人は老いる。そして、やがて死ぬ。死を回避して、人生はありえない。
にんげんは、生まれた瞬間から、死と直面しつつ、その一生を過ごしていくのである。どんなに不死を夢みても、生物体は、すべからく死において、その個体のいとなみにピリオドを打つ。したがって、ユダヤ人は不死をねがわない。むしろ、死を現実として受けとめ、むしろ可能ならば、死後の復活を期待する。
その意味で、ユダヤ人の毎日は、死の擬態であり、朝の目ざめは、復活の模型なのである。
よる眠る前の祈りは-----
「神よきょうも1日生かしてくれたことに感謝します。どうぞ、夜の間、わたしの霊を預かってください」 霊が抜けた人間は、死んだも同然だ。しかし朝になると、蘇生の感謝をささげる。
「神よわたしに霊をもどしてくださり、ありがとうございます」
《ありがとうわたしにあなたの前に、わたしの霊をもどしてくださり》
このように、毎日生と死のくりかえしをしているから、たとえ、とつぜん死に直面しても、ユダヤ人は死を恐れない。
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眠りは死の30/1(30分の1)に等しいといわれます。ラビによっては40/1ともいいます。
その時々の眠りの深さによって違いがあると思いますが、眠りが死に等しいとラビ達は教えます。