『迷える者への導き』3章34節からの一部
神法の意義について
神法は例外的な状態については考慮に入れていない、ということに注意することもまた大切である。神法はまれにしか起こらない条件に基ずくのではないということである。・・・・
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すなわち「彼らはみな、一人の羊飼いから与えられたのである」コヘレト12:11
דברי ディブレイ 言葉は
חכמים ハハミーム 賢い
כדרבנות カドルバノット 突き棒のように
וכמשמרות ウフマスメロット そして釘のよう
נטועים ネトゥイーム 植えられている
בעלי バアレー 持ち主たち
אספות アスホッ 収集の collection
נתנו ニテヌー それは与えられた
מרעה メロエー 飼うものから
אחד エハッド 一人の
「賢い言葉は突き棒のように、そしてコレクションは釘のように植えられている持ち主の
それらは与えられた一人の飼うものから 」
・・・・・・・すなわち、実定法規や判決は明確であり、無条件でありかつ普遍的でなければならない。そしてそれは「会衆に関しては、一つの掟があなた方にも寄留民にも等しく妥当する」民数記15:15
חקהל ハカハール 会衆は
חקה フかー 掟は
אחת アハット 一つの
לכם ラヘム あなたたちに
ולגר ベラゲル と寄留者に
הגר ハガル 寄留している
חקת フカット 掟
עולם オラム 永遠の
לדרתיכם レドロテヘム あなたたちの代々に
ככם カヘム あなたたちのように
כגר カゲール 寄留者のように
יהיה イフイェー あるように
לפני リフネイ の面前に
יי アドナイ 主
「会衆の掟は一つあなた達と寄留している寄留者に、主の面前に永遠の掟はあなた達の代々に、あなた達のように、寄留者のように」
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マイモニデスの教えは❓
神法で人を区別するな? ユダヤ人だけがアドナイの信仰を独占するものではないですかね。
理解できていません。