定的な物体が存在したら、その物体は何をどう加工しようとしても変化をしないことになる。 変化をしないから固定的な物体なのだ。 しかしそのようなものは、この世界のどこにも存在しない。 どのようなものであっても変化をし、だからこそこの世界には多種多様な姿や形をしたものが存在している。
受想行識 亦復如是(じゅそうぎょうしき やくぶにょぜ) そしてその「空」という性質は、物体だけでなく、精神作用にもあてはまる。 すなわち、感覚・知覚・意思・認識といったあらゆる精神作用も、形こそないが、変化をするという法則のなかにある。 つまり、物体である身も、精神作用である心も、どちらにも固定的な実体は存在しないということだ。 これが何を意味しているかわかるだろうか? そう、自分とはこの身と心であるにも関わらず、身にも心にも実体としての「自分」が存在しないということなのだ。 固定的な存在としての「自分」は、どこにも存在しないのである。
ただ、私たちは脳という器官があり、「考える」という営みができ、「自分」という概念を想起することができるため、この身と心を具えた一つの物体、つまりが自分という存在を、自分だと認識することができる。 できる、というよりも、認識してしまっている、と言ったほうがより正しいかもしれない。 しかし真実としては、自分というものは存在しないのだ。 これはつまり、「自分」という存在は固定的な存在ではなく、流動的な「状態」の一つにすぎず、結局自分も「空」だということである。 |