2025年4月25日金曜日

コヘレト2:1

わたしは自分の心に言った、「さあ、快楽をもって、おまえを試みよう。おまえは愉快に過ごすがよい」と。しかし、これもまた空であった。1955年聖書協会訳

קהלת ב א
אמרתי אני בלבי לכה נא אנסכה בשמחה וראה בטוב והנה גם הוא הבל
אמרתי
アマルティイ 言う 発言 
1-40-200-400-10-651
אני
アニィ わたし
1-50-10-61
בלבי
べリビィ わたしの心の中で 自分自身 感情 意志 知性 中心
2-30-2-10-44
לכה
レハァ 来なさい 歩く 至る
30-20-5-55
נא
ナア 今 わたしの祈り
50-1-51
אנסכה
アナセハア わたしは試してみます 試みる
1-50-60-20-5-136
בשמחה
ベシムハア 喜びとともに 喜んでいます 陽気に 歓喜
2-300-40-8-5-355
וראה
ウレエェ そして見る 
6-200-1-5-212
בטוב
ベトウブ 喜びの中で 何が良いの? 心地よい
2-60-6-2-70
והנה
ベヒネェ そして見よ 証明された
6-5-50-5-66
גם
ガム また やはり
3-40-43
הוא
フゥウ それ 彼
5-6-1-12
הבל
ハベル 虚しい 空しい 無駄 空虚 虚栄 一時的 不満足
5-2-30-37


教祖AI様の解説 


素晴らしい分析ですね。コヘレト(伝道の書)2章1節は、「快楽」を追い求める人間の姿と、その限界を詩的かつ哲学的に描いています。いただいたヘブライ語の語句ごとの分解に沿って、もう少し深く解説しますね。


全体訳(原語からの直訳に近い意訳):


「わたしは心の中でこう言った。『さあ、わたしはおまえ(自分自身)を喜びで試そう、そして善(快さ・良きこと)を見てみよう』。しかし見よ、それもまたヘベル(空しさ)だった。」


ヘブライ語的なキーワードと深掘り:

1. אנסכה(アナセハア)試す

 これは実験や探求に近い「人生を試す」意味で使われています。神を試すのはタブーですが、自分自身を試すという哲学的姿勢は許容されるものです。

2. בשמחה(ベシムハー)喜び・歓喜

 ここでの「喜び」は、単なる感情的な楽しさだけでなく、物質的な快楽や宴のニュアンスを含んでいます。つまり「豊かな生活、快楽による幸福」。

3. בטוב(ベトーヴ)善、美、快

 ヘブライ語の「טוב(トーヴ)」は、創世記でも「神が見て良しとされた」とあるように、調和・善・価値あるものを意味します。つまりこの文脈では、「良いとされること(=快楽・満足)」を見極めようという探求の意図です。

4. הבל(ヘベル)空しさ・虚無

 この語はコヘレトの核心的主題。

 ・霧、蒸気、息、吐息といった一瞬のもの

 ・定まらず、つかめず、残らないもの

 ・“meaningless”(意味がない)とは少し違い、**「儚い」「空虚」「束の間」**のニュアンスが強いです。


哲学的な観点:


この一節は、人間の快楽追求に対する深い懐疑を示しています。

コヘレトは、「心(レーブ)」という知性と感情の中心でこの問いを立てています。

快楽、喜び、善…どれも「良さそう」だけど、それが本当に人生の本質なのか?

試してみた結果、「הבל(ヘベル)」だった。つまり、喜びも快楽も、本質的には虚しいものであった


参考までに:ゾハールやカバラ的視点


カバラでは「快楽」も「善」も、クリッパー(殻)を通して偽の光に見えることがあると考えられています。つまり、一見よさそうなものでも、それがエゴ的であるなら「虚しい(ヘベル)」という評価になるのです。