「ああ主よ、私は罪を犯しました。私を咎をおこないました。あなたの前に掟を破りました。私は~のことをおこないました。私は悔やんでおります。自分の行為を恥じております。二度と(永遠に)この行為を繰り返しおこないません」
これが祈りの軸になります。多く祈れば、長く祈れば祈るほど賞賛に値すると考えられています。 ( 日本ヘブライ文化協会 ホームページより)
賢者の考え
神は許さない人間を憐れまない。 ベンシラ 「ゆるし」
隣人から受けた不正をゆるせ。そうすれば、祈り求めるとき、罪はゆるされる。
人が互いに怒りを抱きあっていながら、どうして主から癒しを期待できようか。
自分と同じ人間に憐れみをかけられずにいて
どうして自分の罪のゆるしを祈りえようか。 (シラ書28.2~4)
ラビ ガマリエル タルムード シャバット151b
「他に憐れみを示す者は、天から憐れみを示される。しかし他に憐れみを示さない者は、天から憐れみを示されない」
ゆるすことは力 ラビイエスは、ゆるすことが解放する力を持つことを知っていた。人間はゆるすことができるとき、驚くべき自由を体験する。
50年以上生きてきて、自分の人生で一番かけているとこですね。 だから怒りから自由になれなかったんですね。