2023年9月13日水曜日

命の選択

精神分析学者  エーリッヒ フロムより
「自殺するような場合を除いて、人はどうして生と死を選択することができるのか?
だからヘブライ聖書本文が言っているのは生物学上の生死ではなく、原則と価値としての生死のことではなかろうか」。
生きているとは成長し、反応し、進歩していることを意味する。死んでいるとは(たとえ生物的には生きていても)、成長が止まり、化石化し、生命を失った物体になることを指す。多くの人は、この観点に立った生死の選択をないがしろにしている。したがって生でもない死でもないどっちつかずの生活をしている人は、体は生きていても魂は死んだも同然だ。まず命を選ぶことなしには、愛とか自由とか真理は意味がない。


^_^ 自分の生きた経験から簡単に解釈すると。  成長してない人は、会うたび会うたび同じ話をしている人。自分の知識や考えの成長がなく、他人の噂話をしている人、自分の学んだことが少なく、他人の話しかできない。  〜〜〜〜こんな感じかな。
改めてユダヤ教 ベイトミッドラッシュ イスラエル家学会は、学ぶことが信仰。神様の道 神道ですね。