日と月
זהר. I.fol.135b-136a 石丸昭二訳
月は日の方を向いているときだけ輝く。あの「生きて見る者の井戸」באר לחי ראי「ベール・ラハイ・ロイ」はこの意味で理解できる。井戸は生きている水によってのみ輝く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ラビ・イツハクはこのような聖書の文を引いて話はじめた。「日は昇り、日はまた沈む。おのれの場所を喘ぎ求め、そこに日はまた昇る」コ1:5「日は昇る」---この言葉は、日が月より上の高いところから月を照らしていることを指している。太陽はいつもそこから照らしている。「そして日は沈む」、月と一体になるために。「日は南に向かう」、南は右手を意味するからである。そしてこの右手に日はその力を置く。なぜなら、体のすべての力はそこから発するからである。それから日は北へ向きを転じ、一方と反対側へ輝く。しかし同様にこうもいわれている。「向きを転じ、転じて風は吹く」コ1:6。最初は日について語られ、今度は風について語られる。しかし、これはすべてひとつのこと、ひとつの秘密にほかならず、月が日に照らされ、そのあと両者が結合することを指しているのである。アブラハムがこの世に生を享けたとき、その抱擁のなかで月に近ずいたこと、・・・・・・・・・・・・・・・・法政大学出版局より
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2日前よりめまいで歩行困難状態だけど、30年以上ヨットで揺られ続けたので、廊下を歩いてもヨットのデッキを歩いている感じです。
かみさんに「ヨットに乗っているようだ」というと、「ヨットに乗れないから神様がそのようにしてくれたからありがたいと思えば」と言われました。
少しブラックジョークだけど、ほんとにヨットに乗って船酔いしているようで外洋を思い出します。