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10月, 2016の投稿を表示しています

善悪の知識の木

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  善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。創世記2ー17 ウエメツ       しかし木から ハダアット   知識の トブ              善 ヴァラア      と悪の ろー              トハル         お前は食べるな ミメヌ         それから キー             なぜなら ベヨム         日に アホルハー  お前が食べる ミメヌ         それから モット タムート       お前は必ず死ぬ ………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………     アダムとエバが食べた木はなんだったのか? アッコーのラビ アッパー     「エトログだ」 ラビ  ヨセ   「それはイチジクの木だ」                    イチジクの木が、その実を食べたアダムに戸口を開き 、彼に宿を提供した。それ故、 最初の着物として『彼らはイチジクの葉をつづり合わせた。』 ラビ メイル  「それは本当は小麦だった」 しかし別のラビたちは、「聖書は木といつているではないかと質問した。 すると、「(昔は)小麦はレバノンの杉のように背が高かったのだ」 ラビ ユダ ベン イライ「それはぶどうの木で、彼らはぶどうを食べたのだ」 「それ故、聖書は『(ソドムのぶどうの木)ぶどうの房は苦い』 つまりぶどうの房が世界に苦しみをもたらしたということだ。 ヨシュア ベン  レビの弟子たち...

ベレシート

トーラー(モーセ五書)を1年間かけ読むことを、 イスラエル人の真似をして約3年近く経ちます。 今年も読み始めました。読めば読むほど疑問が増えていきます。 聖書の本文は変えてはいけないけど、解釈は人によって違ってもいいようです。 3年間、日本語訳の旧約聖書を読みましたが、日本語訳が訳した人の解釈ではないかと最近感じます。 自分はヘブライ語は読めないので、日本語で読めることに感謝しなくてはいけないのですけど。 これをイスラエル人は3歳からヘブライ聖書を読み、12歳で人とは違う自分の解釈をして、成人式を迎える。 自分の3歳から12歳は玩具で遊ぶことしか考えていませんでした。ここに大きな人生の違いがあるんですね。 ……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………… בראשית べレシート 初めに אב    アバ 父 בבר    べバル 息子 ראשית   レシート  שבת        シャバット ברא        ベラ      創造した ראש       ラッシュ     頭 אש        アッシュ     火 שת        シュット     基礎 רב        ラブ       偉大な איש       アイッシュ   人間 ברית     ベリト      契約 הב       トブ      

とうごま

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ここ数日、ヨナ書で伝えたいことは何かと考え続けていました。 何度か読み返して、自分が一番印象に残ったのは"とうごま"、一夜にして与えられ、一夜にして失う。 そしてヨナが死を求めることでした。 ……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………… 先週はイスラエル人の 「仮庵の祭(スコット)」でした。 スコットはその場しのぎの小屋のことで、四方を板や幕で覆った仮り小屋。 これは、シナイ砂漠を40年間旅から旅へとさすらい、仮り小屋で過ごした記念。 スコットの祭りの間7日間食事は全てこの小屋の中で食べることになっている。 他にも祝うことはあり、秋の収穫に学問そして共同体のシンボルのようです。 ……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………… ヘブル人 がエジプトの奴隷より解放されて、先祖が砂漠を40年間さすらったことをしのぶ記念の意味もあるようです。 なぜ40年間さまよったのか?  その世代の人たちは奴隷根性が染み付いて、自由人になるには世代を超える必要があったようです。 ・奴隷と自由人の定義     ヘブライ聖書的に考えると。 神の下では全ての人が平等ここが基本。では奴隷は、人の下で平等なことですかね? ……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………… 自分は東日本大震災の時に、銚子マリーナに停泊していたヨットを津波で失いました。 ヨナ書の与えられそして失う、このことように感じました。 家いや国を失っても生きつづけるイスラエル人の強さはここにあるように改めて感じました。

裁きの日と贖罪の日

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光輝の書   I.fol.114ab  より 角笛を吹き鳴らせ新月、満月、わたしたちの祭りの日に。詩篇81 ティクゥー   吹き鳴らせ ヴァホデシュ    新月 ショファル   角笛を バケセ    新月 レヨム  日に ハゲーヌ   わたしたちの祭りの   セレブレーション ……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………… 詩篇の訳の解釈が違うように感じます。 光輝の書によると、この時期の月は邪悪に覆い隠されている。 ローシュハシャナ  裁きが世に行われ、悪魔が訴えを起こすとき、イスラエルはショーファール、すなわち火と水と空気とがひとつに結び合わさっているあの声の響きに奮い立つ。この声は天の裁きの王座まで上ってゆき、全天を揺るがす。 だが、この声がしたからあがってくると、上でヤコブの声が強くなる。すると至聖はその愛を活発にすることができる。 新年に100回角笛を吹くようで、日本の除夜の鐘と同じような意味があるようです。

航海の苦しみ

航海に出るといつも苦しみを感じます。 初心者のころは船酔いで苦しみ続けました。 船酔する人のことを’マグロ'と言います。それは船底で冷凍マグロのように動かないからです。 自分はマグロにならずにそれを乗り越え、航海を続けてきました。 海に出ると全てに謙虚になり、素直に日々の行いに反省して謝り続けます。 そしてそれを乗り越えると、新しい自分に出会えました。 贖罪日にヨナ書を読み返し、航海の時に懺悔していることを思い出しました。

イスラエルの息子たち

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ベネー イスラエル 出エジプト期35章の復習です。 ベネーイスラエルが残りました。聖書日本語訳では、イスラエルの人々です。 これについて少し考えてみました。 ………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………… イスラエルの子 アブラハム・イサク・ヤコブの12人の子供が12部族のイスラエルの子。 ヘブライ聖書では、出エジプト期と言わないで、名前がタイトルだったと思います。 イスラエル人の優れていることは、3000年以上先祖をたどれるところだと思います。 自分も珍しい名前だけど、戦死したお爺さんの先はわかりません。 それに比べ一つの血筋を伝え守り学び続けているイスラエル人には感心します。 イスラエル人の定義、イスラエル人の母親から生まれた子供、ここにその理由があるように思います。

贖罪日

今日は贖罪日のイブで断食して一年の罪を懺悔するようです。 マイモニデス  רמב"ם   によると、次のように祈ります。  「ああ主よ、私は罪を犯しました。私を咎をおこないました。あなたの前に掟を破りました。私は~のことをおこないました。私は悔やんでおります。自分の行為を恥じております。二度と(永遠に)この行為を繰り返しおこないません」  これが祈りの軸になります。多く祈れば、長く祈れば祈るほど賞賛に値すると考えられています。     ( 日本ヘブライ文化協会 ホームページより) 賢者の考え 神は許さない人間を憐れまない。  ベンシラ   「ゆるし」 隣人から受けた不正をゆるせ。そうすれば、祈り求めるとき、罪はゆるされる。 人が互いに怒りを抱きあっていながら、どうして主から癒しを期待できようか。 自分と同じ人間に憐れみをかけられずにいて どうして自分の罪のゆるしを祈りえようか。     (シラ書28.2~4) ラビ ガマリエル  タルムード シャバット151b 「他に憐れみを示す者は、天から憐れみを示される。しかし他に憐れみを示さない者は、天から憐れみを示されない」 ゆるすことは力   ラビイエスは、ゆるすことが解放する力を持つことを知っていた。人間はゆるすことができるとき、驚くべき自由を体験する。 50年以上生きてきて、自分の人生で一番かけているとこですね。 だから怒りから自由になれなかったんですね。

知恵・悟りと・知識

エジプト期の予習です。 仕事も少し落ち着き、熱い夏も終わり読書にも集中できます。 エジプト期35・31 ベッアエルに神の霊を満たし、フォフマーとテブゥナーとダアレットを全ての仕事で。 ラビ シュロモ ベンイツハクのコメント 「知恵(フォフマー)とは、他人から聞いたり学んだりして得たこと柄である。悟り(テブゥナー)とは、学習した事柄の中から心が自ずと或ることを理解することである。知識(ダアット)とは、聖霊によって知ることである」と註釈している。(知恵とは一般的に知識と呼んでいるもの、また、処世術的知恵を指す。彼の言う「知識」は霊感や天啓によって与えられる高度な、深遠な知識を指している) 医師であったイブンエズラは「ホフマーは脳の後頭部に蓄積され、テブゥナーは脳の中央部にあってホフマーとダアットとを結ぶ。ダアットは額で感知された事柄を脳に織り込んでいる」 と1000年近く前に脳科学的所見を述べている。  出エジプト期 手島先生より

生と死の選択

どうか命を選んでください。そうすればあなたとあなたの子孫は生きながらえることができるであろう。   申命記30-19 これについてユダヤ系精神分析学者のエーリッヒ・フロムは次のことを言っている。 「自殺するような場合を除いて、人はどうして生と死とを選択することができようか。だから聖書本文が言っているのは生物学上の生死ではなく、原則と価値としての生死のことではないだろうか。」 生きているとは成長し、反応し、進歩していることを意味する。死んでいるとは(たとえ生物学的に生きていても)、成長がとまり、化石化し、生命を失った物体になることを指す。多くの人は、この観点に立った生死の選択をないがしろにしている。 したがって生でもない死でもないどっちつかずの生活をしている人は、体は生きていても魂は死んだも同然だ。まず、命を選ぶことなしには、愛とか自由とか真理がない。また、命なしには神を愛することもできない。なぜなら、詩篇の作者が書いているように、「死んだ人々は神をほめ讃えることができない」(詩篇6-5)からである。  ラビ   ビンハス ……………………………………………………………………………………………………………………… 成長    反応    進歩が生きていることですね。 生体が、刺激を受けた結果として変化や活動を起こすこと。        二種以上の物質の間に化学的変化が起こること