光の創造 神を畏れること

火の発見は文明の始まりである。原始人は火を崇拝した。火は体をあたため、料理や照明につかわれ、火によって人間は自分の身のまわりの世界を創り上げてきた。
人間は、今日でもある一部の人々がそうであるように、火を力強い神とみなしてきた。(もつとも今日の拝火主義者たちは力強い神とは呼ばず、もっと教養のある名称で「エネルギー」とか「テクノロジー」とか呼んではいるけれど)トーラーやユダヤの伝統には、火についての記述が多い。

聖書によれば、この世界は神が「光あれ」と言われたので創造された。この「光」の創造という最初の御業によって、すべてのエネルギーの根源がそうぞうされたと言ってもよい。火の創造については明白に述べられていないが、これについては次のようなラビの伝承が補っている。

天地創造は最後の6日目にアダムとイブが創造されて完成し、翌日が最初の安息日שבתである。
最初の安息日が終わったとき、アダムは初めて太陽が沈み、深い闇が地をおおい始めるのを見た。
その時、恐れの念が湧き、闇の中に吸い込まれるような絶望感を感じた。・・・・・・・・・
ラビ ピンハス ペリー  訳上野 正  

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これが神を畏れることではないですかね。
家族でカリブ海よりフロリダに船を回航するときに、かみさんが海の上で日の沈む時間が一番怖いと言ってました。
アダムと同じように不安感は感じますね。それも周りには何も見えない海の上です。

先日の食事会で、定年退職した老紳士が天地創造がわからないと言っていました。
「疑問を感じ、問いを持て」ですけど前提として疑って読んでは理解できないし、ヘブライ聖書は文章以外に口伝も多くあるので簡単に理解するのは不可能だと思います。
ましてやイスラエル人は一生かけて読みます。

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