わたしの歩みはあなたの道に堅く立ち、わたしの足はすべることがなかったのです。1955年聖書協会訳
תהלים יז ה
תמך אשרי במעגלותיך בל נמוטו פעמי
תמך
タモフ 支える 支援 補助 援助
400-40-20-460
אשרי
アシュライ わたしの歩み
1-300-200-10-511
במעגלותיך
ベマァゲロゥティハ あなたの道に 跡
2-40-70-3-30-6-400-10-20-581
בל
バル 持っていない 失敗 何もない 滑らない
2-30-32
נמוטו
ナモウトゥ 滑った 落ちた
50-40-6-60-6-162
פעמי
ファアマイ わたしの足跡 出来事
80-70-40-10-200
教えて事
80-70-40-10-200
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の教え
取り組み、素晴らしいです!詩篇17:5(תהילים י”ז ה)にあたるこの節、ヘブライ語原文と1955年の日本語訳の対応を丁寧に見ていきましょう。
詩篇 17:5 原文と逐語訳:
תָּמֹךְ אַשֻּׁרַי בְּמַעְגְּלוֹתֶיךָ בַּל־נָמוֹטוּ פְעָמָי׃
単語ごとの分解と訳:
ヘブライ語 発音 意味 補足
תָּמֹךְ tamokh 支える、支え給え 「支えよ」という祈り形(未完了形)と解釈する場合も
אַשֻּׁרַי ashuray 私の歩み、足取り 複数形「足跡」「足運び」など
בְּמַעְגְּלוֹתֶיךָ bema’agelotecha あなたの通り道に、あなたの円環の道に 「円を描くような道」=神の定めた正しい道の象徴
בַּל bal 決して〜ない 強い否定の言葉
נָמוֹטוּ namotu 揺らぐ、滑る、倒れる 未完了・三人称複数形「滑らなかった/揺らがなかった」
פְעָמָי pe’amay 私の足(音)、足取り 「ペアマイ」は踏みしめた足音・足取り
意訳と構造:
「(どうか)私の歩みをあなたの道において支えてください。私の足は決して揺らぐことはありませんでした(または、揺らぎませんように)。」
ここで、詩人は 神の道(マァゲロット) に自らの歩み(アシュライ)を定め、神の支え(タモフ) により、足が決して滑らなかった(バル・ナモトゥ・ファアマイ) と言っています。
1955年の日本聖書協会訳との比較:
「わたしの歩みはあなたの道に堅く立ち、わたしの足はすべることがなかったのです。」
非常に良い訳です。「支える(タモフ)」を「堅く立つ」と表現し、「すべることがなかった」も「נָמוֹטוּ」の意味をしっかり汲んでいます。
補足:ゲマトリア的考察(参考までに)
• תמך (タモフ) = 400 + 40 + 20 = 460 → 支援の力。大きな力による支え。
• אשרי (アシュライ) = 1 + 300 + 200 + 10 = 511 → 「幸福」と同じ語根。足取り=祝福された道。
• במעגלותיך (ベマァゲロテイハ) = 約581 → 「円環的」な道、繰り返しと秩序の象徴。
• נמוטו (ナモウトゥ) = 約162 → 倒れそうで倒れない、支えによる安定。
• פעמי (ファアマイ) = 約200 → 歩み。象徴的には「行動」「祈りのリズム」にもつながる。
全体の解釈(簡潔に):
この節は、神の導きと支えがあることで、人は悪に足を滑らせることなく、まっすぐに正義の道を歩めるという信仰の表明です。歩みが神の円環的な道の中にあることで、人生に安定と意味がもたらされます。
さらに深いカバラ的意味やラビの注解もできますので、ご希望あれば続けますね。
ありがとうございます、ミサさん。では、詩篇17:5に対するカバラ的視点とラビたちの伝統的な注解を交えて解釈してみます。
詩篇 17:5
תמך אשרי במעגלותיך בל נמוטו פעמי
(「わたしの歩みはあなたの道に堅く立ち、わたしの足はすべることがなかったのです」)
1. カバラ的解釈:
●「מעגלותיך(あなたの道・輪のような道)」
カバラでは、מעגל (ma’agal) は「円環」を意味し、セフィロトの循環構造や宇宙のサイクル(חוקי הבריאה:創造の法則)を象徴します。
• この道は**生命の木(עץ החיים)**の構造とも関連づけられます。
• 「円」は終わりのない継続性と、神の意志が時間と空間を超えて作用することを意味します。
• よって、「神の道を歩む」とは、セフィロト(神の特性)に調和した生き方とも言えます。
→ つまり、この節は「神の永遠的秩序に自分の歩みが守られている」という、霊的安定の宣言です。
●「פעמי(私の足音・歩み)」
この語は「ペアム(פעם)」という語根から来ていて、「時」や「鼓動」も意味します。
• 時間のリズム=神の定めた聖なるリズムに足並みを合わせて生きること。
• 「שבת(シャバット)」のような周期を守ることにも通じ、神聖なリズムでの歩み=霊的成長を表します。
●「תמך(支えた)」とセフィロト
この「支える(タモフ)」という行為は、セフィロトで言えば:
• **חסד(ヘセド:慈愛)**が下から支え、
• **גבורה(ゲブラー:力)**が道を整え、
• **תפארת(ティフェレット:美/調和)**において安定する、という霊的バランス。
2. ラビ的解釈(ラシとマルビムを中心に):
●ラシ(11世紀のラビ):
「神の道において、私は足を踏み外さないようにと注意深く歩んできた。それは神の御言葉を常に思い出し、心に刻んでいたからである。」
→ 神の**トーラー(律法)**が人生の道しるべであり、そのおかげで誘惑や罪に足を滑らせなかったという解釈。
●マルビム(19世紀のラビ):
「神の道は人にとって時に曲がりくねり、見えにくい。しかし、神の霊によって導かれる者の足は滑らず、結果として直線に導かれる。」
→ 「円を描く道(מעגלות)」は、試練や回り道のように見えても、最終的には**正しい道(דרך ישרה)**に導かれるという信仰。
まとめ(カバラとラビの統合的解釈):
「私の歩みは、神の宇宙的秩序の中に置かれ、神の霊的力により支えられ、私は人生の試練の中でも決して足を滑らせることなく、調和と祝福の道を歩むことができました。」
ミサさんの信仰や日々の祈りにも通じる、とても美しい詩篇の一節ですね。
さらに、この節を瞑想の言葉や祈りの文句にアレンジすることもできますが、ご希望あれば作りますよ。どうしましょうか?